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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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35日目 2017年1月21日 バルセロナ ジローナ

バルセロナ動物園。そこにいたのは「白のライオン」だったのか。

 ♪白のパンダを どれでも 全部 並べて~♪ 

 『アジアの純真』を聴くたびに思い出す。そこにいたのは「白のライオン」あるいは「白のゴリラ」。

 1983年のクリスマス、私はバルセロナ動物園のなかを速足で歩いていた。

 このときバルセロナが2度目だということもあり、バルセロナ動物園に直行した。目的は白いライオンを見ることだった。

 動物園の入り口にあった案内図で、ライオンは一番奥にある檻にいることがわかった。珍しい動物は奥に配置するのだ、奥にあるのは当然である。他の動物には目もくれず動物園の奥に突き進んだ。掻き分けるはずの人混みはなかった。動物園はがらがらだった。

 ライオンの檻を見つけた。檻のなかに白いライオンはいなかった。しかしライオンはいた、当たり前である、そこはライオンの檻である。普通のライオンだった。目を見開いてまじまじと見た。冬の淡い光のなか、毛の色を観察した。普通のライオンは普通のライオンらしい色をしていた。

 ひどいじゃないか。わざわざ見に来たのに。

 ライオンの檻の左隣りに別の動物の檻(何の動物か忘れてしまった)があり、その横に別のライオンの檻があった。そうか、その檻にいるのが白いライオンなのだ。

 もう1つの檻に入っていたライオンはさっき見たライオンより、やや、ほんの少しだけ、無理に比べてみればわずかに白かった。

 きっとこいつが白いライオンなのだ、そう思うしかなかった。そのとき2つのライオンの檻を3往復くらいしたと思う。

 白いライオンといいながら、この程度の白さだから客を呼べないのだ。ダメな動物園だ。そう解釈した。

 このときバルセロナ動物園では「世界のヘビ展」をやっていた。ライオンに満足できなかったので「ヘビ展」を見て帰った。トラもサルもゾウもサイもワニも見なかった。ゴリラも。

 真相に気が付くまでに多くの時間がかかったわけではなかった。3ヶ月ぐらいあとになって知った。バルセロナ動物園にいたのは白いゴリラだった。

 バルセロナ動物園にいるのが白いゴリラであることを(最初は)知っていたのだと思う。白いゴリラを見るつもりでバルセロナにやってきたのだ。それがいつの間にか、おそらく南フランスのエクス・アン・プロヴァンスやセートを旅しているときに、白いライオンにすり替わってしまったのだ。なんとなくそうなってしまったとしか思えない。スペインのガイドブックをそのとき持っていなかった。

 2017年1月21日の今日、再びバルセロナ動物園に行くことはできる。しかし行くつもりはなかった。


あのときの川の街、ジローナ

 時間を24時間ほど前にもどす。同じ1983年の、バルセロナ動物園に行った日の前日、つまりクリスマスイブ。

 南フランスから列車でスペインとの間のポルトボー国境を越えた。地中海を見下ろす国境である。その日フィーゲラスで下車しダリの絵を見たあと、列車でバルセロナに向かっていた。

 列車はスピードを落とし川を渡った。まもなく町に入るようだった。その川の周辺にくすんだような町があった。車窓に釘付けになった。どこなのだろう、何という町なのだろうと思った。下車するかどうかを迷った。列車は少し進んで駅に入っていった。夕暮れだった。その頃宿泊先の予約をしておくということは考えもしなかった。着いた町の駅周辺でホテルを探すのは当たり前だった。バルセロナの宿泊先を決めていなかった。だから川のある町で途中下車してもよかったのだ。

 私は下車する決断ができずにバルセロナまで乗ってしまった。白いライオンを見るために。

 あとで調べたその町の名はジローナ(Girona)だった。名前はすぐにわかったが、そのあとずっと放りっぱなしにしていた。ジローナという名前は頭のなかから消えなかった、くすんだ夕暮れの風景とともに。しかしスペインに行くことは今日までなかった。

 今日バルセロナ動物園には行かないが、ジローナには行ってみる。


列車でジローナへ

 早朝の暗い道を歩いて地下鉄ウニベルシタ駅に着いた。地下鉄1号線に乗りエスパーニャ駅で3号線に乗り換え、サンツ・エスタシオ駅に着いた。バルセロナの地下鉄の駅は暗いうえに案内の掲示が十分ではなかった。地下鉄エスパーニャ駅での乗り換えで歩かされた。地下鉄サンツ・エスタシオ駅からRENFE(スペイン国鉄)サンツ駅までも随分歩いた。

