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旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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3日目 2016年12月20日 バルセロナ アンドラ・ラ・ベリャ

バルセロナからアンドラへ

 6:20、レセプションにリュックを預け、アントホステルをチェックアウトした。

 雨がぽつんぽつんと降っていた。7、8分歩いて北バスターミナルに着いた。

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 アンドラ行きの往復チケットは昨夜買ってあった。行きの料金は28.25ユーロ、帰りは22.6ユーロである。合計が往復の料金である。

 バスターミナル内の2軒並んでいるスタンドの1軒で、パイ、コーヒー、水のペットボトルを買った。アンドラに行くのは地元の人たちが多いようだが、同じバスに若い女性の中国人が3組ほど乗った。団体客ではなかった。

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 6:30発のバスはアンドラ着が10:30である(所要4時間)。1本あとの7:30のアンドラ着は11:40(所要4時間10分)で、途中30ヶ所ほどのバス停に停まる。バルセロナとアンドラを往復するバスは所要時間を確認しながらどの時間のバスで行くのかを決めたほうがいい。7:00発のバスの所要時間は3時間15分である。

 バルセロナ7:00発 → アンドラ10:15着

 アンドラ行きのバスは遅れて発車した。バスはカタルーニャ広場で客を乗せた。この停止については時刻表に記載がなかった。

 30分ほど走りバルセロナの郊外に出たところで、高速道路に入った。道路状況はよくバスはかなりのスピードで山のなかに入っていった。8:00過ぎ、ようやく夜が明け始めた。曇り空のようである。

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 外の気温がバスのなかに表示されていた。バルセロナ市内では13℃だったのが、雪山が見えた8:15頃には5℃になっていた。バスは高度を上げていった。

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 1982年のクリスマスの日、バルセロナからアンドラの近くのスペイン・フランス国境を越えたことがあった。そのときはバルセロナから鉄道に乗り、山間を15分ほど歩いてフランス側の国境を越えた。列車はあえぐように山を上った。このときアンドラにもっとも接近していたわけだが、アンドラに興味はなかった(今でもないけれど)。つまり鉄道はアンドラを経由せずにフランスに抜けるルートだった。あのときアンドラ行きのバスを探していれば、今日の日はなかっただろう。

 スペインとフランスの国境は大きく3つあるが、主に利用されるのは北側のイルン国境、地中海側のポルトボー国境である。スペイン(広軌)とフランス(標準軌=日本の新幹線と同じ軌間)の鉄道の軌間が異なるのでイルンでは列車の乗り換えが必要である(そのくせ、パリとリスボンを結ぶ特急に「リスボン特急」という名称を使っていた。パリとリスボンを直通する列車は存在しない)。イルン国境を2度越えた。ポルトボー国境をカタラン・タルゴ(フリーゲージトレイン)で越えたことがあった。2度目は普通列車で越えた。ポルトボー駅は地中海を見下ろす山腹にある。地中海はコートダジュール側とフランス南西側で色を変えるが、ポルトボーの地中海は深い青だった。

 標高の低い場所で草木に覆われていた山々は、高度に上げるに従って岩石が目立ってきた。スペイン、ギリシャの山は岩山であるが、ギリシャの岩山は禿げてささくれだった印象があるのにたいし、スペインの岩山はごつごつした感じである。

 9:08頃、ホテルのある、ちょっとした町に入った。外の気温は3℃になっていた。

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 9:30、Seu D Urgellの小さなバスターミナルに止まった。時刻表に乗っていた町である。15分早い到着だった。

 9:40、アンドラ公国とスペインの国境を通過した。入国審査はなくバスは素通りするだけであるが、国境の場所ははっきりとわかった。

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アンドラ・ラ・ベリャを歩いてみた

 9:55、アンドラのバスターミナルに着いた。寒い。アンドラの標高は1,030mであ、欧州の首都としては最高地点である。日本で一番標高の高い市は茅野市(長野県)の801mで、町村では川上村(長野県)が1,185mである。

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 正式名はアンドラ公国(Prmcipat d‘Andorra)で、首都はアンドラ・ラ・ベリャ(Andorra la Vella)である。ここからはアンドラ・ラ・ベーニャと書くことにする。公用語はカタルーニャ語である。

