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旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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1980年に知ったグダニスク。2016年2月2日のグダンスク。

28日目  2016年2月2日 グダンスク

 多くの日本人にとって、ポーランドといえばショパンである。私にはもう2人いる。好きだったとか、傾倒していたというわけではない。

 1人目は、映画「灰とダイヤモンド」「地下水道」などを撮ったアンジェイ・ワイダ。2人目は、レフ・ワレサ。労働組合「連帯」の設立者で議長だった。

 ワレサが「連帯」のリーダーとして登場したのは1980年である。ポーランド政府は「連帯」を認めざるを得なかったが、必要以上に過激になるのを恐れ、翌年ワレサを逮捕した。

 ワレサは先を行きすぎたのかもしれない。ポーランドは東欧のひとつの国に過ぎなかった。時代を動かしたのは、ソビエト連邦成立後に生まれた政治家ゴルバチェフだった。ペレストロイカとグラスノスチ。世界は動いたまちがいなく。よい方向にかどうかはわからない。今日の問題の多くはここを発生源とする。

 ベルリンの壁が崩れるとは想像できなかった。東ベルリンから西ベルリンに抜ける地下鉄が高架を走っていた。万里の長城のように壁が続いているのを窓にへばりついて見ていた1980年。東ベルリンの***通り34の続きの住所は、壁の向こうの西ベルリンの***通りにあるはずだった。そこに行って36とか37とかの続きの住所を探してみた。よくわからなかった。西ベルリンのチャーリー検問所には東側を見るための台が置かれていた。

 1990年にワレサはポーランド大統領になった。「連帯」はポーランド革命として東欧の民主化を引っ張ったが、ワレサの過激な改革路線をめざす労働者グループと着実な実績を重ねようとするグループとに分かれた。結局、内部での対立が続き、やがて力を失ってしまった。

 ワイダが「ワレサ連帯の男」を撮ったのは2013年である。忘れていた名前が2人同時に蘇った。何を今さら、とは思った。もっとも1981年の映画「鉄の男」にワレサは出演している。

 ワイダの「灰とダイヤモンド」や「地下水道」を観たことを覚えているが、内容を完全に忘れてしまっていた。1980年のワルシャワで、ヴィスワ川のほとりに立ったとき、映画「地下水道」に映っていたのはこの川なのだと思ったことは覚えている。

 1980年のワルシャワで覚えているのは2組のポーランド人である。モスクワまで乗った列車のなかで3人のポーランド人と知り合いウオッカを飲んだ。コンパートメントは大いに盛り上がった。彼らはソビエト連邦の悪口を言いまくった。もう1組は年配の夫婦だった。会話の内容は覚えてはいない。ワルシャワのどこかで話しかけられたのだと思う。共産主義を心の底から憎んでいた。寡黙な感じだった。夫婦はグダニスクからやって来た。グダニスクという街の名前をそこで知った。

 帰国したとき、「連帯」のワレサがグダニスク造船所の電気技師だったことを知った。

 旅日記をブログで公開し始めたのは2013年であるが、書き始めたのは1980年である。それ以来、海外の全ての旅先で書いてきた。1月6日に旅立つ前に、ポーランドで書いた分を読み返してみた。どこで何を見たのかほとんど書かれていなかったが、共産主義の何かを見ていたことを書いていた。

 そのとき、街はグダニスクと呼ばれていた。いつからグダンスクになったのだろう。
 
 2016年2月3日の朝、ポルスキーバスの車窓に虹があったにもかかわらず、風景は黒かった。バスはグダンスクに向けて雨のなかを走っていた。雨脚は強かった。

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 9:30、グダンスク駅の裏側にあるグダンスク・バスターミナルに着いた。大きくはないバスターミナルだ。バスの発車時刻を確かめた。

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 風が強く寒い朝の街だった。

 グダンスク駅に移動した。チケット窓口には短い列ができていた。高齢の女性が列の順を守らずチケット窓口に割り込んだが、誰も何も言わなかった。続けてまた別の高齢の女性が同じことをしたが、誰も何も言わなかった。高齢の男性がそういうことをした場合、どうなったのかはわからない。しかしポーランドでは高齢の女性を優先させる習慣があるのかもしれない。

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 トルン行きについて聞きたかったのだが、その(一般の)チケット売り場では詳しいことがわからないので、別の窓口を案内された。インターシティ専用の窓口である。日本でいうのなら、特急列車専用の窓口ということになる(そういうものは日本にないけれど)。そこでトルン行きのチケットを買った。
 
 予約してある3シティホステルはすぐに見つかった。リュックを置かせてもらうつもりで行ったのだが、チェックインをさせてもらった。8人部屋の1ベッドのドミトリーだが、今日は少し形態が異なる。カプセルホテル型である。プライバシーが確保できることとおそらくコンセントがなかに付いていることを期待して予約したのだが、失敗したかもしれない。8人部屋は臭かった。カプセル内にコンセントはなかった。ゲストハウス全体の管理は行われているのだろうが、全体としてちょっと荒れた感じで、危なそうなヤツがいた。1泊43.5ズウォティ。

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 外に出てみた。さっきより風が強くなった気がした。ひゆ~うひゆ~う、と吹いている。びゅうびゅうではない。鋭角的に何かをスライスしていくような風だ。気温は3℃くらい。寒いとは思わなかったが冷たいと感じた。