 RENFEのサンツ駅は空港ロビーを思わせる近代的な駅だった。ジローナ行きのチケットを買うため、あるチケット売り場に並んだが、そこは優等列車専用のチケット窓口だった。別の窓口でチケットを買った。ジローナまでの往復は16.8ユーロ。1日数本ある中距離用の一番安いチケットである。列車番号や発車時刻の印字はされていなかった。AVEやAVANTで行った場合の所要時間は38分であるが、私の乗る列車は1時間36分かかる。

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 ジローナ行きの列車は13番線か14番線からの発車になっていた。この2つの番線の改札は他のプラットホームと別になっていた。

 15842 R11 バルセロナ8:46発 → ジローナ10:22着

 [R11]の[R]は[Regional]である。行き先はCERBEREとあった。まさかと思い調べてみた。ポルトボーの1つ先(東)の、フランスの駅である。列車はうつくしいポルトボー国境を越えるのだ。

 列車はバルセロナ市内を地下線路で抜け、地上に出た。鉄道脇の塀や壁には落書きがあふれていた。これほど多くの落書きのある街を知らない。アテネも多かったが、それ以上である。

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 つまらないと思われたバルセロナの郊外の風景は、ジローナに近づいた頃、それほど悪くないと思えるようになっていた。列車はCERBEREに向けて走っていた。途中、新線を走る高速列車が追い抜いていった。

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ジローナを歩いてみた

 ジローナ駅前に立った。雨が強く降っていた。傘を持ってこなかったのは明らかに失敗だった。

 ジローナの駅舎は何の変哲もない横長の建物だった。駅の東を通っているバルセロナ通りを北東に歩いた。Glan Via de JauneIが交わってきたところから東に延びる通りを歩いていくとオニャー川に出た。

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 1983年に見た川らしい。建物にある住宅はくすんだ中世のもののように思っていたが、そうではなかった。それは私がそういうふうに思っていたというだけである。駅に入る手前で、列車がスピードを緩めていたとはいえ、私が見たのは一瞬である。それにそんな古い記憶があでやかであること自体がおかしい。だから今日その場に立ってみたところで、どうせがっかりするだろうと思っていた。

 住宅のある建物は黄色やオレンジ色などカラフルだったが、光沢はなく抑えられた色調だった。

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 がっかりはしなかった。なにかが埋まった、そういう感じだった。

 橋を渡って旧市街のほうに歩いてみた。古く暗い建物の石畳を歩いた。

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 雨が止む気配はなかった。ところどころで建物の軒で休みながら、再びオニャー川の橋を渡り新市街に出た。

 鉄道の高架が見えてきた。新市街側の鉄道橋のふもとに立ってみた。列車の窓より6、7mほど低いが、1983年に見た風景とほとんど同じ場所である。ただそういうことをしてみただけである。

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 オニャー川にはいくつかの橋がかかっているが、最初に渡った古い魚屋の橋以外におもしろそうな橋はなかった。鉄道橋のすぐ近くで見つけたツーリストインフォメーションで地図をもらった。雨が弱まる気配はなかったので、ツーリストインフォメーションに少し居させてもらった。ジローナに来る日本人は増えていると若いスタッフは言っていた。

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 ツーリストインフォメーションの隣りのカフェに移動した。しばらくそこにいたが、いつまでもカフェに居られない。仕方がないので動き出すことにした。

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 「地球の歩き方スペイン」を持ってきていない。昨夜ウィキペデアで検索して見つけた5つほどのスポット(サンタ・マリーア・デ・ジローナ大聖堂、旧ユダヤ人居住区、アラブ人浴場、リベルター通り、独立広場)をメモしてきていたが、そこに行きたいわけではなかった。

 もらった地図にはカテドラル、バシリカ・サン・フェレイユ、アラブ浴場などが載っていた。カテドラルとは、サンタ・マリーア・デ・ジローナ大聖堂のことなのだろう。カテドラルに入ることができなかった。

 BASILICA DE SANT FELIUとEL MUSEU TRESOR DE LA CATHEDRALが共同で「ジローナ/スペイン」という常設展をやっていた。

