FC2ブログ

アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
2018年08月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年10月
TOPスポンサー広告 ≫ 12日目 2017年10月15日 マニラTOPフィリピン ≫ 12日目 2017年10月15日 マニラ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

12日目 2017年10月15日 マニラ

ニノイアキノ空港の前で警察官と

 10:00前、ノマズMNLバックパッカーズホームステイをチェックアウトした。

 パサイ行きのバスに乗ろうとして、ニノイアキノ空港駐車場の前の道路を横断したとき警察官に呼び止められた。「そこを横断してはいけない」と大声で言われた。わかっているが、みんな横断していた。そこを横断しない場合、大幅な迂回をさせられることになる。

 警察官は私に「動くな、待っていろ」と言った。いわゆる難癖というやつである。近づいてきて「旅行者?フィリピン人の奥さんいるの?」と尋ねてきたあと、金がほしいという仕草をした。20年ほど前にはこういう手口が通用していたのだろう。私には初めての経験であるが、警察官の態度はあまりに軽く破壊的に怖くない。もうちょっと迫力を身に付ける必要がある。演技指導してやろうかと思ったくらいだ

 「旅行者で、フィリピン人の奥さんはいない」と答えたあと「もう行くから」と言い、その場を離れた。うしろのほうで警察官は「じゃあ」と挨拶したようだった。くだらない。

 パサイ行きのバスに乗った。料金は12ペソ(≒26円)。

 本格的なフィリピンの旅が始まる。旅のスタートとして馬鹿な警察官の登場は気が利いている。


アラバンへ

 終点のパサイまで行ってしまうとアラバン(Alabang)行きのバス乗り場を見つけるのは面倒くさそうだ。空港を出たバスが、パサイに向かう道路に入ったところでバスを下り、反対側を走っているはずのアラバン行きバスを捕まえるのがベストの選択だろう。時間短縮もできる。名案である。

 隣りの席の人に尋ねた。バスが走っている道路の、反対車線で乗れると教えてくれた。バスを下りてよい場所も教えてくれた。

 バスを下り、少しもどったところにある歩道橋を渡った。反対側のバス乗り場に着いた。

 しかしアラバン行きのバスを捕まえるのは難しかった。

 ↓ここでパサイ行きのバスを下り

PA150004.jpg

 ↓ここでアラバン行きのバスを捕まえられるはずだったが・・・

PA150013.jpg

 そもそもアラバン行きのバスは多くなかった。カビテ行きのバスが走っていた。今日カビテには行かないが、次回の情報収集としては役に立った。

 バスは次々やってきた。長距離バスが多かった。100mくらいある細長い停車場のどこにバスが停まるのかわからない。右往左往というより道路に沿って前後の移動を繰り返した。数十本のバスを見送ったあとアラバン行きに乗ることができた。料金は32ペソ(≒70円)である。

 マニラの中心部を抜けても渋滞はひどかった。

PA150020.jpg

PA150024.jpg

 アラバンまで1時間半かかった。

 アラバンには2度来たことがある。1度目はトンドの近くのトゥトゥバン駅から乗った鉄道をアラバン駅で下車した。アラバン駅の近くに巨大なスラムが見えた。そのうち行かないといけないと「思いつつ」、そのうちはまだやってきていない。そう「思いつつ」あるうちに興味は薄れてしまっている。2度目はルソン島の南にあるナガで乗ったバスが早朝にアラバンに着いたときである。マニラ行きだと思ったバスはまさかのアラバンが終点だった。

 アラバンは交通の要衝である。

 ジプニー乗り場はあったが、目的地に行くジプニーはそこから出ていなかった。アラバン周辺のジプニーの経路が入り組んでいる。すべての主要道路をジプニーが頻繁に行き交い、そうでなくてもわかりにくいジプニー路線はさっぱりわからなかった。

PA150025.jpg

PA150026.jpg

 そのなかでたまたま見つけた走行中のジプニーのフロントに、「カタルニガン」という文字を読み取った。渋滞で停まったところで追いつき、ドライバーにモンテンルパに行くことを確認し乗り込んだ。

PA150061.jpg

 ここからも長かった。アラバン周辺は激しく渋滞していた。5、6kmほどの距離を40分近くかかった。そして下ろされたところはモンテンルパ刑務所のかなり手前だった。

 トライシクルのあんちゃんは、モンテンルパ刑務所までは50ペソ(≒110円)だとおっしゃる。ジプニーを8ペソ(≒17円)で乗っているのだから、ここまで来て50ペソを出すのは嫌だ。

 あっちだ、とみんなが指さす方向に歩き始めた。モンテンルパという呼び方はあまり通じなかった。地域全体を指す名称なので、目的地の伝え方としては適切でないようだ。「ニュービリビッド」のほうが地元の人には通じる。

