FC2ブログ

アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
2018年08月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年10月
TOPスポンサー広告 ≫ 18日目 2017年10月21日 マニラTOPフィリピン ≫ 18日目 2017年10月21日 マニラ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

18日目 2017年10月21日 マニラ

フィリピン国鉄に乗ってトゥトゥバン駅(トンド)へ

 8:00前にホームタウンホテル・マカテイエドゥサを出て、アルファランド・サウスゲイト・モールに入った。スターバックスコーヒーは閉まっていた。モール内にある飲食店が開くのは9:00あるいは10:00からのようだ。土曜日の早朝に唯一開いていたジョリビーに入った。朝メニューのすべてにライスが付いていた。

PA210005.jpg

 マニラにMRT、LRT以外の鉄道が走っていることはあまり知られていないが、MRT・Line3のマガランス駅の近くをフィリピン国鉄(PNR)が走っている。線路はメトロ・マニラ・スカイウェイの上下車線の間にある。複線非電化区間である。

PA210007.jpg

 フィリピン全土において、国鉄の路線はわかりにくい。ほとんどは廃線あるいは運休になっているからだ。1960年、国鉄北方線(マニラ~サンフェルナンド)と南方線(マニラ~レガスピ)を足した総延長距離は1,086kmあったが、1991年のピナトゥボ山の噴火により北方線が全線運休となり(その後は事実上の廃線)、1993年の総延長は478kmになっている。

 フィリピンの鉄道を知るうえで「フィリピン国 大都市圏における鉄道戦略調査(クラーク・マニラ首都圏間)ファイナルレポート」はよい資料である。2013年6月に日本が提案したフィリピンの鉄道事業の計画書である。宛先はフィリピン国運輸通信省で、JICAと民間3社によって作成された。

 ルソン島北部を中心として、空港アクセス鉄道の計画、需要予測、路線計画、施工計画などが57ページにまとめられていた。地震対策が盛り込まれていたのは、地震対策先進国として日本の支援が有益になるポイントである。

 マニラとクラーク経済特別区を鉄道で結ぶ計画があった。軌間1,067mm(狭軌=JR在来線、西武、小田急、東急、名古屋鉄道、京阪、南海など)を1,435mm(標準軌=新幹線、京急、京成、阪急など)に改軌したうえで列車を走らせる計画に中国が無償資金協力を申し出た。しかし中国企業との間で締結した契約が不法だったことをアキノ政権が問題とした。計画は中止になった。中国側の敵失といっていい。

 (おそらく上記の線路を利用した)トゥトゥバン駅とマロロス駅の38kmを結ぶ計画に日本が支援することを、2015年に安倍晋三首相が署名している。

 想定されている最高速度は120km/hである。フィリピン国鉄にとっては夢のようなスピードである。

 2012年10月の大型台風の影響で長期運休していたルソン島南部を走る長距離列車「ビコール・エクスプレス」は2016年ついに復旧した。マニラと南カマリネス州ナガ間の377キロを結んでいるのは、寝台特急「北陸」の車両である。

 *ビコール・エクスプレスはビコール地方の料理名である。

 *この日の23日後、2017年11月13日安倍晋三首相はASEAN関連首脳会議に出席するため訪問中のマニラでドゥテルテ大統領と会談を行った。マラウィ(ミンダナオ島)の復興と治安維持についてはもちろん話し合われたが、合意内容の一部に円借款による「マニラ首都圏地下鉄計画(フェーズ1)」があった(供与限度額約1,045億円)。

 フィリピン人はもちろん鉄道を運営できる。ルソン島南部のナガ駅とシプコット駅の間を乗ったとき列車の運行は完璧だった。往復ともに1分も遅れなかった。地元の人に利用され愛されている鉄道であることはすぐにわかった。動いていたのは古い日本の気動車である。日本の無償援助だったらしい。車内改札をしていた車掌に礼を言われた。前述の「ビコール・エクスプレス」はこの区間を走っている。