 カテドラルとオニール川周辺を歩いてみた。旧市街は中世のようであるが、オニャー川沿いにある建物はそうではなかった。新市街の郵便局の近くにプラサ・デ・インデペンデンシアがあった。広場を囲むようにレストラン、カフェが軒を連ねていた。

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 派手ではない、落ち着いた街である。

 13:00に駅前にもどってきた。街歩きを終えたとき、雨は止んでいた。駅の近くのビュッフェのようなカフェに入った。バッグの表側のポケットに入れてあった地図や紙類は、雨が浸みてびしょびしょになっていた。昼ご飯を食べながら、バッグのなかの紙類を外に出して乾かした。

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 最安値の往復チケットを買ってある私が乗車できる列車は多くない。14:19発の次は15:36発になってしまう。

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 下の1枚はジローナ駅の、向かい側ホームにあった案内板[フィーゲラス フランス国境]。行きたくなった。

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バルセロナにもどった

 ジローナ14:19発 → バルセロナ15:39着

 思ったより早くバルセロナ・サンツ駅にもどって来ることができた。サンツ駅から1.5kmほどの距離にある場所に行くことができそうだ。明日の朝ウルバニーホステルから出かけるよりは近い。

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 サンツ駅の東北側にあったサンツ・バスターミナルにはユーロラインズやアルサなどのバスが停車していた。そこから北に歩いて、マドリット通りに入った。西に1kmほど歩いた。途中のアパート群は高さが10階建てで統一されていた。それぞれの建物は個性的でここがバルセロナであることを感じさせてくれる建築群だった。

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 グラン・ビア・カルロス3世通りを過ぎたところを北に歩いた。何の変哲もない住宅群のなかにそれは出現した。


カンプ・ノウ・スタジアムに入ってみた

 巨大な円形の駐車場のようだった。日本の地方にあるショッピング・モールといってもいい。外観はぱっとしなかった。しかしネイマールとカタール航空が迎えてくれた。カタール航空の機内で、FCバルセロナのメンバーが演じている「機内での注意事項」の映像を初めて見たときはおもしろかったが、何度も見れば飽きてくる。明日と明後日の帰国便でも見ることになるだろう。バルセロナのスポンサーは2006年のUNICEFが最初で、そのあとカタール財団、カタール航空と続いている。

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 来年度からは楽天のロゴがネイマールのユニフォームに入ることになる。

 FCバルセロナの見学ツアーはネットで予約しなければならないとネット上に書かれていた(と思う)。だからスタジアムを一周して帰るつもりでいたが、当日でも見学ツアーに入ることはできた。

 この日入場は特別に制限されているようだった。ピッチに入れないかもしれないと言われた。どこかのVIPが来ているらしい。(彼らの)視察が終われば問題ないようではあるが、入場料を払ってまで入る価値があるのかどうかを迷った。サン・シーロ・スタジアムではインテル側には入れないと言われたのに続いてである。

 入場料は25ユーロという高さである。15ユーロのサン・シーロ・スタジアムより高いが、入ることにした。

 サン・シーロとは雲泥の差だった。展示物があまりない殺風景なサン・シーロに比べ、カンプ・ノウは、FCバルセロナを誇りに思い応援しようという内容に満ち溢れたものだった。博物館では、FCバルセロナの歴史上の展示物(トロフィーなど)が並んでいた。そういった展示物や掲示をじっくり見ている人は大勢いた。

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FCバルセロナとリバウド、ペップ、ロナウジーニョ、メッシ

 FCバルセロナに注目し始めたのは、2000年頃からである。レアルマドリードやバレンシアに負けていたときである。ゴム人間と呼ばれたリバウドがチームの中心だった。いつも哀し気な顔をした寡黙なブラジル代表はサポーターから批判を浴びていた。

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 レアルマドリードにはジダンをはじめとしたタレントが揃っていたが、ロナウジーニョはまだパリ・サンジェルマンにおり、デコはポルトにいた。勝利のためのパス交換ができるチームメイトにイニエスタはまだ巡り合えていなかった。FCバルセロナにはもう少し時間が必要だった。

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 ポゼッションを完成させるために“ペップ”はやって来た。ジョゼップ・グアルディオラである。ペップは、ジュゼップの愛称である。ペップはFCバルセロナ快進撃のための、パズルの最後のワン・ピースだった。