 途中トライシクルのドライバーに尋ねると20ペソだと言うので乗った。それでも高いのかもしれない。

 トライシクルは最初走っていたビリビッド・ロードを逸れ公園(刑務所の敷地かもしれない)のなかの道に入った。

PA150057.jpg

PA150056.jpg

PA150055.jpg


モンテンルパ刑務所に入ることはかなわず

 昨夜モンテンルパの見どころで検索すると、commercenter cinema、Festival Supermall、Starmallといった施設が上位にランクインされていた。ショッピングモールまたはそのなかにある施設である。1位だと想像していたモンテンルパ刑務所は5位に留まっていた。

 公園のなかの道を700mほど歩くとモンテンルパ刑務所が現れた。別名「ニュービリビッド刑務所」である。地元での呼び名としては、主が「ニュービリビッド刑務所」で、別名が「モンテンルパ刑務所」になる。

 モンテンルパ刑務所は、死刑・無期懲役囚が収容されるマキシマム(重刑犯刑務所)、20年以下の中期有期刑の囚人を収容するキャンプ・サンパダキ(ミディアム)、それらの敷地外にある軽微犯のリビング・アウトに分かれる。

 フィリピン人の学生カップルがなかに入りたいと懇願していたが、撃沈していた。私もなかに入りたいと何度も懇願した。

 ここを見るためだけに来たんです
 10年も前から関心があったのです
 遠路はるばる日本から来たんです
 賄賂払いますけど・・・

 俺はドゥテルテの友だちだから入れろ、とは言わなかった。

 刑務所の門は堅く閉ざされたままだった。実際には門は開いていたけれど、入れなかった。

 うるさい、入ることはできないと強圧的な姿勢を警備員が取ったわけではなかった。ごめんね、入れてあげられないんだ、という態度だった。

PA150035.jpg

 以前はなかに入れたはずである。最近でも建物の玄関内までは入ることができると書かれたサイトがあった。

 ツアーに参加すれば見学できることを知っている。実施しているのはフレンドシップ・ツアーズである。信頼できるツアー会社である。2013年11月**日9:00、マカティにあるオフィスが開いたと同時に掛け込み、マニラからコロン行きの当日午後の航空券を買ったことがあった。しかし刑務所見学のツアー料金はあまりに高かった。料金の割におもしろくないことは確かである。マキシマム(重刑犯刑務所)を見学できるかどうかはわからない。

 入るには周到な準備がいる。事前に刑務所のしかるべき人を通す(そういうルートを開拓する)、入所者にコンタクトを取って面会させてもらうなどである(この方法を模索したことがあったが早々にあきらめた)。そうでなければ犯罪者として逮捕されるしかない(これは考えていない)。

 刑務所の周辺にはなぜか学生が多かった。ボランティアをしているのかもしれない。

PA150047.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モンテンルパ刑務所① 戦犯たちの墓

 モンテンルパ刑務所は、第2次世界大戦後日本人捕虜収容所として使われていた。フィリピン全土で捕らわれた日本人は戦犯か否かの選別をされたあと、ここに送られた。1949年時点での受刑者は死刑囚74人、無期刑30人、有期刑29人。いわゆるBC級戦犯である。日本人捕虜のうち17人が処刑されている。山下奉文将軍は郊外のロス・バニョスで処刑された。日本人捕虜が作詞・作曲した『ああモンテンルパの夜は更けて』(歌手/渡辺はま子)は大ヒットした。近くにある日本人墓地に献花に来る日本人は多いが、私は興味があるわけではない。

PA150036.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モンテンルパ刑務所② 映画『天国から来た男たち』

 2001年に上映された『天国から来た男たち』(出演/吉川晃司、山崎努、大塚寧々、遠藤憲一、及川光博)はよい映画だった。一方、原作となった同名の小説(林洋司)は最低だった。

 フィリピンで逮捕された男の物語の舞台はモンテンルパ刑務所である。映画は刑務所内の実態をリアルに反映したものだった。

 刑務所を扱った映画のなかでは、『天国から来た男たち』『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』が私のベスト3である。ちなみに『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』の原作はともにスティーブン・キングである。

 2002年の日本アカデミー賞最優秀アカデミー賞を受賞したのは『千と千尋の神隠し』である。最優秀賞でないのは仕方がない。しかし『ホタル』や『ウォーターボーイズ』がそれなりに部門賞を取っているのに『天国から来た男たち』はノミネートもされなかった。2001年度のブルーリボン賞にも入っていない。審査員たちは、最後のシーンが気に入らなかったのだ、きっと。

PA150042.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モンテンルパ刑務所③ ドキュメンタリー『世界で一番オシャレな刑務所』

 2007年より開催されているのがアジアンクィア映画祭である。クィア「Queer」は「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であったが、現在ではセクシュアル・マイノリティ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルなど)の人々を包括する言葉として使われている。