 フィリピン国鉄への支援がうまくいけば、遠い将来マニラを起点とする新幹線がルソン島を走る可能性はある。今のところ具体的な話はないが、日本政府の担当者はそういったことを視野に入れているだろう。

 エドサ駅からトゥトゥバン駅までフィリピン国鉄(PNR)に乗ってみる。

 エドゥサ駅を撮ろうとしたら、ここは公共機関だから撮影は控えてほしいと女性駅員にやんわりと言われた。下の写真の、灯台のような四角柱のチケット売り場に機密性があるわけがないが、駅員は義務を遂行していた。

PA210010.jpg
 
 掲示されている時刻表はなかったが、列車の到着前には発車時刻が掲示された、日めくりカレンダーのように、あるいは中学校バレーボール大会の得点ボードのように。その写真を撮れなかった。

 エドゥサ駅に停止する(トゥトゥバン駅とアラバン駅を結ぶ)列車本数は1日20往復ぐらいだろう。時刻表を作って寄付をしたいと思った。

 9:32発の列車に乗った。

PA210014.jpg

 時速は30km/h程度だろう。2013年に乗ったときより、車両は確実に古くなっていた。一方、利用者は確実に増加していた。車内の扇風機は暑い空気をかき混ぜていただけだった。

PA210016.jpg

 30分ほど乗ってトゥトゥバン駅に着いた。JR東日本の気動車と電車も使われているようだが、車両はひどく傷んでいた。保守点検に大きな問題があるように思う。電車が客車として使用されているようだが、架線がないのだから仕方がない。ちなみに前述の「フィリピン国 大都市圏における鉄道戦略調査(クラーク・マニラ首都圏間)ファイナルレポート」のなかに使われていた写真のなかの電車はすべてJR東日本のものだった。

PA210025.jpg

PA210027.jpg

 
トンドを歩いた

 トゥトゥバン駅を出たところはやや殺風景である。理由は建物が建っていないから。トンドの猥雑な雰囲気はない。スラムを撤去したあと、再開発が行われていないからだと推察する。

 駅の南にあるトゥトゥバン・センター・モールに入った。南北に細長いモールである。このモールができたことによりトンドのイメージは大きく変わった。

PA210028.jpg

PA210030.jpg

 トゥトゥバン・センター・モールの南側に出た。賑やかな感じはある。

PA210031.jpg

PA210034.jpg

PA210036.jpg

 道路上に残されたレールはまだ撤去されていなかった。私にとってこのレールはトンドの象徴である。

PA210033.jpg

PA210035.jpg

 2001年10月に撮影した下の写真は上の写真と同じ通りである。上の写真を100mくらい進んだところが下の写真の位置になる。2001年は異様な雰囲気で歩くのが怖かった。自分が周りと異なる存在であることを否応なしに意識させられた。

マニラ22

 ホアン・ルナ・ストリートを歩いた。

PA210037.jpg

PA210040.jpg

 左手にあったのはlglesia Ni Cristo Locale of Tondo。1967年10月に完成したこの教会は2007年に改装された。トンドのランドマークでもある。

PA210042.jpg

 2013年はトゥトゥバン・センター・モールからフィリピン国鉄に沿って線路沿いをブルメントリット駅のほうに歩いた。北側と東北側である。

 今日はホアン・ルナ・ストリートを北に歩きながら、適当なところを西に折れた。

PA210046.jpg

PA210052.jpg

PA210063.jpg

PA210065.jpg

 いくつかの通りを西、北、西、北といった具合にジグザグに歩いた。人は多く小さな店はいくつもあり活気があった。2、3階程度の家屋や建物が連なっていた。それに比べて道は狭くない。ゴミは落ちていない。ごちゃごちゃした感じがなくはないが、このエリアは小奇麗なトンドである。

