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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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16日目 2017年10月19日 ダウ オロンガポ スービック

ダウを歩いた

 バギオから乗ったオロンガポ行きのバスをダウで下りたのは2013年8月である。すぐにトライシクルでアンヘレスに向かった。このときダウを歩かなかった。

 今日は少し歩いてみたい。9:30ブリスホテルをチェックアウトした。

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 昨夜、街は荒れていると感じた。そういう雰囲気があったということである。

 今朝ブリスホテル近くで数人のトライシクルのドライバーたちが大声で話していた。みんな若かった。一般的にトライシクルのドライバーは若くない。中年のドライバーたちが集まって、コインを使った賭け事をしている見たことはあるが、若いドライバーたちが集団でたむろしているのを初めて見た。不良化している雰囲気だった。

 トライシクルのあんちゃんたちへの、私のイメージは悪くない。ボったくってやろうという気配を見せたヤツはいるが、みんな一生懸命働いていた。アパリでもトゥゲガラオでもそうだった。

 大通りに出たところで10歳くらいの3人の女の子が金をくれとしつこくついてきた。昔はこういうことがあったが、最近のフィリピンでは記憶にない。インドでは近くにいる大人たちがこういう子供たちを追い払ってくれる。オロンガポで私の横を何人もの人が擦れ違っていったが、みんな無視していた。

 SOGOがあった。赤と黄色の外装が目立つチェーン系のラブホテルで、パサイにもある。

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 ダウはフィリピンの飲食系FCのショールームのような街だった。マクドナルド(2軒)、KFC、バーガーキング、ジョリビー、チョーキン(超群)、マン・イナサル(Mang INASAL)などフィリピンを代表するファストフードが狭いエリアに軒を連ねていた。地元の飲食店はまったくなかった。セブンイレブン、ミニストップも参戦していた。

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 カフェ・ボンジュールは、マクドナルドの駐車場の奥にあった。駐車場には裸足の男の子たちがいた。カプチーノを飲みながら駐車場の子供たちを見ていた。マクドナルドに出入りする客に金をもらおうとしているのかと思ったがそうではなかった。彼らは仕事をしていた。駐車場内に止めようとしている車を誘導していた。「バック、バック、はい停めて」という感じで。手慣れた感じだった。しかし勝手に誘導した子供たちに車のドライバーがチップを払うかどうかはわからない。木曜日の10:00頃のことである。

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 カフェ・ボンジュールのまずいハムチーズ・クロワッサンを食べた。カフェに人が入ってくる気配はなかった。料金が高いのに、フード関係がまずいことが知られているからかもしれない。カプチーノはうまかったけれど。

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 ダウのバスターミナルには物乞いが多かった。バスターミナル内で金をねだられた。

 ダウはファンキーである。そして退廃的である。理由はアンヘレスの近くだからなのだろう。マニラから直接アンヘレスに向かうバスはないはずで、バギオ、トゥゲガラオ、オロンガポ、ラワグ、ビガンなどに向かうバスの一部がダウ・バスターミナルに停車する。


オロンガポへ

 ダウ・バスターミナルからオロンガポに向かう。2013年バギオから乗ったビクトリーライナーはダウ経由のオロンガポ行きだった。

 バスターミナルでオロンガポに行きたいと伝えた。全員が、ビクトリーライナーに乗れと言った。たまには他のバスに乗りたいのだが。ダウからオロンガポまでは140ペソ(≒308円)。

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 ビクトリーライナーは高速道路に入った。1時間30分ほど乗った。

 高速の出口でスマートフォンのグーグルマップを立ち上げた。バスはオロンガポのバスターミナルに直接向かうのではなく、一度スービックのなかに入った。リーサル・ハイウェイを走り、ピュアゴールド・ハーバー・ポイントというショッピングモール前のバス停で停まった。そのあとモールの敷地内を抜け、リーサル・ゲート(クラークとオロンガポの間にあるゲート)を通過した。川沿いを東に進み、マグサイサイ通りを北に走った。マグサイサイ通りの最初のバス停で下車した。


