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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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24日目 2017年1月10日 パルマ ミラノ

ミラノに移動 セントラルホステルミラノにチェックイン

 7:30頃、ヨーロピアン・ルームズをチェックアウトした。

 1月5日から毎日、鉄道で北イタリアの街を移動してきた。今日はその最終日になる。最後の街はミラノである。パルマ駅でチケットを買った。列車の種類はR(レジョナーレ)である。11.1ユーロ。

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 R2986 パルマ8:16発 → ミラノ9:50着 
 
 1月5日にもチューリヒから乗った列車をミラノ駅で下車した。5日振りのミラノ駅である。

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 セントラルホステルミラノは駅の東北方向10分のところにある。リュックを置かせてもらうつもりだったが、チェックインできた。

 部屋はレセプションのある場所ではなかった。目の前のアンドレア・ドーリア通りを渡ったところの35番の建物の4階の一室だった。同じ敷地内の離れにあるとか、上の階にあるとかということではない。こういうホステルは初めてである。

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 チェックアウトの際には、鍵はベッドの上に置いておいてくれ。これも初めてである。


サン・シーロへ

 レセプションのスタッフは親切だった。地図を使ってミラノの歩き方を説明してくれた。サン・シーロへの行き方も確認できた。持ってきた「地球の歩き方イタリア」は2014~2015版である。メトロM1線(リネア・ロッサ=赤線と呼ばれている)のロット駅から歩くつもりでいたが、M5線が開業になっていた。さっきもらった地図には建設中となっていたが、スタッフは、もう開通していると言っていた。

 セントラルホステルミラノから2分くらいのところにあるロレート駅からメトロM2線に乗った。4つ目のガリバルディFS駅でM5線に乗り換え10駅目のサン・シーロ・スタジアム駅で下車した。M5線の終点駅である。

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ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム

 8万人を収容するサン・シーロ・スタジアムはACミランとインテル(インテルナツィオナーレ・ミラノ)のホームスタジアムである。サン・シーロ・スタジアムというのは、かっての名称である。ジュゼッペ・メアッツァ(選手)が亡くなったのを機会にその功績をたたえ「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」という名称になった。

 インテリスタ(インテルのサポーター)はジュゼッペ・メアッツァ・スタジアムと呼ぶが、ミラ二スタ(ミランのサポーター)はサン・シーロ・スタジアムと呼ぶ。同じ建築物にたいする呼び名が異なる、日本ではそう言われてきた。

 ジュゼッペ・メアッツァのクラブ在籍期間は、ミランよりインテルのほうが長い。だからインテリスタはジュゼッペ・メアッツァ・スタジアムと呼び、それに対抗してミラ二スタはサン・シーロ・スタジアムと呼んでいる。しかしどうやらこれは日本でのみ言われていることのようだ。インテリスタも馴染のあるサン・シーロと呼んでいるようである。

 スタジアムはミラノ市の所有でそれぞれのクラブが所有しているわけではない。仮にミランが所有しているのなら、インテルは別のスタジアムを借りることになっただろう。逆も同じようになるだろう。


今日はインテルの控室には行けません ミランだけです

 駅を出たところに巨大なスタジアムがあった。ガイド付きツアーの入口を探した。8番ゲート前にはプレハブの簡易オフィスがありチケットを販売していた。

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 チケット窓口で言われたこと「今日はインテルの控室には行けません。ミランだけです」。

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 インテル側に入れないことは残念であるが、文句を言っても始まらない。

 長友佑都と本田圭佑がそれぞれインテルとミランに在籍しているのは今年で最後になる可能性が高い。長友佑都は昨年契約を更新したが、本田圭佑は半年の契約期間を残したこの1月にも移籍の可能性があり、契約満了となる6月には別のチームに行くことになるだろう。2人がいるときにサン・シーロ・スタジアムに入っておきたい。

 スタジアムの前に博物館があった。かなり期待していたが、はっきりいって拍子抜けである。ユニフォームを展示するのはいいが、いつのときのユニフォームなのかといった解説が必要だろう。バッジョやカッサーノはミラノとインテルの両方に所属していたことがある。短い時期ASローマで中田英寿の同僚であったカッサーノのユニフォームを飾る価値があるとは思えない。

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 博物館を出た。いよいよスタジアムである。ガイド付きツアーとなっているが、ガイドがいるわけではなく、ルートに従って勝手に回るようになっている。ところどころでスタッフが先に進むように誘導してくれるのだが、スタジアムに入ったところで、案内されるままに進まなくてよかった。

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 通り道から少し逸れたところにレリーフがあった。ジュゼッペ・メアッツァである。

