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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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36日目 2017年1月22日 バルセロナ ドーハ

ウルバニーホステルをチェックアウト

 この旅のなかで最悪のホステルだった。宿泊者の層が悪すぎた。早朝の4:00過ぎに部屋にいたのは私ともう1人だけである。12人部屋の10人は外出し(問題ない)、部屋に頻繁に出入りした(一応は問題ない)。そのとき灯りを点け、しばしば声を出していた(マナー、モラル違反である)。

 部屋の宿泊者のうち2人は旅人ではない、おそらく夜の女である。ホステルが客を拒絶することはできない。2人は(おそらく)化粧などをするために、部屋のトイレを1時間半にわたって交代で占拠した(大きな問題である)。

 ウルバニーホステルではないが、レセプションが(24時間オープンではなく)例えば22:00で閉まる場合、そのあとに宿泊者が友人を連れ込んできて、空いているベッドにタダで宿泊させる場合もなくはない。

 昨日もうまく眠れず今朝も同じ状態である。この旅でしっかり眠れなかったのは、このホステルだけである。

 10:00前にウルバニーホステルをチェックアウトした。

 朝からの雨は止んだようだ。気温は低くはないが風が強い。街路に設けられたテーブル席の上のテントが風にあおられ、街路樹が震えている。スペインの旅のほとんどが雨のなかだったが、晴れ間が広がる気配はあった。

 多くの人がランニングをやっていた。長距離ではなく単なるランニングのようだ。何かのイベントかもしれない、今日は日曜日である。最後尾を走る人たちのあとに主催者の車が付いていた。

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 ウルバニーホステルの近くのカフェに入った。メニューにハモン・イベリコがあった。ハモンはハム、イベリコはイベリア半島のことで、イベリアンハムということになる。はたして本物かどうかはわからない。特長のない味だった。

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ランブラス通りの周辺を歩いてみた

 カフェを出たとき青空が見えていた。行きたいところがあるわけではない。ランブラス通りを歩くことにした。カタルーニャ広場の南西側から南に歩いた。

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 通りの東にあるゴシック地区に入った。13世紀から14世紀の建物が残っているエリアである。

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 ゴシック地区にあるカテドラルは13世紀の終わりに建設が始められ、完成したのは1450年である。完成までに150年かかっていることになるが、サグラダファミリアのあるバルセロナではあり得ることだと思ってしまう。カテドラルにはバルセロナの守護聖人サンタ・エウラリアが祀られている。サンタ・エウラリアは、キリスト教の信仰を捨てなかったために、ローマ人によって13の拷問を受け13歳で殉教したといわれている。

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 ボケリアと呼ばれているサン・ジョセップ市場は閉まっていた。閉鎖されているのではないようだ。

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 ランブラス通りの中間点にあるリセウ劇場ではオペラが上演される。ファザードはホテルのようでもあるし市庁舎のようでもある。裏側のラバル地区は治安がよくないといわれているが、それほど悪いとは思わなかった。

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 リセウ劇場の裏のほうを歩いていたらグエル邸の前に出た。

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 レイアール広場は中央の噴水を取り囲むようにレストランやカフェが並んでいた。蚤の市が開催されていた。コインやバッジなどを売っている店(や個人販売)がいくつも並んでいた。街灯はガウディーの作品。以前スリが多かったといわれている。蚤の市を見ているときに被害にあうのだろう。荷物に注意しながら歩いていた。

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 カターニャ広場にもどった。時間が少しあったのでバーガーキングでコーヒーを飲んだ。

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バルセロナ空港へ

 カターニャ広場からバルセロナ国際空港行きのバス(Aerobus)が出ている。バス停に貼り紙があった。乗り場変更の案内である。フライトまでの時間がない場合は焦るだろう。変更場所の地図が貼られていた。その場所はカターニャ広場の400mほど北である。

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 その場所まで歩き、バルセロナ国際空港ターミナル1行きのバスに乗った。