 アンドラ・ラ・ベーニャのバスターミナルは街の南西部にあった。バスターミナルには、ノヴァテルやダイレクトバスなどのバス会社のオフィスもあった。直接バルセロナ空港に向かうバスも出ている。

 バスターミナルから東のほうに歩いてみた。5分ほど歩いても地図上で自分の位置がつかめなかったが、スーパーマーケットUに行き当たった。周辺の道路をいくつか確かめ、ようやくどういうふうに歩いてきたかがわかった。アルサ社のオフィスで地図をもらっていたが、あまりに使いにくかった。地図上のⒽはホテルではなくホスピタルを指し、観光マップのくせにホテルや大きなショップが1つも掲載されていなかった。

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 スーパーマーケットUの反対側がロトンダ広場のようである。確信は持てなかったが、どうやらそのようである。市内の中心部を流れているバリダ川は広場の下にあるようだ。地図が使いにくいのは一部で川が隠れているからでもある。

 ダリのオブジェがあった。そのから西のほうに歩いた。

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 左手にホテルが2つあるメリチェル通りはどうやらアンドラ・ラ・ベリャ西側のメインストリートのようである。この通りの両側は商店が途切れずに続いている。古い店はほとんどなく、どの店もディスプレイには凝っていた。ブランドショップも多かった。アンドラでは外国製品や電化製品の輸入品は免税で買えるのでフランスやスペインからの買い物客が絶えない。

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 「ピレネー」というデパートに入ってみた。小さいと思われた建物は奥が深く大きかった。2階にはスーパーマーケットが入っていた。欧州、特にフランスの食品売り場は驚くほどチーズが充実している。チーズ売り場に遭遇すると必ず写真を撮ってしまう。
スーパーマーケットの奥で買わなければならないものを見つけた。髭剃りを忘れてきたことに昨夜気がついた。1週間ぐらいは剃らなくてもいいが、2週間経つと剃りたくなることはわかっている。

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 ポブレ広場の前にあった建物が市庁舎であることがわかるのは想像力の優れた人である。市庁舎であることを確認するためには建物名を確認する必要があった。

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 その西側にサン・エステバ教会があった。人はいなかったが、賛美歌は流れていた。もうすぐクリスマス。

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 サン・エステバ教会の奥の路が石畳になっていた。商業都市アンドラ・ラ・ベリャにも古いヨーロッパの街並みがあった。それは小路として整備されたエリアだった。小さなカフェや店があり使われていない水場があった。こざっぱりと整い過ぎている気がしないでもないが、悪い感じではない。エリアはあまりに狭かった。

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 細い路の先に古い建物があった。博物館のようである。カサ・デ・ラ・バルという国会議事堂だと教えてくれた。予約なしでは見学できないようだ。小さい建物なのだからちょっと見せてくれてもいいではないかと思うのだが、予約者を対象にしたツアーを行っていることを記載した案内板が階段の一段目にあった。

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 カサ・デ・ラ・バルの横は広場になっている。広場は高台にあり市内を見渡すことができた。視界のところどころに意味不明の人のオブジェがあった。オブジェならオブジェとしてしっかりしたものを造れと言いたくなるような、簡易な造りだった。広場自体には余計なものが置かれていない。洗練されたテラス風の広場である。

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 街の背後にはピレネーの山々が迫っていた。建物が均質的に続いているアンドラ・ラ・ベリャでは通りの奥や建物の上のほうに岩山が顔を出している。山間のなかにある街だということがわかる瞬間である。

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 来た道をもどることにする。サン・エステバ教会、市庁舎の前を歩きメリチェル通りを東に歩いた。かなりの下り坂である。上ってくるときは坂を意識しなかったのに。

 スーパーマーケットUを抜けた辺りにあったCOMBIで昼ご飯を食べた。メニューはフランス語とスペイン語しかないらしく、質問に適当に答えていたら、定食らしきものが出てきた。魚のフライは薄っぺらかったがうまかった。

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 2時間ほどいたCOMBIを出て適当に歩いた。アンドラ・ラ・ベリャはどこを歩いても同じ感じだ。それぞれの建物は凝ったもので1つ1つに個性はあるのだが、町全体としては典型的な商業都市である。

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 メリチェル通りをさらに東に歩くことにした。途中から歩行者天国になっていた。この通りは長かった。

