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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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21日目 2017年1月7日 リミニ ラヴェンナ フェッラーラ

リミニからラヴェンナへ

 ラヴェンナ行きのチケットは昨日の朝、ボローニャ駅で購入してあった。列車を待っている時間に、次の目的地までのチケットを購入するというのは時間のつぶし方として悪くない。

 ラヴェンナまでは4.75ユーロ。同区間には18.85ユーロという優等列車が走っていた。列車本数は1日17本である。

 チケットには列車番号、発車時刻などは印字されていなかった。駅にある自動検札機(オップリチラトリーチェ)に通す。これをやっておかないと車内の検札時に罰金をくらうことになる。

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 ホームに乗客はほとんどいなかった。乗った車両には私しかいないというのは海外では気楽な旅にはならない。周囲に人がいないのは、下りる駅を誰にも聞けない。

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 R6516 リミニ7:36発 → ラヴェンナ8:27着

 車内での検札はなかった。数人に満たない列車に車掌を乗せる意味はない。

 チェゼナティコを過ぎ、チェルビア辺りを走っているとき、列車の左手に沼が見えた。


ラヴェンナを歩いてみた

 終点のラヴェンナで下りたのは3人だった。駅舎はこじんまりしておりイタリアらしくなかった。駅舎のなかに荷物預かり所もコインロッカーもなかった。

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 駅舎を背にしてまっすぐ前に歩いた。方向は西である。ローマ通りを通過したところで道は狭くなったが、そのまま歩き続けた。両側の建物は3階建てで統一されていた。モダンな雰囲気である。

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 駅から10分ほどでポポロ広場に出た。ラヴェンナのへそであるが、大した広場ではなかった。

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 道路にサン・ヴィターレ聖堂への案内矢印があったので、その方向に歩いた。地図から目を離したので途中どこにいるのかわからなくなったが、道を尋ねながら9:00前に目的地に着いた。サン・ヴィターレ聖堂は閉まっていたが、横にあった国立博物館は開いていた。

 チケット売り場では、国立博物館、テオドリック王の廟、サンタポッリナーレ聖堂などの共通券を扱っていた。ほしいのはラヴェンナ・ヴィジット・カードである。そのカードはサン・ヴィターレ聖堂、ガッラ・プラチーディアの廟、サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂、ネオニアーノ洗礼堂と大司教博物館の共通券である。ラヴェンナ・ヴィジット・カードの売り場の場所を教えてもらった。すぐ近くだった。9:30に開くというので、チケットショップの隣りにあるカフェで待った。

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 9:30、カフェを出て、本屋を兼ねたチケットショップに行った。3人が並んでいた。ラヴェンナ・ヴィジット・カードを買ったときにもらった地図はわかりやすかった。

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 八角形のサン・ヴィターレ教会に入った。モスクのようである。

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 ラヴェンナは元々ローマ帝国の水軍基地だったところである。その後、西ローマ帝国の本拠地になった。海と沼にはさまれた地の利は、水上での戦いが不得意な蛮族から守りやすかったらしい。今朝、車窓から見た沼の周辺には確かに水辺のイメージがあった。その後西ローマ帝国が滅亡し、東ゴートの王テオドリックが統治をするようになった(476年頃)。このテオドリック時代に造られたビザンチン建造物がラヴェンナに残っている。サン・ヴィターレ聖堂はその1つである。

 サン・ヴィターレ教会のイタリア語は、Basilica de San Vitaleとなっていた。公共の集会堂であったバシリカが教会の洗礼堂の中心となったということなのだろう。548年の建立である。金色がベースにあり、薄く調和された、派手過ぎず地味過ぎない内装だった。モザイクの壁画と大理石の石柱が目立っていた。

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 同じ敷地内にあるのが、ガッラ・プラチーディアの廟である。無視してしまいそうな小さな建物だった。なかにあった「よき羊飼いの図」「水盤から水をのむ白い鳩の図」には目を引いた。

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 ポポロ広場の西側を南のほうに歩いた。サン・ヴィターレ教会からネオニアーノ洗礼堂までは10分ほどである。