オロンガポを歩いた

 昨夜予約したACME・イン・スービックのチェックイン時刻は13:00である。12:30にチェックインさせてもらえた。建物の安普請さを派手な色合いでカバーしている。写真写りはよいのだろうが、雰囲気はちょっと怪しげである。しかし部屋はまあまあ広いし、(必要ない)テレビは映るし、部屋でWifiはつながるし、石鹸もタオルも付いているし、1,000ペソ(≒2,205円)にしては上出来である。デポジットは500ペソ。フィリピンのホテルでデポジットを取られることは多くない。

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 明日の行き先はバランガだが、バランガへのバスがあるのかどうかを知らない。『地球の歩き方』にはマニラと各都市を結ぶバスの有無を載せているが、不十分極まりない。そういう状態で、マニラを経由しない地方都市間の交通について載っているわけがない。バス路線がないはずはないのだが、ネットでそれを見つけるのは難しい。

 レセプションで尋ねてみた。

 明日バランガに行きたい、バスで行けますか?
 トライシクル!
 
 いくら何でもトライシクルでは行けない。バランガはオロンガポから直線距離で40kmほど離れている。

 私の[バランガ]という発音をレセプションの女性が聞き取れていなかった。オロンガポの地区名を思い浮かべて答えたらしい。そのあと10回ほど「バランガ」という発音の矯正指導を受けた、強制的に。

 [バ] そのままでいいらしい
 [ラ] ([ラ]は[L]の発音。舌を上の歯茎の裏に付ける)
 [ン] ([ン]は鼻に抜ける感じで、小さく発音するかしないかレベル。日本語表記は必要ないかも)
 [ガ] ([ガ]は[ン]といっしょに発音する感じ)

 これで発音は大丈夫よ。ビクトリーライナーのバスターミナルに行けば、表示があるから。
 ありがとう。

 またビクトリーライナーの世話になることになった。ルソン島北部の旅には欠かせない存在である。

 ACME・イン・スービックを出て、マグサイサイ通りを北に歩いた。

 ビクトリーライナーのバスターミナルまで歩いてみよう。そこはオロンガポの中部でもある。

 マグサイサイ通りを北に歩いた。

 おもしろい通りだ。建物の色は派手なのだが、光沢がないので古ぼけた印象が残ってしまう。

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 タトゥー・スタジオ。

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 第二次大戦中、日本の船が連合国の捕虜や民間人を輸送する際に、米軍の攻撃を受け死者を出したケースがある。あるサイトによるとその確定的な資料はないらしい。鴨緑丸はそのなかの一隻である。米国では“HELL SHIP”(地獄船)と呼ばれている。マグサイサイ通りに碑があった。

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 500m歩いてリサール通りに出た。オロンガポの幹線道路である。飲食店はあまりなく、おもしろい通りではなかった。途中、家具店が集まっているエリアがあった。

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 Marikit公園があった。戦闘機と機関車の展示があった。LRT2路線、MRT1路線以外の鉄道がフィリピンで動いていることをほとんどの人は知らない。トンドのトゥトゥバン駅からアラバン駅まで、ナガとシプコットの往復(日本の気動車が使われていた。日本が無償供与したらしく車掌に感謝された)を乗ったことがあるが、それとは別に昔のフィリピンにはさとうきび積み出しのための鉄道があった。

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 機関車のプレートにあった“VICTORIAS MILLING COMPANY”を後日調べてみた。機関車の製造業者ではなかった。1919年に創業した製糖会社で、現在は世界最大級の製糖業を営んでいる。つまりさとうきび畑で使われていた機関車だった。製糖会社は立派なホームページを持っていた。子会社を通じ食品加工、レジャー、不動産などの分野にも進出しているようだ。

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 サンタ・リタ川に注ぐ水路を渡った。

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 サウログトランジットのバスターミナルの先にビクトリーライナーのバスターミナルがあった。サウログトランジットのバスターミナルにはチケット売り場がなかった。

 ビクトリーライナーのバスターミナルは長距離路線(マニラ行き)と周辺路線にターミナルが分かれていた。正しい発音で「バランガ」行きの時間を尋ねた。

 練習の成果があった。一発で通じた。

 4:00から1時間ごとに1本出ている。4:00、5:00、6:00・・・といった具合。

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 ビクトリーライナーのバスターミナル周辺には店が集まっていた。周辺を歩いてみた。チェーン系の店はあるが、地元の店もあった。

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 広場の真ん中に先住民族の像があった。勇敢な「族長アポ」?の像はオロンガポという地名の由来である(とされている)。もっともフィリピンの民族構成は複雑である。ネグリト、原始マレー、古マレー、新マレーの四層構造になっているらしい。