 フライト時刻の3時間前に空港に着いた。カタール航空のチェックインは始まったばかりのようだ。前のほうの通路側の席を希望した。満足のいく席が割り振られた。

 出発ゲート前にあったカフェはマクドナルドだけだった。セットメニューなどがわかりにくい海外のマクドナルドで、自動販売機での注文は便利だった。

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 QR146 バルセロナ16:35発 → ドーハ(+1)00:50


『シン・ゴジラ』と『君の名は。』の日本に帰る

 2016年12月19日の旅日記に、カタール航空の機内で観た映画『シン・ゴジラ』がおもしろかったことを書いた。帰りの機内でも観ようと思っていた。

 やはり石原さとみのシチュエーションは奇妙である。リアリティがあるようで、ない。過剰である演技が成功しているのかどうか判断できない。監督の作為であることはわかるが、結果として1人だけ浮いている。

 辰野金吾が設計し関東大震災を持ちこたえた東京駅は、近代日本の建築が一流であることを証明した。その東京駅をシン・ゴジラは木っ端みじんにした。そして東京駅丸の内側でシン・ゴジラの進撃は止まる。解釈のしようによっては東京駅が止めたということになる。2016年12月19日にも書いたが、その先にあるのは皇居である。シン・ゴジラが破壊した、丸の内側の駅舎の南側から日比谷通りのすぐ西にある堀までわずか300m。そこがシン・ゴジラの停止位置である。

 日本の政治の決断の遅さはカリカチュアとして映画の前半部に凝縮されていた。そこでは平時の日本の政治システムとその動き方を描いていたわけだが、後半に描かれていた、非常時における精鋭科学者たちの切れのよさは秀逸であった。日本の隠れた才能たちが集結しかろうじて日本を救うのである。

 映画の前半部分において、シン・ゴジラ対策のヤシオリ作戦(ポンプ車で「血液凝固剤」と「活動抑制剤」をシン・ゴジラに流し込む)はできあがっていた。それを後半に持ち出してきただけで、日本は見事に平時から緊急時への対応をしたのである。だから映画の評論にあるような、日本の政治システムの決断の遅さは見せかけである。もし本当にいつまでもばかな政治家が居座っていたら(清朝末期の中国のように)、国連と多国籍軍の原爆が東京に落ちていただろう。

 竹野内豊によって語られる、ゴジラの襲撃場所がニューヨークであっても国連は同じ決断をしたという話は人類の生存本能の強さをあらわすものである。

 同時に竹野内が語る「スクラップアンドビルドで日本はのし上がってきた」という言葉については間違っている。むしろ日本は過去のものをスクラップ化しなかった国である。明治維新で残ったもの(残したもの)、戦後に残ったものは多くある。

 石原さとみが、アメリカの協力を「日本は愛されている」と語った。そういう側面がないわけではないと思う。好かれる国を日本人は残したいのだと思う。

 前田敦子が避難民として登場していたらしいが、2度観ても、見つけることができなかった。一避難民が目立ってよい映画ではない。そうだとすると前田敦子はよい演技をしていたことになる。エンドロールは一部の俳優を除いて、あいうえお順に並んでいたので、名前を見つけることはできた。

 コンピュータをつないで、ゴジラ凍結プランのxxxの分量の解析など(ヤシオリ作戦)に世界の協力が得られたのは、人類の未来を示すものである。

 「ヤシオリ作戦」という命名が、『新世紀エヴァンゲリオン』の「ヤシマ作戦」と似ているのは作者が共通だからである。観客が2つを結び付けてマニアックにおもしろがることはおそらく制作側が想定している。

 若い政治家や官僚たちは寝る間も惜しんで頑張る姿は日本のよい一面である。

 ゴジラがなぜ日本に出現したのか。それは『新世紀エヴァンゲリオン』において使徒が日本に現われ続けたのと同じ意味である。

 ゴジラを国連の監視下に入れてしまう。その場合、中国、ロシアも加わることになる。
 日本と共同で対処をしようと米国は提案してくる(この提案を日本は飲むことができる)。
 国連はゴジラを消滅するために原爆を東京に落とそうとする。