 ネオニアーノ洗礼堂のほうに向かった。入り口がわからず、尋ねたところが大司教博物館だった。館内は撮影禁止だったが、2階のスタッフはやさしかった。大体の展示を説明してくれたあと、自分の座っている場所の近くにリュックを置かせてくれた。マクシミアヌスの司教座は象牙でできて手の込んだものだった。ビザンチン工芸を代表するものである。大きなアンジェルスの十字架の使いどころがわからなかった。

 ネオニアーノ洗礼堂。円天井を中心に下まで広がるモザイクのデザインは強く大胆だった。

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 10分ほど歩いてサンタポッリナーレ・ヌォ―ヴォ聖堂に着いた。11世紀のアラブ風の柱が並んでいる様はキリスト教の教会だとは思えない。それは庭も同じである。「地球の歩き方」の地図に掲載されているが、解説はされていない。ラヴェンナ・ヴィジット・カードで入場できるのだが、「地球の歩き方」に掲載されているサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂(街の中心から南に5kmほど離れた野原にあるらしい)の内部のデザインにそっくりであることにこの日の夜に気が付いた。

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 サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂からVia di Romaを北に300mほど歩き、2つ目の通りを右に折れた。さらに400mほど歩いてラヴェンナ駅に着いた。ちょうど12:00だった。

 駅前に大きなレストランやカフェはなかった。イタリアの大衆食堂はターヴォッラ・カルダ、ロスティッチェリア、カフェッテリアなどがあるが、いずれも小さい。カウンターと少ないテーブルがあるだけである。すでに調理されてある料理、パン、サンドイッチ、焼かれたピザなどがカウンターに並んでいる。GASTRONOMIAというチーズとハムをはさんだものを食べた。

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ラヴェンナからフェッラーラへ

 フェッラーラ行きのチケットもリミニで購入してあった。

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 REG11596 ラヴェンナ12:27発 → フェッラーラ13:48着

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 6.65ユーロの列車に電源コンセントが付いていただけではない。Wifiを使えた。すばらしい。この列車も車内での検札はなかった。


民泊を探せるのか

 フェッラーラでの第一の関心事は宿泊先である。アパートメント・フェッラーラを予約したのはチューリヒである。

 この宿泊先を予約した翌日に、イタリア語のメールが届いた。これにはかなり驚いた。ネットの翻訳システムで日本語に訳してみた。大体の意味はわかったが、肝心のところがわからなかった。イタリア語から英語への翻訳も試みた。日本語訳より少しはわかるようになったが、やはり肝心なところは不明である。

 ホステルではないようだ。おそらく民泊だろう。

 ラヴェンナでよい宿泊先がなかった。対象エリアを広げてみた。個室で、ドミトリーと同等の料金の宿泊先がフェッラーラでヒットした。これまでドミトリーに泊まってきたが、フェッラーラのような田舎なら、個室に泊まることができるのだとそのとき思った(フェッラーラは田舎ではなかった)。

 イタリア語のメールのなかに「18:00」という時刻が記載されていた。私が「18:00にまでに行くつもりだ」と書いたからである。そうでなければ18:00という時刻が出てくるはずがない(サイトにあるチェックイン可能時刻は14:00~19:00となっている)。

 私は「(14:00から)18:00までに行く」と書いたつもりであったが、宿泊先が民泊ならば、「18:00には部屋を開ける」と断ってきた可能性がある。それはつまり「14:00~18:00までは部屋に入ることができない」ことを意味する。細部についてはよくわからなかった。

 とりあえずフェッラーラ駅から700mほどのところにあるアパートメント・フェッラーラに向かった。できればリュックを置かせてもらいたい。大きな通りを3つほど曲がり、5階建てくらいのアパートメントが林立する広場に出た。見渡せばアパートメントは10棟ほどあった。

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 ♪そして僕は途方に暮れた♪ 聞き覚えのある曲が頭のなかに響いた。

