FC2ブログ

アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
2018年08月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年10月
TOPスポンサー広告 ≫ “カジミエシュ地区”にもう一度。TOPポーランド ≫ “カジミエシュ地区”にもう一度。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

“カジミエシュ地区”にもう一度。

27日目  2016年2月1日 クラクフ ヴィエリチカ

 7:50にホテルをチェックアウト。リュックを置かせてもらった。

 クラクフ駅にあった鉄道の時刻表のなかにヴィエリチカという文字を見つけた。4分後の発車である。あきらめた。次の列車は1時間後だ。バスで行くことにする。

 駅の西口を出てパヴィア通りを渡る。少し北に歩いたところで左に曲がってみた。コピーしてきた「地球の歩き方」の地図は道路を示す線がほとんどコピーできていないので半ばヤマ勘で歩いている。バス停が2つほどあり、ミニバスの発着場があった。1台のミニバスが広場を出ようとしていた。フロントガラスの下に4つほど表示されてある行き先の1つにヴィエリチカという文字があった。

 8:05に発車したバスは渋滞のため市内を抜けるのに時間がかかった。左手にヴァヴェル城が見えた。ヴィスワ川の対岸から見る城はアングルが決まっていた。バスを利用して正解だった。ヴィエリチカまで3.5ズウォティ。

 8:45頃、ドライバーが降りる場所を教えてくれた。歩く方向も教えてもらった。そこを下って左のほう。

 バス停に地図があったが、よくわからない。とりあえず「そこ」らしいところの坂を下ってみた。坂を上ってきた2人に確認した。線路を渡ったところにある道路を左に行けばいいらしい。施設の案内らしきものはあるのだが、よくわかりにくい。

 よくわかりにくい理由がわかった。ヴィエリチカというのは町の名前であり、施設の名前ではない。Krolewskie Kopainie Soliw Wieliczce Bochniという名称を知らないとどうにもならない。かなり巨大な施設らしい。入り口を間違えると歩き直さなければならなくなるので、慎重に歩こうと思ったとき、施設のチケットセンターの案内が表示され始めた。ここは真っすぐ、次の矢印は左を差しているといった具合に。案内に従って歩いていくとチケットセンターに着いた。

P2010001.jpg

P2010002.jpg

 チケットセンターでチケットを買った。84ズウォティ。かなり高い。なかを勝手に動き回ることはできないらしい。2時間の英語ツアーに入った。チケット購入が9:00ぎりぎりだったので、9:30にスタートするコースになると言われたが、9:00のコースに入れてもらった。

 ツアーグループは15人ぐらい。日本人女性が2人いた。ガイドに付いていくのだが、歩き始めてわかった。1人で回るととんでもないことになる。地下から出られなくなってしまう。

 ガイドに付いていくつもの部屋を回った。床、天井、壁だけでなく、シャンデリアやところどころに設置されている像が岩塩でできていた。抗夫が作ったらしい。通常の仕事以外に、洞窟のなかに教会や礼拝所を造ったようなのだ。

 ここはヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑である。

 ハンガリーの姫がポーランド王と結婚するため、ポーランドに向かう途中、泉で祈った。そのとき(おそらく)泉に婚約指輪を投げた。結婚後に姫は、指輪を投げ入れたヴィエリチカを掘るよう人民に伝えた。そこで岩塩が見つかり婚約指輪も見つかった。これは伝説である。本当は、姫は独身だったらしい。この姫の物語はまだまだ続くのだが、ヴィエリチカ岩塩坑の守り神として扱われている。今も祈りの対象となっている。

 世界遺産に登録されたのは、この伝説があるかららしい。姫の礼拝所は坑道内に多くある。すべて岩塩で作られている。

 地底湖があった。いくつかあった大きな空洞には宗教画や塩の彫刻がある。この辺りが見どころである。

 プロジェクションマッピングや音楽を絡めた演出があった。

P2010007.jpg

P2010008.jpg

P2010010.jpg

P2010015.jpg

P2010016.jpg

P2010019.jpg

P2010022.jpg

P2010026.jpg

P2010028.jpg

P2010031.jpg

 ツアーは1時間半ぐらいで終了した。ツアー終了の場所からは、土産物屋やレストランを通らないと出口に行けない。直線的に出口方向に向かう道はあるのだが、導線は商業施設を回遊させるようになっていた。最後は、外に出たい客がある程度集まったところで、別のガイドが地上まで案内してくれる。最後の最後で業務用のエレベーターに乗るのだが、これが一番おもしろかったかもしれない。

 見どころはあっさりのくせに、商業施設への回遊だけはこってりだった。こういうのを商売がうまいとは言わない。逆にしたほうが商売はうまくいく。旧共産主義国の商売はまだまだである。

 ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑には行くべきだと強調されたブログを読んでしまったのが、そもそもの間違いである。

 あまりにつまらなかった。世界遺産としての価値はあると思うが、来なくてもよかったと思っている。きっと岩塩というのは地味なものなのだ。炭鉱の荒々しさ、光を当てたときの鍾乳洞の審美性といった特徴はない。夕張やテベク(韓国)の炭鉱、撫順(中国)の露天掘り、ポイストナ鍾乳洞(スロベニア)より見るポイントがはっきりしない。ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑は徹底的に大掛かりではあるけれど、演出は陳腐で中途半端である。ショパンを生んだ国民は優雅ではあるけれど、アトラクション性には欠けた。新大陸の人たちのようにしてくれとは言わないが、退屈な時間だった。1時間半歩きっぱなしになったのだから、最後はトロッコで地上に上がりたかった。こういう施設でトロッコはお約束なのだけれど。

