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2日目 2016年12月19日 ドーハ バルセロナ

シン・ゴジラはなぜ日本に現われたのか

 QR813便  羽田23:50発 → ドーハ(+1)6:00着

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 カタール航空に乗るのは5本目である。家にはカタール航空のポーチが溜まってきた。わりと好きな航空会社である。

 機内でやっているはずだと思っていた映画『シン・ゴジラ』はやっていた。予想通りである。もちろん観た。

 これほど目を離せない映画を観たことがない。あとになってみれば、十分息抜きのシーンもあったのだが、観ているときはそう思わなかった。

 石原さとみのシチュエーションとその奇妙さは画面を明るくさせるために必要だったのだろう。総勢300人の俳優をよく使ったものである。噂であったように、シン・ゴジラはまさしくエヴァンゲリオンの使徒であり、福島の原発を想起させるものだった。

 すべてのテーマはゴジラがなぜ日本に出現したのかに尽きる。それは『新世紀エヴァンゲリオン』において使徒が日本に現われ続けたのと同じ意味である。

 ハリウッド映画では、米国で起こった未曾有の危機にたいして大統領を中心とした3人程度の政府要人と異端の科学者と陽気なサポート役で大体の問題を解決に導いてしまうのであるが、『シン・ゴジラ』で日本政府関係者だけで数百人ぐらいが画面に出現しているくせに、対応は遅々として進まない。そういうなかで描き出されたのは国際社会においての日本の姿だった。

 ゴジラを国連の監視下に入れてしまう。その場合、中国、ロシアも加わることになる。
 日本と共同で対処をしようと米国は提案してくる(この提案を日本は飲むことができる)。
 国連はゴジラを消滅するために原爆を東京に落とそうとする。

 映画のなかにおいて国連の決定は天の声のようだった。米国が石原さとみという妙な媒介を通して、本当かどうかわからない意思を表示していた。

 福島での原発事故を経験した日本に、広島、長崎に続く3発目の原爆を落とそうという国連の決定に対して日本政府がどれほどの抗議と反対の意思を示したのかは映画では十分に描かれていない。その意味で、国連本部のあるニューヨーク湾に乗り込んで論戦を挑んだ『沈黙の艦隊』の海江田四郎の挑戦より国際政治的な内容ははるかに劣る。

 しかし国連内部での攻防を描かなかったのはおそらく映画の時間枠がなかったからなのだろう。

 福島の原発事故を世界がどう眺めていたのかを如実に表現した映画だった。5年以上が経った今、シン・ゴジラがそれを気付かせたといっていいかもしれない。

 シン・ゴジラの進撃がなぜ東京駅で止まったのか。もちろん映画作成上、新幹線や在来線を突っ込ませ、ビルの倒壊でゴジラの口元に凝固剤の投入をするためには、その場所が高層ビルのある駅である必要があったからである。

 問題は東京駅の西側には皇居があるということである。つまりなぜ皇居の手前で進撃のシン・ゴジラは止まったのかということだ。皇居を破壊していたら、上映する映画館は右翼の街宣車の嫌がらせを受けていたかもしれない。世論の反対もあり、映画の興行は成り立たなかったかもしれない。

 しかしそういうことではない。進撃のシン・ゴジラはとにかく皇居前で止まるのである。

 ゴヤの『巨人』の画を思い出した。プラド美術館が、この画はゴヤではなく弟子の作であるとしているのだが、画のなかの巨人は村を破壊しようとしていない。それどころか外敵から村を守ろうとしているように見える。逃げ惑う人たちは巨人の後ろでパニックになっているので、巨人から逃げようとしているようではないように思える。その逃げようとしている人々のなかに1頭の白い馬だけが立ち止まっている。それがゴヤだと言われていた。

 帰りの羽田空港へのフライトで、まだ『シン・ゴジラ』をやっていればもう一度観ようと思っている。そのときまた感想を書くかもしれない。


ハマド国際空港

 ハマド国際空港での乗り換え時間は8時間。高いコーヒーを飲んで、適当に時間をつぶした。ドーハ(ハマド)国際空港でマルチコンセントを見つけたのは2016年2月である。その数が一気に増えていた。ネットも以前よりつながりやすくなった気がした。

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 QR141 ドーハ14:35発 → バルセロナ20:00着

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バルセロナ到着

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 バルセロナ・プラット空港到着は10分ほど早かったが、荷物を受け取るターンテーブルが途中で止まった。多くの人が荷物をピックアップできず待たされた。

 バルセロナには2度来ているが、いずれも1980年代である。数日前にバルセロナ地下鉄の路線網を見て驚いた。11路線209駅、総延長123.7kmは立派である。バルセロナで地下鉄を利用したことはなかった。地下鉄に乗るかどうか少し迷ったが、Aerobusに乗ったのは正しかった。カタルーニャ広場まで25分で着いた。料金は5.9ユーロ。

 予想していたより早くバルセロナ市内に入ることができた。カタルーニャ広場から西方向にある北バスターミナルまで歩くことにした。大粒の雨が降っていたが、リュックの底にある傘を引っ張り出すのが面倒だった。寒くはないが、雨のなかを歩くのは楽しくはない。

 北バスターミナルへの道はまっすぐではない。2ヶ所ほど方向に注意しなければならないところはあった。途中、凱旋門が見えた。

 バルセロナでもっとも大きい北バスターミナルの建物の2階にアルサ(ALSA)社の窓口があった。開いている1つの窓口に6人が並んでいた。1人の客のチケットを買うまでの時間が長く、15分ほど待って明日のバスチケットを買った。買い終わって窓口を離れるとき近くにあった自動券売機を見つけた。

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 雨はさっきよりひどくなっていた。北バスターミナルから7、8分歩いてアントホステルにチェックインした。1泊12.6ユーロのドミトリーは新しくラウンジのスペースにも余裕があったが、4人部屋は極端に狭く、一部屋に備え付けられていたシャワーから流れてきたのは水だった。

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