 20m以内に接近してくる者は、お金をもっていなくとも、50kgの荷物を抱え早く家に帰りたい人であろうと私の餌食になった。3人目は自転車に乗った女子高校生だった。

 天は我に味方した。彼女はアパートメント・フェッラーラの3階(ヨーロッパでは2階)の住人だった。

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民泊に入れるのか

 届いたメールに載っていた「PAOLO ELKHAN」という名前を伝えてみた。そもそもこのスペルが人名であるのかどうかを判断しかねていた(門のところにある暗証番号かもしれない)。アパートメント・フェッラーラの敷地の外門にある住民一覧表のところにその名前はあった。彼女はその人には会ったことがないようだったが、住所が間違っていないことは確定した。

 いとも簡単に目的地にたどり着いた。最初の課題はクリアした。第2ステージは、ホストに会うことである。

 女子高校生の鍵でアパートメントの敷地内に入れてもらった。建物の外壁のチャイムを鳴らしたが、反応はなかった。彼女の持っている2つ目の鍵で建物のなかに入れてもらった。

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 彼女は3階の自宅に帰った。礼を言い、最上階の5階まで上った。部屋の玄関にチャイムはなかった。ドアを数回叩いたが、反応はなかった。やれやれ、まあ予想の範囲ではあったけれど、これからどうするのかは迷うところである。

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 状況は異なるが、バクー(アゼルバイジャン)、リーガ(ラトビア)で似たような経験がある。バクーでは2時間待ってもチェックインできないので、別のところに泊まるしかないとホステルを出たとき、通りで部屋のオーナー(ホスト)から声を掛けられた「もしかして今日、バクー・オールド・シティ・ホステルに泊まる人?」という感じで。バクーにはホステルが2つしかなく、そこを失してしまうと安い宿泊先を見つけるのはけっこう大変だったのだ。リーガでは「予定より早くチェックインするのなら別のところに来てくれ、そこから送迎する」というメールが前日に入った。別のところは駅から3kmくらい離れていた。冗談ではない、メールを無視してホステルの場所に行ったら周辺の人たちが協力してくれた。少しあとでたまたま別の宿泊客を案内してやって来たホストと遭遇した。両方とも、ホストと遇う瞬間だけは偶然が左右している。そういう体験があったので、少し待っていれば、ホストはやって来るのではないかという楽観的な期待はあった。そもそも女子高生のおかげで5階のホストの部屋の前に立つことができたことも十分ラッキーなのである。

 部屋の前、建物のなか、建物の外と場所を変え、15分ほど待ってみたが、ホストは来ないようである。18:00にもう一度やって来るしかないようだ。イタリア語のメールの内容は「18:00」に「あなた(=私)を迎える」という内容のもので、それは同時に「18:00までは部屋に入ることはできない」ことを意味するものだった、ということである。

 アパートの建物の玄関のドアを開け外に出た。しかし道路とアパートの敷地の間にある扉は自動的に閉まりロックされていた。門を乗り越えれば外に出ることはできるが、不法侵入者(この場合は不法外出者?)のようになってしまう。そのとき、敷地内に駐車してある車を洗い始めた若者がいた。彼の持っている鍵で敷地の門の扉を開けてもらった(若者は、さっきの女子高校生の兄だということをこの日の夜に知ることになる)。


フェッラーラを歩いてみた

 リュックを担いでアパートメント・フェッラーラを後にした。フェッラーラの旧市街に向かった。方向は東である。

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 エンテンセ城までやって来た。他の博物館との共通入場券であるMYFE-Ferrara Tourisut cardを買うときに、展望台には行かないと伝えたら2ユーロ安くなった。

 フェッラーラはルネサンス時代、フィレンツェと並ぶ繁栄を遂げた。エステ家の宮廷文化が花開き、イタリア中から芸術家が集まった。世界史でこの街が登場していた、という記憶はない。エステ家は地方の傭兵だったが、フェッラーラの永代君主にまで上り詰めた。大広間の天井・壁面にはローマ芸術を思わせたが、大きく豪奢な城であるという外観と比較するとなかはそれほどでもなかった。華やかなエステ家の居室が次々と展開されたが、全体として軽い感じがした。

