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旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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17日目 2017年10月20日 オロンガポ バランガ マニラ

バランガへ

 8:20、ACME・イン・スービックをチェックアウトした。

 ホテルを出たとき目の前にジプニーが停まった。ビクトリーライナーのバスターミナルまで行くらしい。歩ける距離なのだが、ジプニー(とトライシクル)には気軽に乗ってしまう。8ペソ(≒17円)。

 5分でビクトリーライナーのバスターミナルに着いた。チケット売り場には寄らないでプラットホームに向かった。バランガ行きは9:00発である(毎時00分発であることを昨日確認していた)。

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 コーヒーを飲む時間はあるが、すでに多くの人が乗車していた。パンと飲み物を買いバスに乗った。

 バスは定刻に発車した。チケットは車内で買った。70ペソ(≒154円)。バスはオーデイナリーである。マニラの路線バスにはエアコンの導入が進んでいたが、地方の町に普及するのはもう少し時間がかかるだろう。車内は少し暑かった。オロンガポ・バランガ路線はビクトリーライナーが走らせる路線バスである。

 バスは市内を北に走った。昨日歩いたのはバランガ中部と南部で、バスターミナルの北側を歩いていない。市街地は北方面にも広がっていた。

 市内を抜けたバスは山のなかに入っていった。

 下の1枚は、山のなかに唐突に現れた新興住宅地。地名はハッピーバレーとなっていた。

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 出発時満席だった車内は空いてきた。それでも前のほうの席は埋まっていた。フィリピンのバスは前から席が埋まっていく。乗客が10人乗っていれば、前から4列目ぐらいまでの席に全員が座るだろう。前のほうから後ろの席に移動しパンを食べた。

 山を抜けたあとバスは平地を走り出した。南に走っていた。スピードアップしたバスはバランガまで一直線に走ると思っていたが、途中で脇道に入り幹線でない道路を走り出した。そして8kmほど離れた町に立ち寄ったかと思うと、元の道を8kmもどった。オーデイナリーの真骨頂である。最初から決まっているルートなのだが、これで40分ほど余計な時間を費やした。

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バランガを歩いた

 マッカーサー・ハイウェイを走っていたビクトリーライナーのバスはビクトリーライナーのバスターミナルに入らなかった。バスはバターン・セントラルターミナルを終点とした。路線バスとして走るのだからビクトリーライナーであっても例外扱いにしない、そんな感じである。しかしビクトリーライナーのバスターミナルに路線バスを発着させる場所がないということもあり得る。

 バス、ジプニー、トライシクルが集まる大きなターミナルだ。バターン・セントラルターミナル内のバスの発着はすべて近隣の町を結ぶ路線に限定されていた。このバスターミナルからマニラに行くバスはなかった。

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 バスがバランガ市内に入ったとき、ジェネシス・トランスポートの小さなバスターミナルが見えた。あとで行ってみることになるだろう。

 バターン・セントラルターミナルを出てカレロ・ストリートを南に歩いた。

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 300mほどのところにあった橋を渡った。橋の手前からゆるやかな上り坂になっていたが、橋自体は平らである。

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 橋を渡ったところの右手にあったエリソン・ホテル。

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 橋の反対側はゆるやかな下り坂になっていた。進行方向の道路の先にヨーロッパ・テイストの建物が見えていた。フィリピンらしくない。

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 左手の小さなアーチの向こうに小さな商店街はなかった。

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 小さな店をやり過ごして歩いていくとリサール公園に出た。バターン・セントラルターミナルからリサール公園まで500mほどしか歩いていない。リサール公園が街の中心である。

 リサール公園の北側には市庁舎があった。

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 リサール公園の東にあったのはザ・プラザ・ホテル・バランガ・シテイである。バランガでもっともよいホテルだろう。小ぶりであるが、均整のとれたファザードである。センター・プラザ・モールも東側にあった。

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 リサール公園の西にあるのはセント・ジョゼフ大聖堂。低い塀の上に聖人の像が並んでいるのはとても珍しい。

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 リサール公園の南にはガレリア・ビクトリアというショッピングモールがあった。橋から見えていた建物である(7枚上の写真)。

 リサール公園の周辺にはバランガの見どころが集結していた。

 ここまで「リサール公園」と書いてきたのは「地球の歩き方」の表記に倣ったからであるが、雰囲気は公園ではなく「広場」である。正式名は“Balanga Plaza de Mayor”となっていた。スペインの街によくあるマヨール広場である。ザ・プラザ・ホテル・バランガ・シテイというホテルの名称にも「プラザ」の文字が入っている。ヨーロッパ風に、リサール広場という名称が相応しい。

 JPリサール・ストリートにあったバーコンズはスーパーマーケットだ。

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 バーコンズの空にマクドナルドが写った。

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 マーキュリー・ドラッグはフィリピンで最大手のドラッグストアである。マニラでも見かけた。店のなかはコンビニエンスストアのようである。

 パプアニューギニアの最終日から喉が痛い。ドラッグストアに行こうかどうか迷っていたが、ときどき治ったと思える日があるので薬を買っていない。これ以上悪化しない限りフィリピンで薬を買うことはないだろう。

 フィリピン全土にあるSMシテイにマーキュリー・ドラッグは出店していない。両者の間に確執があるからだ。靴の修理屋から事業をスタートしたSMの創業者は、戦後すぐに出店してきたマーキュリー・ドラッグにその場所から追い出されてしまった。現在両者の力は逆転している。フィリピン最大の流通企業となったSM(フィリピンでは、日本のイオングループとセブン&アイ・ホールディングスを合わせたくらいの存在感がある)は自らのモールにマーキュリー・ドラッグの出店を認めていない。SMの創業者(中国系)は旧ダイエーの創業者中内公氏のイメージとダブってしまう。