 日ごろお世話になっている塩に私は少し冷たすぎるのかもしれないけれど。

 地上の建物の外に周辺の案内図があった。来るときに私が乗ったバスは304番ではなかったようだ。ヴィエリチカ岩塩抗のすぐ近くに304番バスのバス停があった。案内図のバス停の位置から判断すると、私の乗ったバスは204番か244番の可能性があった。

P2010035.jpg

P2010037.jpg

 10分ほど待って304番バスに乗った。3.8ズウォティ。バスの系統が異なるので、さっきの料金とは違った。バスのなかに自動券売機があった。

P2010039.jpg

 このバスもヴィスワ川のほとりのヴァヴェル城の見えるところを通った。次のバス停で降りた。目的地はそこから2分の場所だった。クラクフ駅までもどる必要はなかった。とてもラッキーな展開であると浮かれてしまった。

P2010046.jpg

P2010047.jpg

 私に足りなかったのは、注意深さだった。日本美術・技術博物館“マンガ館”の閉館日は月曜日だった。今日は月曜日、まさか。ヴァヴェル城内の旧王宮の「オリエンタル・アート」博物館に入らなかったのは、日本美術・技術博物館“マンガ館”に来ようと思っていたからである。フェリクス・マンガ・ヤシェンスキという人の収集品が展示されている。なんと映画監督のアンジェイ・ワイダが資金を調達し、常設展示ができるようになった。4,600点の浮世絵がコレクションされている。2,000点を越える安藤広重の他、菱川師宣、北川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎など。浮世絵界の4番は誰だ、というくらいのオールスターチームである。私が見たのは美術館の建物だけになってしまった。あまりにうかつだった。昨日この場所を訪れ、今日アウシュビッツに行けばよかったのだ。

P2010042.jpg

P2010044.jpg

 15分ほど歩いた。2日前に来たユダヤ人居住区“カジミエシュ地区”に着いた。着いてしまった。まだ12:30だった。

 今日に限っては大体の行動の時間の目安を立てていた、以下のように。まさかクラクフでこんなに忙しいことになるなんて、と昨晩思ったものである。

 9:00までに、ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑に着く。
 12:00までに、ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑に出て、13:00にはクラクフ駅に着く。
 13:30までに、日本美術・技術博物館“マンガ館”に入る。
 16:00までに、“カジミエシュ地区”に行く。

 ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑からのバスが奇跡的に日本美術・技術博物館“マンガ館”の横を通り徒歩2分のところに止まったというのに、日本美術・技術博物館“マンガ館”に入ることができなかった。16:00までに着くことができればいいと思った“カジミエシュ地区”に12:30に着いてしまった。

 2日前に来た“カジミエシュ地区”を歩いた。ユダヤ人居住区である。この地区の真ん中にある平屋の市場のようなところは休みだった。月曜日なのだから。“カジミエシュ地区”の月曜日はあっさりと受け入れることができる。

P2010053.jpg

P2010055.jpg

P2010056.jpg

P2010057.jpg

P2010058.jpg

P2010059.jpg

P2010060.jpg

P2010061.jpg

P2010062.jpg

P2010063.jpg

 カフェでスパゲッティ・カルボナーラ。アメリカ-ノとカプチーノ。コンセントを使うことができ、Wifiにつなぐことができたので長居した。

P2010051.jpg

P2010052.jpg

 再び“カジミエシュ地区”を歩いてみた。

 カフェ・SATORIに入った。日本の「悟り」のこと。ジャズが流れるカフェ。

P2010065.jpg

P2020068.jpg

P2020067.jpg

P2010066.jpg

 さっきのカフェで2杯、カフェ・SATORIで2杯。エスプレッソ、カプチーノそれぞれ2杯。

 SATORIを出たときは、日が暮れていた。夜の“カジミエシュ地区”を歩いてみた。夜の“カジミエシュ地区”の灯は氷のような冷たさだった。

P2020072.jpg

P2020074.jpg

P2020075.jpg

P2020076.jpg

P2020077.jpg

P2020080.jpg

P2020081.jpg

 ほとんどの道を覚えた。ホテルは数えるほどしかないが、カフェやレストランの多さは異常である。どのカフェも徹底してお洒落である。

 3番トラムの沿線を歩いてクラクフ駅に向かった。2日前(1月30日)と同じコースである。ハヴァイア通りとクビチ通りの交差点のところに出た。ここで2日前と歩くコースを変えてみた。

P2020084.jpg

P2020085.jpg

 20:00、エニグマホステルにもどりリュックを受け取った。

P2020086.jpg

 GOSPODA KRAKOWAKAに行った。昨夜ここで夜ご飯を食べた。バーなので食事のメニューは貧弱である。内装はオーソドックスだが、南米・中米の音楽が流れるバーである。おそらくキューバ音楽。昔、村上龍がはまっていたやつだ。NGラバンダっぽい。ビールはKASZTELAN。チキンのグリルにサラダを付けてもらった。

P2020087.jpg

 グダンスク行きバスの発車までまだ2時間以上ある。
スポンサーサイト

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。