 2013年に『世界で一番オシャレな刑務所』(監督/Chun Kit Mak)がこの映画祭で上映された。舞台はモンテンルパ刑務所である。ファッションデザイナーが週に一度この刑務所を訪れ、30人の参加者に服を準備させ、ファッションショーを開くというドキュメンタリーである。この様子を書いた記事を読んだことがあるが、ドキュメンタリーを観ていない。

PA150033.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モンテンルパ刑務所④ ノンフィクション『バタス/刑務所の掟』(藤野眞功)

 1ヶ月ほど前『バタス/刑務所の掟』(藤野眞功)というノンフィクションを読んだ。モンテンルパ刑務所に19年間服役し、ギャング団のトップに昇りつめた日本人、大沢努の記録である。

 刺激的なノンフィクションだった。明治維新後の北海道の道路建設を担った刑務所の過酷さを描いた映画『北の蛍』(監督/五社英雄)とは別の意味で強烈だった。

 旅行代理店から独立した大沢努はパサイの置屋に嵌められ拳銃不法所持で逮捕されたが、父親が金を工面し無罪となったフィリピンでのコネを活かし多くの「ジャパゆきさん」を入国させた。フィリピンでの仕事を継続していくなかで、マルコス大統領の「家族」として認められた。しかしそれが仇となった。

 1986年日本人観光客の「営利誘拐、不法監禁」の罪で再び逮捕された。マルコス政権がエドゥサ革命により打倒されたことによって大沢は「腐敗しきったマルコス残党」としては死刑宣告を受け、モンテンルパ刑務所に収監された。大沢が生き延びたのは、1987年に死刑制度が撤廃されたからである。それによって大沢は無期懲役となった。

 刑務所内の治安はプリズン・ギャングのコマンダー(ボス)と刑務局との折衝により保たれている。それは刑務所側が所内の治安を保つことができないということである。所内では金がいる。金さえあれば何でも手に入る。囚人たちは金を稼ぐために仕事をする。大沢は所内でハンディ・クラフトの仕事を組織することによって成り上がっていった。職人を集め品質を向上させ、日本人向けの輸出ルートを開拓し、所内で勢力を伸ばしていった。そしてプリズン・ギャングのスプートニク(ギャング名)のコマンダーになった。こういういきさつが書かれた本である。

 塀の中は抗争、殺人が常時行われており、疑うことなく金と暴力が支配する世界である。凄惨な事件が数々発生している。

 2005年大沢は出所した。今は浦安で暮らしている。

PA150032.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フィリピンの刑務所/2017年

 2017年7月3日の朝日新聞の記事「フィリピンの刑務所、定員を580%上回る過密状態に」をまとめてみた。

 1年前にドゥテルテ大統領が就任した後、刑務所の入所者が急増し、全国で定員を580%上回る過密状態にあることがわかった。ドゥテルテが強硬な麻薬犯罪の取り締まりを進めているなか、6月半ばまでに麻薬犯罪がらみで約130万人が自首、8万2千人が逮捕された。それによって刑務所や看守の不足が深刻化している。

 フィリピン・スター紙が2日に報じた刑務管理局長の発言によると、2017年6月30日付の入所者は全国に14万2013人。ドゥテルテの就任後に約4万4千人増えた。一方で全国466の刑務所の定員は2万746人分(2016年末時点)しかない。

 さぞかし大変なことになっているのだろう。それでなくてもフィリピンの刑務所の実態はすさまじい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プエルト・プリンセサのイワヒグ刑務所

 プエルト・プリンセサ(パラワン島)郊外のイワヒグ刑務所に入ったことがある。1924年にアメリカ人により建設された塀のない刑務所である。道路からは離れたところにあった。服役者たちは農業をしながら服役していた。見学者に服役者がダンスを披露する刑務所である。「ファーストラブ」(宇多田ヒカル)を踊ってくれた。セブにもダンスを見せてくれる刑務所があるが、入ったことはない。

 キリバスで刑務所を見学させてもらったことがあった。たまたまそこに行く人がいたので連れていってもらった。殺人犯もいる刑務所だったが、農作業をする畑があるのんびりした刑務所だった。

 バングラデシュの刑務所に入ったことはないが、ファーストクラスの刑務所があるらしい。広い部屋があり、秘書がいる服役者も存在する。望みの料理が与えられ、女性が必要になれば、隣の独房でいっしょに過ごすことができる。これはフィリピンの刑務所と同じである。バングラデシュではこのクラスに入所するのは野党の政治犯(政治家)であることが多い。政権が交代すれば与党の自分たちが入所させられる可能性があり、反対派の政治犯を優遇して保険を掛けておくといわれている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大渋滞のマニラを行く

