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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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アウシュビッツ

26日目  2016年1月31日 クラクフ アウシュビッツ

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 鉄道でアウシュビッツに行くことはできるが、下車したオシフィエンチム駅から20分ほど歩くかバスに乗る必要がある。クラクフからのバスはアウシュビッツ博物館の前まで行くはずである。バスで行くことにした。

 昨日の朝、バスターミナルでアウシュビッツ(オシフィエンチム)行きのバスを確認しておいた。時刻表に掲示されてあったのは、Zator経由(8:15始発)とZarki経由(7:09始発)。2系統とも行き先はオシフィエンチムとなっているが、町であるオシフィエンチムではなく、アウシュビッツ博物館に着くかどうかはわからない。

 7:20、チケット窓口で、(アウシュビッツ)「博物館」に行きたいと言った。一番早いのは8:05だと言われた。おそらくZator経由のバスが博物館まで行くのだろう。8:15発が10分早くなったのだと思われる。14ズウォティ。

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 チケット窓口の前の椅子に座って、買ったばかりのサンドウィッチを食べていた。ポーランド人が近づいてきて「アウシュビッツに行くのか?」と声を掛けてきた。「NAKATANIさんのガイドか?」と続けてきた。誰かに日本語で書いてもらった文章を見せながら、自分はガイドをやっていると言った。断った。

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 アウシュビッツ博物館の唯一の日本人(アジア人)公認ガイドは中谷剛さんという人である。この人にガイドを頼むのなら、早く決めたほうがいいと、昨年の秋の初めに行ったIさんのアドバイスを受けた。じゃがいものアドバイスはややぼやけていたが、こちらのほうはリアルだった。しかし、じゃがいものアドバイスは旅の進行具合とともにリアル度を増してきていることも書いておかないといけない。

 決めるのをぐずぐず伸ばしてしまった。クラクフに入る日を特定できないというのが直接の理由だが、ガイドが必要なのだろうかとも思っていた。

 これについて少し書いておこう。

 アウシュビッツについてはガイドが必要だという意見が大半を占めている。これらはガイドを付けた人たちの意見である。ガイドを付けるのなら、アウシュビッツ博物館の唯一の公認ガイドの中谷剛さんということになる。私も名前を知っていた。アウシュビッツを検索していけば、この名前に行き当たる。ほとんど絶賛に近い。この人の言葉を読んだことがあるが、絶賛の理由は想像できた。他にも日本人のガイド、日本語のガイド(ポーランド人)はいるが、個人名が公表されているわけではない。比較はできないし、そこまでする意味はない。

 ガイドを必要とするかどうかについては、想像力の問題である、つまり必要ない、とする主張があった。この意見はぐっと少なくなるどころではない。ほとんど唯一の意見といっていい。1枚の写真から何かを想像することができれば、ガイドはいらないという意見である。なるほど、と思った。ガイドを付ける利点を多くの角度から述べている意見にたいして、意見としての強さでは勝っていた。はっきりいうと、この見解だけで、「ガイドを付けたほうがいい派」全体を敵に回しているような強烈さだった。

 まあこういう状況のなかをなんとなく2週間ほどぼんやりしていたのだが、それで当日になってしまったわけだ。

 アウシュビッツ博物館は無料である。誰でも自由に入れ、自由に見ることができる。これが原則である。ところが、入場者が多くなり、4月~10月の間は、10:00~15:00にガイドを付けないと入場できなくなった。これが、アウシュビッツ博物館に行くのにガイドが必要かどうかという質疑になってきたのだ。

 私は勝手に回ろうと思っている。

 9:40、バスはある町の小さなバスターミナルに止まった。そのあとオシフィエンチム駅前で停まったあと、アウシュビッツ博物館内のバス停に着いた。

 アウシュビッツ博物館に入ろうとしたところで止められた。鞄のサイズを計られた。おそらく30×20センチの規定があるものと思われる。私の鞄のサイズはオーバーしていた。近くの荷物預かり所で預かってもらった。

 その近くのショップで「国立博物館アウシュビッツ・ビルケナウ オシフィエンチム インフォメーション」(以下、解説書と記す)を買った。同じ内容のものが何ヶ国語かで出されている。