 名将ペップは、バルセロナ以外を勝たせることはできないという評価を得てしまった。どのチームをも勝たせることができるという、モウリーニョとは異なる表現の評価である。そしてFCバルセロナはペップによって110年を越える歴史のなかで黄金時代を迎えることになった。

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 ロナウジーニョを追い出すように退団させてしまったのは残念でならない。ロナウジーニョとメッシのパス交換をあと2年くらいは見たかった。

 カンプ・ノウにはバルセロナのユニフォームを着ている人たちがいた。FCバルセロナを愛する人たちである。サポーターというのはこういうものなのだ。宝塚歌劇団などにも強烈なファンはいるのだろうが、FCバルセロナは限定された少数ではなく、国境を超えたサポーターがあまねくいる。

 スタジアムの外の建物が博物館やオフィシャルショップになっており、そこからスタジアムに入場できる。

 サン・シーロを見ていたせいか特に感激はなかった。スタジアムはどこも同じである。

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 一方で、FCバルセロナの商魂はすさまじかった。カメラの前でみんな写真撮影をしていた。詳しくは見なかったが、撮影した自分の写真の背景にカンプ・ノウ・スタジアムを合成するなどの加工を施し、最後に購入させるというものである。写真のなかで自分の姿を加工することももちろんできる。何人もが順番を待って写真撮影をしているなかで、そこをスルーしたのは私だけだった。

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 グッズは一様に高かった。1本100円程度のボールペンにキャラクターをプリントし3倍で売るディズニーストアと同じである。

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 スタジアムを出てきたときに思った。そういえばルイス・フィーゴの写真がなかった(見逃しただけかもしれない)。彼はレアルマドリードに移籍した。

 ライバルチームであるインテルとACミランの両方に所属したフットボーラーはいる。ジュゼップ・メアッツァはもちろんバッジョ、セードルフ、ロナウド、イブラヒモビッチなどである。レオナルド(元鹿島アントラーズ)は両チームの監督に就任したことがあるが、それほど批判されなかったように思う。

 FCバルセロナからレアルマドリードに移籍したドリブラーを許せなかったのかもしれない。

 明日FCバルセロナは、乾貴士が所属するSDエイバルと対戦する。スタジアムはカンプ・ノウではなく、遠く離れたバスク州ギプスコア県エイバルにあるエスタディオ・ムニシパル・デ・イルプーアである。

 結果を2日後の、1月23日のドーハ国際空港での乗り継ぎの際に知ることになった。

[1.22 リーガ・エスパニョーラ第19節 エイバル0-4バルセロナ]  ゲキサカ 1/23(月) 6:37配信

 リーガ・エスパニョーラ第19節3日目が22日に開催され、MF乾貴士が所属するエイバルとバルセロナが対戦。前半32分にMFデニス・スアレスのゴールで先制したバルセロナが、後半に3点を加点して4-0の完封勝利を収めた。11試合連続先発出場を果たした乾は後半33分までプレーしたが得点には絡めなかった。

 昨年の12月21日にアンドラからもどった時刻に、カンプ・ノウでスペイン国王杯(Copa del Rey)が行われていた。対戦相手のエルクレスCFは3部(ゼグンダ・ディビジョンB)所属のチームである。FCバルセロナはターンオーバーを行うので、メッシ、ネイマール、スアレス等は出場しないだろうと判断した。高齢化してきたイニエスタも休ませるだろう。その結果がどうなったのかを今も知らない。この日のチケットはそれほど高くはなかった。売れ残っていたかもしれない。

 リーグ・オブ・アイルランドは3月から10月の間しか試合がないことを旅の途中で知った。

 フットボールが行われている土曜か日曜のどこかの街が、旅先であることは思った以上に難しかった。

 カンプ・ノウ・スタジアムを出た。500mほど南にあるバダル駅から地下鉄5号線に乗った。Placa de Sants駅で1号線に乗り換え、ウニベルシタット駅で下車した。
 
 パエリアを食べるためにレストランに入った。なぜかサンミゲルがメニューにあった。

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 レストランに備え付けられていたテレビではフットボールの中継をやっていた。プレミアリーグの映像を流すヨーロッパの国が多いなかで、スペインではもちろんリーガ・エスパ二ョーラ(レアルマドリード対マラガ)の試合が中継されていた。
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