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 近くにあるはずのカテドラーレの場所がわからなかった。修復のための布がファザードを蔽っていたからである。グーグルマップにはサン・ジョルジュ大聖堂となっていた。内部はゴシックのフレスコ画で飾られており華やかな感じだった。

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 エステンセ城とカテドラーレ周辺の広場と通りの雰囲気はよかった。

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 カテドラーレの南にカテドラーレ美術館があったが、入る時間はない。

 カテドラーレの北側のヴォルタパレット通りを南西のほうに歩いた。マダーマ通りを右に折れ、スカンディアナ通りを東に歩いた。

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 途中にあったロメイの家。この南にあるコルプス・ドミニ修道院はエステ家の墓所である。墓所の内部が大理石であるのは、他のイタリアの名家も同じらしい。富が都市の特定の家に集まっていたことを意味している。

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 途中にあったChiesa di San Girolamo。聖ジローラモ教会。タレントのジローラモさんの顔が思い浮かんだ。

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 スキファノイア宮殿はエステ家の別荘だったところである。なかは市立ラピダリオ美術館になっており、エステンセ城に入るときに買ったMYFE-Ferrara Tourisut cardで入ることができた。奥の12月の間には、壁いっぱいに描かれたフレスコ画を見ることができる。他の作品を見ることはできないのだが、みんなこのフレスコ画を見るために来ていた。

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もう一度、民泊へ

 一通りの観光を終え、再びアパートメント・フェッラーラに向かう。スキファノイア宮殿からは3kmほど離れていたが、18:00まで少し時間があった。

 カフェで30分ほど休憩した。時間に正確なことに関しては世界にその名を轟かせている日本人である。一方、時間に遅れてくることにかけてはヨーロッパで1、2を争うイタリア人である。早く着いてしまっては待つだけである。

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 時間に正確な世界チャンピオンの日本人は6分も早くその場所に着いてしまった。そして案の定、待つことになった。ヨーロッパチャンピオンの勝ちである。

 敷地の外で待っていると、どうしたのかとおじいさんに尋ねられた。大体の事情を話すと、いっしょになかに入ろうと敷地のなかに入れてくれ、寒いからと、建物のなかにも入れてくれた。

 しかしホスト(つまりPAOLO ELKHANさん)がこの場所に住んでいなかった場合、外で誰も待っていなければ、ゲストが来ていないと解釈して、帰ってしまう可能性がある。外で目立つように待つべきだと判断したので、おじいさんに礼を言って、敷地内に入れてもらうことにしたが、建物の外で待つことにした。

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 次に帰ってきたのは3階に住んでいるというおばあさんだった。とても心配してくれた。寒いでしょうから、なかにお入りなさい、そういう感じだった。このおばあさんと、昼過ぎに私をなかに入れてくれた女子高校生とそのあと車を洗っていた若者は同じ家族である。

 次にやってきたおばさんも、寒いでしょうからなかで待てば、と言ってくれた。この時期イタリアを寒波が襲っており、みんな寒さを気にしていた。そのあと2人がやって来た。1人は素通りしていったが、もう1人は気をつかってくれた。

 こうして私は徐々に応援団を増やしていった。4時間くらい所在なく待っていれば、ほとんどの住民と顔見知りになれるだろう。

 民泊をするというのはこういうことなのだ、と考え込んでしまった。知らないところで多くの人に多くの迷惑を掛けている。日本の民泊の拡大に賛成だったが、この日その考えはかなりグラついた。

 18:20過ぎにやって来たのはPAOLO ELKHANさんご一行であった。父、母、そして(おそらく)ボローニャ大学の長女、年の離れた弟である。遅れてきて申し訳ない、というような言葉はなかった。会えて嬉しいと言われた。

 さすがイタリアン。時間に遅れるヨーロッパチャンピオンである。

 鍵の使い方などを英語で説明してくれたのは長女である。せっかく鍵を3つも預かったが、外出する気にはなれなかった。今日はずっとリュックを背負っていたのでかなり疲れていた。

 1泊25ユーロの民泊は個室のツインである。

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