PA210067.jpg

PA210070.jpg

PA210071.jpg

PA210072.jpg

PA210073.jpg

PA210075.jpg

PA210077.jpg

PA210080.jpg

PA210081.jpg

 トンドやパヤタスを歩くときは特別な緊張感を強いられるが、今日歩いたすべてのエリアでそういうことはなかった。

 トゥトゥバン・センター・モールから西1kmほどのところを走っているレイディアル・ロード10に出た。


ナボタス・シティ墓地と墓地スラムを歩いた

 レイディアル・ロード10はマニラ湾岸を南北に走る幹線道路である。

PA210083.jpg

 ジプニーはほとんど走っていなかった。レイディアル・ロード10の西側はマニラ湾である。湾と道路の間にあったのは住宅地ではなかった。そのせいもあって道路を歩いている人は少なかった。ジプニーが頻繁に往来する道路ではないということだ。

 道路沿いで10分ほど待ってようやく北に走るジプニーを捕まえた。12ペソ(≒26円)。

 ジプニーのスピードは遅い。15分ほど乗ったところでレイディアル・ロード10は方向を東に変えた。

 その直後に「ここで乗り換えてくれ」とドライバーが言った。移動した距離は5kmほどである。北に延びている狭い通りと交差するところだった。その通りはジプニーとトライシクルが頻繁に行き来していた。

PA210086.jpg

 2台目のジプニーに乗った。2kmほど乗ったところで下ろされた。ナボタスの真ん中である。ドライバーに目的地の大体の方向を教えてもらった。

 来た道を少しもどり教えてもらった方向に歩いた。ジプニーの走っていた通りと並行している通りに出た。

PA210087.jpg

 住宅地のなかを歩いた。入口はすぐに見つかった。ナボタス・シティ墓地である。

PA210088.jpg

 敷地の真ん中をまっすぐ奥に延びる道を歩いた。

PA210092.jpg

PA210096.jpg

PA210100.jpg

PA210103.jpg

 墓は両脇にまばらにあったが、奥のほうはマンションのようにいくつもの墓が積まれていた。

PA210113.jpg

PA210143.jpg

PA210145.jpg

PA210146.jpg

PA210147.jpg

PA210151.jpg

 墓は5年のリース契約になっており、契約が切れると遺体は取り出される。遺族がお金を支払わなかった場合も同じである。取り出された遺骨は通路に放置されることもある。遺体や墓地にたいする敬意や恐れはない。

 遺骨や髪の毛が残っていることもあり腐敗臭がするといわれていたが、そういうことはなかった。墓地の清掃をしている人を見かけた。

PA210126.jpg

PA210132.jpg

PA210137.jpg

 墓石に直接文字が書かれている墓もあった。プレートを注文する金がなかったのかもしれない。4日前(10月17日)、トゥゲガラオで墓のプレートを販売している店を見つけた。

PA210148.jpg

 鬼ごっこ(この遊びがフィリピンにあるのかどうかを知らない)をするには格好の場所である。石を投げ合っている子供たちを大人が注意していた。墓地は子供の遊び場になっていた。カメラを向けると子供たちが集まってきた。撮ってほしいという意思表示をしてきた。

PA210099.jpg

PA210112.jpg

 パヤタスの子供たちは自らの存在を恥じており一切目を合わせてこなかったが、ナボタスの子供たちは寄って来ては笑顔を見せた。トンドと同じである。それらはしばしば屈託のない笑顔に見えるが、乾いた笑顔だ。

 笑顔は重要ではない、未来を見据える者は笑わない。

 ナボタスは漁港として発展した。海側に居住区があった。スラムである。下の1枚の右下のほうから入っていった。

PA210152.jpg

 路地は人が一人通れるくらいの幅しかない。貧しい家々が接近しすぎていた。

 ところどころで人々は道を開けてくれた。私を見た女たちは驚き、家の奥あるいは戸の内側に隠れた。家々の隙間を少し歩き人が少なくなったところで写真を撮ろうとしたが、たまたま目が合った人が首を横に振った「撮らないでほしい」。言葉で指摘されたわけではなかった。

 まったく危険を感じなかった。私の侵入を認識した人たちは知らんぷりをしただけだった。真冬の、釜ヶ崎の三角公園を歩いたとき、私の進行方向から自然に人が引いていったことを思い出した。