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 チョーキン(超群)で昼ご飯。シュウマイにチャーハン。食べられなくはないが、とくにうまいとは思わない。

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 リサール通りを南に走るジプニーに乗った。黄色のジムニーである。8ペソ(≒17円)。

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 ジプニーはリサール通りを歩いてきた方向に走ったが、マグサイサイ通りには入らずにそのまままっすぐ進んだ。

 川の手前で曲がり、川に沿って東に走ると隣りの人が教えてくれた。スービックのなかには入らないということだ。もしかしたらマグサイサイ・ゲートから入るのかもしれないけれど。

 川に架かる橋の手前で下車しリサール通りを南に歩いた。川を渡ったところにリサール・ゲートがあった。検問はなかった。

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スービックを歩いた

 スービックは米海軍基地だったところである。1992年に米軍が撤退し、広大な土地がいきなり空き地になり再開発の対象になった。経済特区である。

 2014年オバマ米大統領がフィリピンを歴訪したとき、フィリピン政府は米国の船と航空機に基地の使用を認める協定に調印した。中国のプレゼンスに対抗するためである。

 マニラ通りをまっすぐ歩くとスービック湾に出るはずである。そのまま歩いた。

 米軍が撤収した敷地に住宅街と飲食店、店が混在している。小学校もあった。リゾート地に仕上げようという意思を感じるが、やや力不足であるという感じがしないでもない。全体として建物の密度は薄いが、一方でゆったりしているともいえる。

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 点在しているレストランや食堂を見ながら海に出た。スービック湾だ。

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 対岸はスービック・ベイ国際空港である。

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 ウオーターフロント通りを歩いた。ビーチ沿いの道に人がちらほらと歩いていただけである。人の割合と店の数がアンバランスだ。人がこんなに少なくては店の経営は難しいだろう。

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 公園はゆったりと作られていた。敷地が広すぎるのだろう。基地の再開発というのはケタはずれの投資が必要となる。大きな公園や公共施設を作り、マンションを建設し(高層マンションにする必要がない)、ホテル、ショッピングセンター、シネマコンプレックス、スポーツ施設などを誘致してもまだ土地は余る。

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 普天間基地がなくなったあとの宜野湾を想像してしまった。4、5年前、那覇から普天間の地下を通り名護に至る鉄道の計画に予算をつけると発表されたことがあった。鉄道建設は、宜野湾市(普天間)と名護市(辺野古)の基地問題を一気に解決に向かわせるため誰かが知恵をひねり出したはずなのだが、そのあとどうなったのかわからなくなった。

 そうでなくても波打ち際はフォトジェニック、そうであるゆえにかわいそうな犬。インスタ映えを狙った女の子たちのために10分ほど下ろしてもらえなかった。

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 こわかったね。

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 デューイ・アベニュー沿いにあったのはレストラン、カフェだけではない。ホテルもいくつかあった。

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 カジノもあった。

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 クツリームリー・クスプレッソ・カフェに入った。

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 SBMAバスターミナルがあった。歩いているときバスを見かけなかったが、スービック内の一部地域には走っているようだ。スービック国際空港に向かうバスがあった。

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 周辺をぶらぶら歩いた末、地元の食堂に入った。チョーキンよりうまかった。

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 オロンガポからスービックに入るときリサール・ゲートを通ってきたが、もう1つの出入り口がマグサイサイ・ゲートである。18:00頃、マグサイサイ・ゲートには多くの人の流れができていた。スービック側からオロンガポ側に向かう人と逆コースで歩く人は同じくらい多かった。

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 マグサイサイ・ゲートのスービック側にはピュアゴールド・ハーバー・ポイントがあった。ビクトリーライナーのバスから見えたショッピングモールである。オロンガポから入ってくる人たちはこのモールに吸い込まれていった。流行ってないと思われたレストランもこの時間から混み始めるのだろう。

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 マグサイサイ・ゲートを抜け、オロンガポに入った。

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 オロンガポ側にあるSMシテイにあるスーパーマーケット。

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 日本の2、3斤分を1袋に詰めている食パンが、フィリピンの家庭が大家族であることの証明になるのかどうかを知らない。

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 サンミゲルを買いACME・イン・スービックにもどった。

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