 ジプニーでアラバンまでもどった。帰り道の渋滞は少し解消されていた。

 アラバン・バスターミナルの北にあるスターモールに入ってみたが、すぐに出てきた。

PA150063.jpg

PA150067.jpg

PA150069.jpg

 ジプニーが頻繁に行き交うなかでパサイ行きのバスを探していたら、クバオ行きがやってきたので乗った。

PA150074.jpg

PA150075.jpg

 パサイ→アラバンが32ペソ(≒72円)だったのに対し、アラバン→クバオは60ペソ(≒132円)だった。後者は割高であるが、全体としてはもちろん激安である。

 後者の料金が高かったのは途中で高速道路に入ったからだ。

 バスは順調に走っていた。それは高速道路を下りてもしばらく続いていたが、パサイの手前からは渋滞にはまった。

 なんとかパサイを抜けたバスは、MRT・line3に沿った道路を走った。自転車と競争すれば間違いなく負ける。

 それでもこのままのスピードで進めばよいのだが、バスは止ってしまった。そしてうんともすんともいわなくなった。恐るべきマニラの渋滞。1mも前に進まなくなった。日本でも外国でもほとんど経験したことのない渋滞である。タイヤが道路に張り付いていた。

 ついに運転を止めて道路上に出ている人たちが出始めた。

 一番前に座っていた私はドライバーと話のできる位置にいたが、「クバオまでどれくらいかかりますか?」と尋ねることは無意味だった。そんなことは誰にもわからない。

 3、4人の乗客がバスを下りた。バス停でなくても当たり前のように下りることができるのはフィリピンのバスのよいところである(礼賛しているわけではない)。

 バスの停まった場所をドライバーに確認したうえで彼らに続いて下車した。(前述のように)バス路線はMRT・line3に沿っており、少し歩けばMRTに乗ることができる。

 バスが停まったのは、北に少し歩けばロビンソン・ギャレリア・コンプレックス、南に歩けばSMメガモールがある場所だった。

 南に10分ほど歩いた。MRTオルティガス駅を越えSMメガモールに入った。人は多すぎた。モール内のカフェはどこも一杯だった。

PA150078.jpg

PA150081.jpg

PA150082.jpg

PA150092.jpg

PA150098.jpg
 
 それでもなんとかレストランに入った。ビーフケバブはうまかった。

PA150095.jpg

PA150096.jpg


アパリへの夜行バスに乗る

 MRTオルティガス駅からLine3のノース・アベニュー行きに乗り2駅目のカムニン駅で下りた。

 10月5日に来たところである。ジョリビーでハンバーガーを食べ、ビクトリーライナーのバスターミナル内で菓子を買った。チケットは10日前に買ってあった。

PA150106.jpg

 ビクトリーライナー マニラ 18:30 → アパリ 「**:**」

 上の行の「**:**」には、アパリ到着の時刻を書き入れるつもりだったが、アパリ着が何時になるのかを知らない。おそらく誰に尋ねても正しい答えはない。たぶん翌朝8:00頃だと推測している。

PA150108.jpg

PA150110.jpg
スポンサーサイト

Comment

No title
編集
Maxさん、ベトナムに行ったのは2000年頃です。成田、羽田からホーミチンへの飛行機が飛んでいない時代です。もちろんハノイ便もまだありませんでした。

唯一のフライトは関空・ホーチミン便でした。関空→ホーチミン→ハノイでベトナムに入りました。ハノイからは10日ほどかけてバスでホーチミンに移動しました。

ブログを立ち上げたのは2013年です。2013年以前の旅については一部書きましたが、ベトナムはあまりに昔なので、書いていません。

フエ、ホイアン、ハノイの近くのフォン寺はよかったです。

2018年05月25日(Fri) 19:08
編集
ご無沙汰でございます
近々初めてベトナムに仕事で行くのでベトナムについて勉強中です
映画も一本見ました
日本ーハノイーホーチミンー台北のルートです
アジアンカフェにベトナムは出てきたのですか?
2018年05月24日(Thu) 21:33
No title
編集
Maxさん、ご無沙汰しております。1年以上「アジアンカフェ」を更新していませんでした。その間海外に行っていなかったので、最新の旅ネタもなかったわけで・・・

フィリピンに20日間くらい滞在しようと思っていたのですが、モルディブを追加し、さらにパプアニューギニアを追加したので行ったり来たりしてしまいました。

ラスカルにはまいりました。私のブログを読んだ人はぜったいパプアニューギニアに行かないと思います(笑)。
2018年05月24日(Thu) 03:12
編集
フィリピン、パプア・ニューギニア編読ませて頂いております
モンテンルパ
ですね、ああモンテンルパ
切ない響きです
ポートモレスビーは昔、12CHでやっていた太平洋戦争の攻防戦のフィルムをみて地名は良く存じております
戦略上の要衝ですね
それがラスカルとは...
2018年05月23日(Wed) 21:52












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。