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 かなり歩いたところに[ZONA COMERCIAL PART ALTA]という表示があった。「商業地区」と訳してよいのかどうかはわからないが、それでは今まで歩いてきたところは商業地区ではなかったのだろうか。サン・エステバ教会の奥の路を除くほとんどすべてのエリアが商業地区であるのがアンドラ・ラ・ベリャである。

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 歩き始めたとき、ホテルの数は少ないと思われたが、途中からホテルがいくつも出現した。中級以上のホテルが揃っているようだ。

 バスターミナルに急いだ。

 5時間の滞在時間は多すぎる、たぶんどこかで時間をつぶすことになるだろうと予想していた。それは間違っていた。最初ゆっくりと歩きすぎたせいなのかもしれないが、バスターミナルに着いたのは出発の10分前だった。


バルセロナへ

 5分遅れの15:05にバスは出発した。今朝バルセロナを出たバスも少し遅れた。なぜ始発で遅れるのかははっきりしていた。ドライバーの話し相手は乗客ではない。運転席に座ったドライバーがバスの扉の外に立っている同僚と話し込んでいるのである。つまり乗客対応ではない。今朝も今も、仕事の話ではなさそうである。これがドライバーの常というよりスペイン人(そしてアンドラ人)の常かもしれない。そういう雰囲気は、昨夜のバスターミナルでチケットを購入したときも、今日のお昼にCOMBIで昼ご飯を食べたときにも感じた。私が席に付いたのを知っているウエイトレス同士はずっと話し込んでいてメニューが出てきたのはさらにその数分後である。メニューを見ている私に注文を取りにきたのはさらに数分後。

 アンドラ・ラ・ベリャで時間がなかったと感じたのは実はこういった各所で日本以上に時間を使わされていたからかもしれない。それを文化と言って悪いわけではないだろう。

 アンドラ・ラ・ベリャ15:00発 → バルセロナ16:15着

 バスはアンドラの国境を通過するところで止められた。警察によってバスのトランクの荷物のチェックが行われた。

 Seu D Urgellの小さなバスターミナルに停まったあと、バスは順調に走っていた。30分ほど早く着くのではないかと思えるくらいバルセロナとの距離を詰めていった。

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 バルセロナに近づくにしたがって天気は悪くなっていった。そして雨が降り出した。

 高速道路を下り、バルセロナ市内に入った頃、渋滞が始まった。激しい渋滞である。このことを予想しての高速走行だったのかもしれない。大きな道路が合流するところでは車がどんどん集まって渋滞がひどくなった。

 ある地点からバスがすいすいと走り始めた。バスはバス専用レーンに入った。大渋滞を後目に目的地との距離をどんどん詰めていく。3車線の外側だったバス専用レーンが右側に変わったところで少しバスはスピードを落とした。北バスターミナルの近くでバス専用レーンがなくなったあとも渋滞のなかに入っていったが、バスは定刻の1分前に北バスターミナルに所定の位置に停まった。やるなスペイン。

 雨のなかをアントホステルまで歩いた。リュックをピックアップした。このまま出ていくつもりだったが、ホステルの奥にあるラウンジを使っていいか尋ねてみた。許可してくれたのでそこで少し留まることにした。


今夜は空港泊

 アントホステルを出たのは20:00頃である。雨はさっきより強くなっていた。

 凱旋門の広場を通りカターニャ広場をめざした。雨宿りをしながら歩いたので30分近くかかった。

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 バルセロナ空港行きのバス(Aerobus)にはターミナル1行きとターミナル2行きがあった。乗り場は隣接していた。

 22:30頃、ターミナル2に着いた。2日前ドーハからの飛行機が着いたターミナル1とは異なり、建物はかなり古かった。外壁は、ミロがデザインした巨大な壁画の装飾があるようなのだが、夜なので見る気もしなかった。

 建物のなかで工事が行われていた。掘削機の大音量が建物内に響いていた。眠れる環境ではない。工事現場の近くの椅子は空いていたが、できるだけ音のしないところまで移動した。200mほど建物内を移動し工事音が聞こえなくなったところにあった椅子はほぼ埋まっていた。何十人かは床に寝ていた。 

 ライアンエアーのカウンター前の床に座り込んだ。ライアンエアーに乗るのは今日ではないけれど。

 そう今日は空港泊である。
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