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# we are ac milan

 ミラン側の選手控室に入った。そこにはミラン風の控室とミラン色の椅子があっただけである。せめてどの席を誰が利用しているのかという表示がほしかった。ミランの10番の椅子はわからなかった。

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 ピッチに続く通路である。伝説のジョカトーレの写真が壁に貼られていた。

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 フットボール専用スタジアムのピッチと観客席の近さがすばらしい。芝を伸ばすためなのだろう、ピッチの半分で電灯が付けられていた。

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 椅子は簡素なものだった。そろそろ新しいものに変更したほうがいいと思える席もあった。

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あの頃のインテルナツィオナーレ・ミラノ

 インテルの控室に入れなかったのは本当に残念だった。インテルについて少し書いておく。

 ロナウド(クリステイアーノでない、ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマつまりブラジル代表のほう)がいるときのインテルが好きだった。しかし勝てなかった。その頃のインテルはタレントが豊富で個人技に走り過ぎ、勝手にやっているという印象があった。ユヴェントスには勝てなかった。そのあとクレスポやベロンなどのアルゼンチン勢が中心となった頃から興味がなくなっていった。勝てなかったのはこの時代だけではなく、長い間ずっと勝てなかった。インテルの黄金時代は1960年代である。

 蘇ったのは2005-2006シーズンのセリエAの優勝からである。もっともこのシーズンに発覚したカルチョ・スキャンダルによって1位のユヴェントスは優勝をはく奪され、2位のACミランが減点となり、繰り上げ当選でインテルは優勝となった。そこからはインテルはセリエAを5連覇することになった。強烈な印象を残したのはモウリーニョが監督になり、エトー、ミリート、スナイデル、モッタ、ルシオを獲得したあとだろう。2009ー2010シーズンはセリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグを制覇した。セリエAでは5連覇となった。

 このシーズンを最後にインテルは低迷するようになっていった。残念ながら長友佑都の移籍は、直近の低迷時代とすっかりかぶってしまった。

 サン・シーロ・スタジアムのカフェで食べてみた。なす、きゅうり、じゃがいものサラダはうまかった。

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 カフェはどこにでもあるふうだった。ミラン色にもインテル色にも染まっていなかった。日本のプロ野球のような細かいマーケティングはないといっていいかもしれない。14番ゲートが出口になっていた。

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(参考)“これは私たちそのものです”。国境のスタジアムで。1998年8月 ジョホールバル


ドゥオーモとヴィットリオ・エマヌエール2世のガッレリア

 メトロM5線に乗った。3つ目のロット駅でM1線のセスト駅行きに乗り替え、8つ目のドゥオーモ駅で下車した。

 36年前の印象はぼんやりと蘇った。天空に針の山が切り立つ五角形のハリネズミ。

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 ドゥオーモ周辺を歩き回った。もちろんヴィットリオ・エマヌエール2世のガッレリアにも歩いてみた。

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イタリアのピザはなぜうまいのか

 ミラノは見どころの多い街ではないが、リストランテはあちこちにあった。どこも客が入っていた。さすがミラノである。ピザを食べた。

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 イタリアに来たら毎日ピザを食べようと思っていた。しかしボローニャ、リミニ、ラヴェンナ、フェッラーラ、モデナ、パルマといった中小都市ではリストランテを探すのは難しかった。ピッツェリア、ターヴォラ・カルダ(大衆食堂)、ロスティッリア、カフェテリアなどはどこにでもある。そこでは出来合いのピザが何等分かに切り分けられ売られている。そういうピザを一切食べなかった。毎晩ピザ窯でピザを焼く店を探したが、店はあまりなかった。

 イタリアのピザがなぜうまいのか。トマトソースが特別においしいというわけではない。モッツァレッラ、ゴーダチーズ、ピザ用チーズなどチーズの種類にその要因があるわけではない。おそらくチーズの量が過剰なのである。

 出されたピザは切り分けられていない。ピザカッターは付いていないので、ナイフで切ることになるのだが、1分以内で6等分なり8等分にすることは不可能である。2つに分けるだけで3、40秒かかる。ピザ生地が固いからではない。ナイフにチーズがからまりピザが切れなくなるのである。それほど過剰なチーズがのっている。

 テレビでジローラモさんが言っていた。イタリア人はわいわい話しながらピザを食べる。チーズで手を汚しながらピザを食べる。それほどチーズはたっぷり使われている、と。そのとおりだった。

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ネットにつないだときに

 ドゥオーモ駅でメトロM1線に乗り、5駅目のロレート駅で下車した。

 セントラルホステルミラノにもどった。

 ネットにつないでいたとき、重要なことに気が付いた。それについては明日の旅日記の冒頭に書くことになるだろう。
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