 近くのカフェで。ライスペーパーをこんがり焼いたものにバナナ、イチゴなど果物をどっさりと入れた朝ご飯。うまかった。

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 「地球の歩き方」のコピーをしてきたが、地図が役に立たない。クラクフでそうだったように。道路の線が写っていないのだ。3シティホステルには地図が置いていなかった。グーグルマップとの合わせ技で周るしかない。

 まずカタルツィナ教会を探した。これだろうと思ったその教会は、聖ヨゼフ教会だった。人に尋ねたのでわかったのである。「地球の歩き方」ではグダンスクに2ページしか割いておらず、写真は港付近の1枚しかない。

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 形を変えた教会なのだろうと思ったところは大製粉所と呼ばれる建物だ。と書いたが、正しいかどうかはわからない。自分がわからないからといって、すべてを尋ねるわけにはいかない。カタルツィナ教会を見つけたが、隣にあるはずの聖ブリジダ教会はわからないままになった。わからないからといって問題があるわけではない。わからないものをわからないままやり過ごすのも旅である

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 恥じる必要はない。旧市庁舎を市民は知らなかった、というと大げさになりすぎる。3人知らなかった。市庁舎は別のところにあるらしい。年配の女性が知らず、お爺さんに尋ねてくれた。その女性は自分が知らなかったことを恥ずかしそうに照れた。なかなかかわいかった。

 旧市庁舎はちょっとかわいい繊細な建物だった。

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 ここまではグダンスク駅の東200mから7,800mぐらいの間を行き来していた。

 500mほど南に向けて歩いた。

 旧市庁舎から200mほど南にある広場からTarWeglowyに入った。左手に武器庫があった。武器庫や軍事博物館はどうして崩れかかった建物にあるのだろう。

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 さらに南に歩いていくと黄金の門(ズウォタ・ブラマ)があった。近くに高い門、囚人塔(琥珀博物館)。

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 黄金の門から東のほうに通りが続いていた。門を潜った瞬間だけはドブロブニクを思い出したが、全然違った。グダンスクのほうがずっと地味で控えめだった。

 この通りだけではないのだが、グダンスクの建物と建物の間に隙間がない。窓のほとんどは、縦2、横1の比率の長さになっているので、当然、縦が強調される。建物の正面には装飾がなくのっぺりしている。最上部の前面は、真ん中の上が高くなるようになっている。全体として縦の線が上に延びている。

 空間の奥にある市庁舎が、ほぼ、一点透視の焦点を結ぶ位置にあった。絵画の遠近法を絵に書いたような(←この言葉の使い方が正しいのかどうかわからない)場所だった。

 通りの両側にはカフェやレストランがあった。奥まで歩いてみた。ドゥウーギ広場があり、その奥にあったのは緑の門だった。さっき見た黄金の門は欧州にある門としては普通だったが、緑の門のほうが独特だった。建築された時代は、建物の正面が平板であることが文化でありトレンドだったのだろう。全体として色が薄いのはポーランドの建物の特色である。

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 緑の門の向こう側はあまりにグダンスクらしい風景があった。港に通じる運河があった。

 船が停泊していた。単なる観光船であるが、悪くない。アムステルダムっぽい気がしたが、煤けた建物がある雰囲気はボルドーに似ていた。単なる港町という共通性かもしれない。

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 ポーランド海洋博物館があり運河の対岸に海洋中央博物館があるのは、ここが海の街だからである。しかしバルト海まで歩くのは距離があり過ぎた。

 聖母マリア教会を見て、街歩きは終わりである。

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 グンダスクは男の街である。廃れている。見ようによっては荒っぽい。最初、北九州や川崎とも似たところがあると思ったが、ワレサがここの出身だからそう思ったのかもしれない。グダンスクはそこまで大きくはない。少し前の室蘭に近いかもしれない。

 この街を高倉健が歩いたら、それはそれは画になるだろう。夕張や増毛や函館より、ずっと決まる。グダンスクはそういう街だ。

 高倉健には北海道を舞台にした映画以外に出てほしくなかった。映画監督の降旗康男は高倉健を使い、同じパターンを日本全国でやってしまった。俳優が監督の期待に応えれば、どの街でもそれなりにはまるものだが、真にぴったり合う街をセッテイングすべきだった、グダンスクのような。

 普通のレストランに入ったつもりだったが、イタリアンの店だった。尋ねてもいないのに、ここのシェフはイタリア人だとか○○をお勧めだとかいうのもだから、ペペロンチーノを注文することになってしまった。

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 そのあとは適当に歩いた。グダンスク駅に行ってみた。駅舎のレンガは荒々しさがむき出しだった。部のホームには終着駅を示す車止めがあった。

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 グダンスクにはパン屋が多い。さっきから書いてきたこととイメージが異なるのだが、実に多いのだ。駅の東口の地下に入る場所に2軒あり、駅のホーム下に5軒が連なっていた。3シティホステルの近くに3軒あった。

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 パンを2つ買ってきて、3シティホステルで食べた。

 そろそろちゃんと情報収集をしておかないといけない。この旅のなかで初めて検索してみた。フットボールのポーランド・リーグは1月の試合がまったくなく、2016年のスタートは2月12日だった。ワルシャワでやることが1つなくなった。
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