 さっき墓地にいた子供たちはこのスラムに住んでいるはすだ。

 家々の間にはちょっとした雑貨店や食堂があったが、結局1枚の写真も撮れずに墓地スラムを出ることになった。

 墓の外は小奇麗といっていい住宅地だった。たまたま通りかかったジプニーでレイディアル・ロード10にもどった。


トンドの西を通過した

 キアポに行くことにした。フィリピンに来るたびキアポには行っている。特に行きたいわけではないが、時間はまだあり、他に行きたいところがあるわけではなかった。

 レイディアル・ロード10から一度トンドにもどるのが、キアポに行く一番近いルートである。キアポがトンドの南東1.5kmほどのところにあることを知っていたのだから、今日の最初のエリアをキアポにしておけばよかった。

 レイディアル・ロード10をジプニーが走っていないことは既に書いた。北に走るジプニーにはかろうじて乗れたが、反対車線はジプニーがまったく走っていなかった。客を乗せているいないいかかわらず10分ほど待っても1台も通らなかった。

 仕方がないのでトンド方向(南)に歩きながら、何度も後ろを振り返った。後ろからやって来るジプニーを捕まえるためである。

 振り返る必要はまったくなかった。ジプニーは1台も通らなかった。

 ♪そして僕は途方に暮れる♪ 大沢誉志幸が聴こえてきた。

 ♪もうすぐ雨のハイウェイ♪(1時間半後に雨になった)

 トンドまで歩くのは嫌である。10月21日のマニラは暑かった。

 それでも歩いた。やはり後ろを振り返りながら。

 マニラ湾沿いにナボタス・シティ・バスターミナルがあったが、キアポに行くバスはなかった。みんな、タクシーで行けと言う。

PA210154.jpg

PA210157.jpg

PA210163.jpg

PA210161.jpg

PA210164.jpg

 バスターミナルの近くには水上家屋があった。多くの国でそうであるように、フィリピンで水上家屋イコールスラムである。

PA210169.jpg

PA210170.jpg

PA210173.jpg

 南に歩きながらタクシーで行くことに決めたが、タクシーもほとんど通っていないことに気がついた。

 バスターミナルから1kmほど歩いたところでようやくタクシーを捕まえた。料金を吹っ掛けてくるのだろうと思ったが、そうではなかった。400ペソ(≒880円)を要求してきた。最初の提案としては良心的である。300ペソ(≒660円)でまとまった。7kmほど乗ることになるので、交渉の成果はあったことになる。私の交渉にドライバーは苦笑していた、勘弁してよという感じ。

 タクシーはレイディアル・ロード10を南に走った。スモーキー・マウンテンの西側を通った。うずたかく積まれた山からは煙が出ていた。スモーキー・マウンテンは閉鎖されたのではなかったのか。ドライバーはなかに人が住んでいるらしいと言っていた。

 タクシーに乗らずに歩けばよかった。そこでタクシーを止めてもらうこともできたが、あっという間に通り過ぎた。

 スモーキー・マウンテンを過ぎると右手にスラムが現れた。不法占拠であることは明らかだった。ドライバーはトンドだと言った。レイディアル・ロード10の西側(海側=マニラ湾)もトンドに含まれることを知らなかった。そもそもそこは何もないエリアだと思っていた。トゥトゥバン・センター・モール周辺はすっかり再開発がされており超高層ビルも建っているが、レイディアル・ロード10付近のマニラ湾側にまだスラムが残っていた。

PA210175.jpg

PA210192.jpg

PA210195.jpg

 ところどころにある一方通行の道に入るためにタクシーは一度レイディアル・ロード10の西側に入った。スラムはレイディアル・ロード10の西側に、南北に細く長く残っていた。タクシーはスラムのなかを走った。私のカメラの一部が壊れていることは3日目(10月6日)と10日目(10月13日)に書いた。1枚の写真を撮るために10~15秒近くかかる今のカメラで移動する車窓をうまく写せなかった。

PA210196.jpg

PA210197.jpg

 タクシーは今のマニラで最も興味深いルートを走った。次にマニラに来るときは必ずここに来るだろう。ドライバーはとてもよい人でトンドについて解説してくれた。タクシーに乗ったのは正解だった。