 館内に入り先に進んだ。チケットをもらう場所があった。見学は無料であるが、チケットは発行される。国籍を尋ねられた。その上でガイドツアーが必要かどうかを尋ねられた。必要ないと答え、建物を出た。アウシュビッツ博物館に常駐の日本語ガイドはない。英語や他の言語のガイドに申し込むことができる。

 見学者が最初に見るのはアウシュビッツの正門の上に掲げられた言葉である。“Arbeit Macht Frei”。「働けば解放される」の意味のドイツ語。被収容者は毎日この門を通って労働に出かけた。80%は帰らなかった。

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 ガイドツアーに参加をせずに、解説書を買わなかった人は、おそらくここからの行き先がわからなくなると思う。解説書に不足感がないわけではないが、進む方向と展示ブロックの解説は載っている。現場で読むには適切な分量である。

 アウシュビッツ博物館には28の建物があり、一部が展示場として公開されている。28の建物には番号が付けられている。1ブロックから28ブロックまである。公開されているブロックを回った。ブロックごとに展示内容は少しずつ異なる。

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 多くの写真が展示されている。写真はアウシュビッツの様子を撮ったものから、個人を特定するための証明写真まである。個人の写真はやがて入れ墨に変わっていった。

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 現物も展示されている。チクロンBという毒ガスの缶、被収容者の持っていたトランク、履いていた靴、人間の髪の毛で作られた生地。

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 施設の一部も残っていた。ベッド、トイレなどから毒ガスの施設まで。

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 *上記の写真のなかで、「室内で撮影されたもの」は撮影禁止の場所で撮ったものである。

 私が見たのは第4、第5、第6、第7、第11のブロックである。また死の壁、点呼広場、集団絞首台、収容所の厨房、ガス室・焼却炉、SS用車庫である。

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 アウシュビッツに送られた人たちや人種の関係国の展示もある。第14ブロックは旧ソビエト連邦、第15ブロックはポーランド、第16ブロックは旧チェコスロバキア、第17ブロックは旧ユーゴスラビア・オーストリア、第18ブロックはハンガリー、第20ブロックはフランス・ベルギー、第21ブロックはイタリヤ・オランダ、第27ブロックはユダヤ人である。私は第20ブロックのフランス・ベルギーの展示を見た。

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 最初収容されたのはポーランド人の政治犯だった。その後、さまざまな国の市民、ユダヤ人、ソビエト連邦の捕虜、ジプシーなど欧州全域の人間をアウシュビッツに送り始めた。1939年、オセフィエンチム市はナチス第三帝国に編入され、アウシュビッツと名前を変えた。

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 アウシュビッツ博物館とは別にビルケナウ(第2アウシュビッツ)がある。アウシュビッツより広大な強制収容所である。アウシュビッツ博物館内の敷地から無料のシャトルバスが出ている。クラクフ行きのバス発着場と同じ場所で待っていると、すぐにシャトルバスがやってきた。
  
 ビルケナウは広かった。アウシュビッツ博物館が写真を交えた室内展示であるのにたいして、ビルケナウは実物に近いものが残っていた。

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 アウシュビッツを解放したのがソビエト連邦であるのは、皮肉を通り越している。ドイツとソビエト連邦は独ソ不可侵条約によりポーランドの分割やバルト3国のソビエト連邦への併合を決めていた。アウシュビッツは、なぜドイツがこの収容所を設けたのか、ここで何が行われたのかを検証し後世に伝えていく場である。だから他の何かを持ち出してアウシュビッツを相殺することはできない。ただし殺害した人間の数ではおそらくヒトラーよりスターリンのほうが多いことは覚えておいたほうがいい。ウクライナ人に聞けば、賛同を得られるだろう。

 1979年、アウシュビッツ博物館とビルケナウは世界遺産に登録された。2010年、中欧の洪水により一時閉鎖になっている。

 解説書は必要だった。その上で、アウシュビッツの見学にガイドツアーに入る必要はない。それが私の結論になった。

 ガイドツアーに入った人は、必要だと主張し、そうでない人は、必要ではないと(おそらく)言う。要するに自己肯定であり、私も自己肯定をしているのに過ぎないのだが、解説書の言葉と、写真やいくつかの設備と保存されてある現物をつなごうと意識した。つまり立ちながら歩きながら展示物を見ながら、まともな読書をした。