 福島での原発事故を経験した日本に、広島、長崎に続く3発目の原爆を落とそうという国連の決定に対して日本政府がどれほどの抗議と反対の意思を示したのかは映画では十分には描かれていない。日本が非常任理事国であるという設定をしたうえで、国連内部に日本人を登場させ、安全保障理事会での攻防を描いてほしかった。

 それができなかったのは全体の上映時間の制約からくるものだろう。しかしこの部分を登場させなかったことによって、国連本部のあるニューヨーク湾に乗り込んで論戦を挑んだ『沈黙の艦隊』の海江田四郎の挑戦より国際政治的な内容ははるかに劣るものになってしまった。

 30年くらい前に大江健三郎が書いていた。『ヒロシマ・ノート』だったと思う(その本はもう私の本棚にはない)。彼は誰かに言われたそうである「3発目の原爆が落ちるとしたら、日本で、だと思う」と。

 シン・ゴジラはゴヤの『巨人』なのか。プラド美術館が、この画はゴヤではなく弟子の作であるとしているのだが、画のなかの巨人は村を破壊しようとしていない。それどころか外敵から村を守ろうとしているように見える。逃げ惑う人たちは巨人の後ろでパニックになっているので、巨人から逃げようとしているようではないように思える。その逃げようとしている人々のなかに1頭の白い馬だけが立ち止まっている。それがゴヤだと言われていた。

 福島の原発事故を世界がどう眺めていたのかを如実に表現した映画だった。5年以上が経った今、シン・ゴジラがそれを気付かせたといっていいかもしれない。

 現在の自衛隊の装備では想定外の災厄(シン・ゴジラ)にたいして力不足であるというのは、中国、ロシア、北朝鮮に隣接する日本の地政学上の位置を勘案すると、アイロニーでさえある。自衛隊と米軍との力の差というのは対シン・ゴジラにたいして使用した武器の差によって明らかになってしまった。それは空母を保有している、していないというレベルの差ではなかった(もっとも米軍もシン・ゴジラにたいしては無力だった)。解決したのは、日本の異端の頭脳たちとインターネットによる世界の連携であった点に日本と世界の未来があるのかもしれない。

 最後のテーマはシン・ゴジラの進撃がなぜ東京駅で止まったのかということだろう。新幹線や在来線を突っ込ませ、ビルの倒壊でゴジラの口元に凝固剤を投入するためには、その場所が高層ビルのある駅である必要があったからであるというのは映画都合上のことである。しかしおそらくそういうことではない。

 問題は、東京駅の西側に皇居があるということである。つまりなぜ皇居の手前で、進撃のシン・ゴジラは止まったのか。皇居を破壊していたら世論の反対や右翼の街宣車の攻撃を受けて興行に影響を及ぼすという阿呆な話でもない。

 進撃のシン・ゴジラはとにかく皇居前で止まるのである。

 現実世界で、つまり2011年3月11日に東日本大震災が皇居直下で起こり、近隣に原発があったなら、2Q16年の映画でシン・ゴジラは東京駅を越えて皇居に進撃していただろう。

 2016年10月に『君の名は。』(監督/新海誠)を観た。

 『シン・ゴジラ』は2016年を代表する映画であるが、『君の名は。』には劣る。社会性が欠如している『君の名は。』の、マーケティングは大成功した。成功のカギは若年層にターゲットを絞った広告宣伝の手法にあると思うが、上の年齢層が観ても、十分理解できる内容である。上映中である現在、追加のマーケティングを行うのなら、年齢層を上げて訴求してほしい。一方、内容豊富な『シン・ゴジラ』は若年層には古すぎるだろう。

 東日本大震災を想起させるのは2つの映画の共通項である。それは2つの映画が意図的に映像のなかに取り上げたからというより、大震災が日本人の精神の深底部を揺さぶったからである。

 私たちは2011年3月11日をようやくかたちあるものに昇華しようとしている。それはハードウェアではない分野で、という意味である。

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