キアポを歩いた

 パッシグ川の北にあるサンタクルス教会の前にタクシーを止めてもらった。イントラムロスから歩いてくるとパッシグ川に架かるマッカーサー橋を渡ることになる。キアポの入口である。

PA210202.jpg

 アイセタン・デパートの横の通りは人が多くごちゃごちゃしている。日本の伊勢丹は“ISETAN”であるが、マニラの「アイセタン」は“ISETANN”と、最後に“N”が2つ付く。伊勢丹のパクリであるという説があり、パクリでないという説もある。パクリであることを誰かが勝手に言うことができるが、パクリでないと断定する場合、ネーミングのルーツを知っていないといけない。パクリでないという説の出所がアイセタン・デパートの関係者でなければ、パクリではない。

 アイセタン・デパートについては、上のままで終わってよいのだが、一応調べてみた。

 アイセタン・デパートのルーツはローマン・スーパー・シネラマムという映画館だった。エスカレーターとカーペットを持つマニラ最初の映画館で、席数は1,500あった。映画館は1970年に火災にあっている。経営者は劇場を壊し1985年にIsetannに売却した。Isetannが2人の中国系フィリピン人によって創られた流通業であるところまではわかったが、伊勢丹をモデルにしたかどうかはわからなかった。

 キアポは東京のアメ横のようなところである。人だけではなく商品も多い。道の真ん中に商品台を置きモノを並べるので、歩くのはかなり大変である。その場所を通り抜け、混雑がなくなるとほっとする。

PA210207.jpg

PA210208.jpg

PA210209.jpg

PA210213.jpg

 キアポはパサイのバクラランと並ぶ商店街の並ぶエリアである。

PA210217.jpg

PA210218.jpg

PA210220.jpg

 小さなカフェで昼ご飯。

PA210204.jpg

 キアポ教会に入った。

PA210216.jpg

PA210215.jpg

 親善門。この門を潜ると中華街である。

PA210223.jpg

PA210227.jpg

PA210235.jpg

PA210239.jpg

PA210242.jpg

PA210244.jpg

 雨が降ってきた。ここはハイウェイではないので大沢誉志幸は聴こえなかった。今のところ小雨である。大降りになるかどうかは予想できない。傘を持っていない。駅に向かった。


エドゥサで

 カリエド駅からLRT・Line1のバクララン行きに乗った。終点の1つ手前のエドゥサ駅で下車した。MRT・Line3への乗り換えである。

 乗り換え通路つまり乗り換えの導線は著しく不便である。駅周辺のインフラの設計ミスでないかと思えるくらいである。不便であるがゆえに人がごった返していた。乗り換えることが憂鬱になる駅である。

 MRT・Line3のタフト・アベニュー駅も人がごった返していた。

 マニラの人口増は激しい。巨大な田舎が都市への変貌を遂げる途上にあるのが今のマニラである。この街の不便さは交通インフラをダイナミックに造り直しできないことにある。巨大なショッピングモールをいくつ造っても都市にはならない。それができなければマニラは巨大な田舎のまま終わる。

 マガランス駅を下車した。雨は降っていなかった。

 アルファランド・サウスゲイト・モールのなかのスターバックスコーヒーに入った。

PA210247.jpg

 ホームタウンホテル・マカテイエドゥサにもどったとき、レセプションに寄ってほしいと警備員に言われた。新しい部屋が用意されていた。チェックアウトするまで古い部屋に泊まることを覚悟していたが、よかった。ようやく他の宿泊客と同等の扱いにしてもらえた。

PA210248.jpg

 夜ご飯を食べるため、ホームタウンホテル・マカテイエドゥサを出た。アルファランド・サウスゲイト・モールのなかにあるタパ・キングに今日も入った。すごくうまいわけではないが、食が合わないフィリピンのなかではイチ押しの店である。

PA210249.jpg

 23:41にメールが入っていた。メールの内容が朗報でないことを知ったのは30分後の、11月22日00:01頃である。
スポンサーサイト

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。