 今日は日本人を数十人見た。昨日まで日本人観光客とは1人も会わなかったのに(タリンの日本人ゲストハウスオーナーしか会わなかった)。3本の日本人ツアーが来ていた。はっきり書いておこう。やる気がなくぞろぞろ歩く人たちと、その人たちの、タイミングをずらしたような記念写真のオンパレードには頭が下がった。多くの観光地においておそらくこうなのだから、アウシュビッツでもそうなっただけなのだろう。欧米人のツアーはどれも、しっかりときびきびとしていた。日本人のツアーは他の観光地ではよいが、アウシュビッツでは相当ずれていた。

 遠い日の、遠い欧州の、知らぬ民族と個人の身に振りかかったことを自らに引き寄せるには明らかに想像力が必要だった。想像力とは空想することではない。具合的な事実を言葉では把握し直すこと、言い換えると考えることである。思考には言葉という道具がいる。

 日本からツアーでやって来ている人たちは別にアウシュビッツに来たかったわけではないかもしれない。ただツアーのコースに入っていたし、1人だけパスするのも何だからいっしょに来たのだろう。金を払って気が重いことをしなければならないのは嫌だな。

 中谷剛さんのツアーを選んだ人たちはトップレベルの講師を自ら選択した人たちである。その中谷さんが語っていた「頑張ってくださいと言われると、今日のガイドは失敗だったとがっかりする」。その前後の言葉をあえて略する。この人は参加者全員の理解を最低限とし、参加者の生活の場にそれを活かしてほしいと考えていた。中谷さんに発せられた「頑張ってください」は別れ際の、おそらく単なるあいさつである。しかしあいさつの言葉としてふさわしくないことを言葉の発信者がわかっていない。頑張るのは、あなたでしょ、あなたの日常の場で、ということを理解していた場合、あいさつは別の種類の言葉になる。

 泣き出す女の子たちがいた。どこの国の子かは知らない。どこかの婦人も泣いていた。感情表現のあり方は民族によっても異なるので、泣くこと自体は表面的な事象である。それほど大きな意味があるとは思わないが、泣くことを最初の1歩とするのはまちがいではないだろう。それはすごくまもともなことであるように思う。日本人のぞろぞろ歩きとは対照的な雰囲気だったと書いておきたい。

 ビルケナウを出て、シャトルバスを待った。この時期のビルケナウからアウシュビッツまでのシャトルバスは15分間隔で出ている。

 シャトルバスがアウシュビッツ博物館のバス停に停まろうとしたとき、その前にバスがあった。15:15のクラクフ行きだった。間に合うかどうかぎりぎりだった。シャトルバスを降りて、1分のところにある荷物預かり所にバックを取りに行った。もどったときバスはもう出たあとだった。

 吹きさらしのビルケナウに長い時間いたので、体が冷たくなっていた。コーヒーを飲もうと近くのカフェに入った。ポーランド風ポテト・パンケートというメニューがあったので、思わず注文してしまった。コーヒーはすぐにテーブルに置かれたのにパンケーキはなかなか運ばれてこなかった。16:00発のバスに乗れるかどうか危うくなった。16:30発に乗ることにした。まさかパンケーキが3つ出てくるとは思わなかったのだ。

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 狭いバス停はごった返していた。乗車が始まっているクラクフ行きのバスの後ろではビルケナウ行きのシャトルバスに乗る人たちが大勢した(この時期のシャトルバスは16:45までしか運行していない)。クラクフ行きバスのチケット売り場はないので、チケットはバスのなかで買うようになる。バスに乗車する人の列はなかなか進まなかった。

 16:30発のバスに乗ることができた。クラクフ着は18:10くらい。

 Wifiとコンセントが確保できるバーガーキングでコーヒー。1時間半ほどいた。

 クラクフ駅の東口からエニグマホステルへの通り道にあるバーに行ってみた。昨日から気にかかっていたGOSPODA KRAKOWAKA。チキン、マシュルーム、ポテトの料理は東欧のどこにでもある。ビールはLITOVEL CIEMNE。

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