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 周辺を歩いてみた。ヨーロッパ・テイストのリサール広場を離れると、街は一気にフィリピン・テイストになった。

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 ワナム・レストランに入った。古いタイプの中国料理店である。内装はくたびれていたが、昔流行っていた雰囲気が店内に醸し出されていた。肉野菜ライス。フィリピンはどこにいってもライスがまずい。

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 ワナム・レストランを出て、ジェネシス・トランスポートのバスターミナルに向かった。歩いて10分の距離をトライシクルに乗った。10ペソ(≒22円)だからである。ぜったいボラれないジプニーと95%くらいはボラれないトライシクルを愛している。

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マニラへ

 ジェネシス・トランスポートの、次のマニラ行きはクバオ着でもパサイ着でもなかった。行き先は初めて聞くマニラの地名だった。パサイの近くでニノイアキノ空港にも近いと言われた。パサイ行きなら乗りたいが、到着場所からパサイに出るまでバスに乗るのは面倒である。パサイからはMRTにも乗らなければならない。

 ジェネシス・トランスポートのバスターミナルから30mほどのところにあるバターン・トランジットのバスターミナルに行ってみた。20分後に出るクバオ行きに乗った。長距離バスなのに2列×3列は窮屈だが、高速道路を経由すると記載してあった。クバオ(マニラ)まで200ペソ(≒440円)。

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 13:40、バスは発車した。

 サマット山は標高544mである。頂上には戦争記念館と「バターン死の行進」の十字架が建てられている。バランガの南西方向にあるはずだが、それはバスの走る後方に位置している。サマット山がどこにあるのかわからなかった。車窓にその山が映ることはなかったはずだ。

 1942年4月9日にバターン半島の米軍が降伏した。日本軍は捕虜(捕虜8万人+民間人2.6万人)をカバスまで移送しようとしたが、鉄道のあるサンフェルナンドまでは輸送手段がなかった。多くの捕虜を80kmほど歩かせることになった。降伏時の米軍は食料不足で多くの兵はすでに衰弱していた。バターン半島はマラリアやデング熱の汚染地域で、4月は乾季でもあった。水、食料が不足し、この行軍で1万人程度が死亡した。米国政府は戦争遂行のためこの惨劇を最大限に利用した。これが「バターン死の行進」である。

 フィリピンでは4月9日を「勇者の日」として休日にしている。今年は「バターン死の行進」から75周年目にあたるため、ドゥテルテ大統領が式典に出席し、哀悼の意を述べた。

 14:20頃、ルバオ通過。

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 サンフェルナンドの南のほうの、SMシテイ・パンパンガの近くのバスターミナルにバスは入った。10分ほど停車したあと、高速道路に入った。ここまで北そして北東に走ってきたバスは方向を南東に変えた。めざすはマニラ。

 バスは順調に走っていた。高速道路ではさらに順調に走った。トゥゲガラオからダウまでのとろとろした運転(10月18日)とは異次元の快走である。

 クバオの10kmほど手前で渋滞につかまったが、アラバンからクバオにもどったとき(10月15日)ほどの強烈な渋滞ではなかった。

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 バスがクバオに着いたのは16:40。所要時間は3時間30分を予想していたが、3時間で走り抜けた。


エドゥサに泊まる

 クバオのショッピングセンターのなかのミスタードーナツでコーヒーを飲んだ。10月5日に入った店である。

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 MRT・Line3に乗った。最近のLine3には保守管理の問題が発生している。連結している車両がはずれるという事故もあった。マニラのMRT、LRTの車両は独立しており、乗車中に1編成の車両間を行き来できない。韓国系の会社との保守契約が解除された状態である。

 終点タフトアベニュー駅の1つ手前、クバオ駅から8つ目のマガランス駅で下車した。外は真っ暗になっていた。

 エドゥサに来たのは初めてである。

 マガランス駅はエドゥサ(エビファニオ・デ・ロス・サントス)通りとメトロ・マニラ・スカイウェイが交差する場所にある。エドゥサ通りは常に渋滞を発生させており、メトロ・マニラ・スカイウェイは片側5車線くらいある大きな道路である。メトロ・マニラ・スカイウェイの真ん中をフィリピン国鉄(PNR)が走っている。交差点を対角線に渡るのに10分ほどかかった。

 ホームタウンホテル・マカテイエドゥサはすぐに見つかった。1泊1,202ペソ(≒2,646円)。2泊を予定している。

 新しいホテルなのでよい部屋を期待したが、案内されたのは建物の裏口から入る、スタッフが泊まるような一室だった。がっかりした。空きが出た場合は部屋を変えてもらうことを条件に、案内されたところに泊まることにした。エアコンは付いているし、Wifiは問題なく使えたので特に困ることはなかったが、出入り口は中途半端に開いたガレージだった。

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 交差点を渡ったところにアルファランド・サウスゲイト・モールがあった。新しくないモールは巨大過ぎないという利点を持っていた。スターバックスコーヒー、ジョリビー、チョーキン(超群)、マン・イナサル、ボンチョン、サブウェイなどが入店していた。

 モール内に真新しいファミリーマートがあった。フィリピンでコンビニエンスストアといえば、セブンイレブンとミニストップである。ファミリーマートを初めて見た。売っている商品の価格は、同じモール内にあるスーパーマーケットよりかなり高かった。

 タパ・キング(Tapa King)に入った。タパは牛肉を甘めのタレに漬けたあと、かりっと焼き上げたもの。タパ・キングでタパ・クイーンというメニューを注文した。スパイシーでわりとうまかった。チョーキンもマン・イナサルも好きではないが、タパ・キングにはまた来てもいい。

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 ホームタウンホテル・マカテイエドサにもどった。

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