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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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パンクなキエフを観光的に歩いてみた。

14日目  2016年1月19日 キエフ   

 昨日は疲れていた。そもそも国境までの列車のなかであまり眠れていなかった。それ以降はもちろん寝ていない。今朝の起床は9:00になった。

 10:30にホステルVショコラディを出て、キエフ駅構内の小さなカフェで朝ご飯。

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 駅正面の北側にあるヴァグザーリナ駅からメトロに乗った。4駅目のアルセナリア駅で降りた。長いエスカレーターで地上に出た。

 シーチネヴィポフスタン二ャ通りを南に歩いた。途中に公園があり、重い荷を背負った少女の銅像が2つ、対になっていた。奥にモニュメントがあった。「地球の歩き方」の地図には「大飢饉犠牲者のモニュメントと資料館」とあった。解説はなかった。

 とても気になったので、そのあと調べたことと合わせて少しだけ書いておく。ホロドモールのことかもしれない(この碑がそれに該当するのかどうか確定できない)。ソビエト連邦にとって、ウクライナで収穫される小麦は外貨獲得の切り札だった。住民に飢餓が発生してもウクライナからは小麦は収奪された。それがさらに食糧不足を招くことになった。飢餓輸出と呼ばれるやつである。あらゆる手段を講じて(実はここがポイントなのだが省略する)ウクライナは圧迫された。ウクライナ人は強制移住をさせられた。農地を奪われ死んでいった。これがスターリンにより計画された飢餓ではないかと今でも議論されている。犠牲者数は250万人から1,450万人までの幅がある。ちなみに世界でもっとも多くの人間を死に追いやったのはヒトラーではない。スターリンと毛沢東だと言われている。戦争は長く続かない。長期の為政による収奪のほうが大きいということの証明かもしれない。

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 「大飢饉犠牲者のモニュメントと資料館」を目的としていなかったので、そのまま歩いた。ペチェールスカ大修道院に入った。この修道院を囲む城壁は7kmらしい。確かに広い。入り口は聖三位一体教会の一部になっていた。

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 門を潜って大鐘楼に入った。大鐘楼のなかに見るものは何もなかった。何もないから上に行けと言われた。高さ96mの塔をそれほど高いとは感じなかった。隣のウスペンスキー大聖堂もそれなりの高さがあるせいもある。

 ドニエプル川が見えた。地理や歴史で習った地名がそのまま目の前にあるのは旅の楽しみの1つである。おお、ここがあの有名なXXXという感じになる。ただ地名や読み方が変わっている場合も多く、その多くはどうして変わったのだろうという軽い疑問を持つだけで素通りしてしまう。カルカッタがコルカタになったのはいいとしても、はくすきのえ(白村江)はいつからハクソンコウになったのだ。

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 ウスペンスキー大聖堂は新しい建物である。薄く淡い外観とは異なり、内部は金色に輝いていた。

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 トラペズナ教会は地味だったが、地味ゆえの味わいはあった。古くはないが、横に長方形に広いという特徴を持っていた。食堂として使われていたその場所には丸い柱が数本ある。柱だけはイスラムの雰囲気がないわけではない。壁にはフレスコがあるが、これも20世紀のものである。

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 坂を降りていった。どんどんで下まで行った。蝋燭を買って地下墓地に入った。ここには僧の遺体が置かれている。湿度や気温の関係でそのままミイラ化したらしい。何体あるのかわからないが、洞窟の壁に沿って置かれていたり、少し深く掘った穴倉にあったりする。遺体はガラス張りの棺に入れられ、顔の部分には肖像画が架けられていた。だから生のミイラを見るような場所ではない。入り口は2ヶ所ある。近い洞窟入り口と遠い洞窟入り口である。近い洞窟入り口に行こうとしたが、もっと下にあると言われた。着いた場所は遠い洞窟の入り口だった。アンナ受胎教会のなかが地下墓地への入り口になっていた。

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 洞窟のなかは迷路である。それほど広くない範囲であるが、誰でも確実に迷うだろう。出口への矢印を1つ見つけてから、ひたすらそれを辿った。

 シーチネヴィポフスタン二ャ通りをもどった。帰りも「大飢饉犠牲者のモニュメントと資料館」は気になったが、素通りしてきた。2016年1月19日には、雪を被った普通の公園があるだけだった。

 アルセナリア駅からメトロに1駅分だけ乗った。マイダン・ネザレージュノスチ駅で降りた。キエフの地下鉄は深い。東京は大深度の地下利用を進めているが、核戦争を想定した旧ソビエト連邦のメトロの設計思想は特別である。それはアパート建設にもいえることで、その頑丈さを、日本の建設会社は手本にしてよいのではないか。ソビエト連邦とロシアのすごさはこういうところにある。ロシアのアパート群を爆弾で崩壊させることは容易ではないだろう。

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 道を尋ねながら歩いた。独立広場に出た。南側にはウクライナ独立記念碑が立ち、北側にはペチェルスキエ門がある。どちらも単なる記念碑で、北側に放射状の広がる4本の通りの間にある建物群の佇まいがおもしろかった。4本の通りはすべて上り坂になっていた。そのうちの一番東の通りを北に進んだ。坂を上っていった。

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 坂の上に現れたのは聖ミハイルの黄金ドーム修道院だった。白と薄い水色を基調とした修道院だった。フットボールのアルゼンチン代表のユニフォーム・カラーである。薄い水色は太い縦の3本ライン。そのままユニフォームである。

 尖がりタマネギは金色だった。

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 全体として色が薄いくせに派手な教会である。

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 もともとここには11世紀に創設されたドミトリエフスキー修道院(この名称をすぐに覚えた。ドストエフスキーがドミトリーに泊まったような名称だ)があり、その後、黄金ドームの聖ミハイル教会が建設された。しかしソビエト連邦の宗教弾圧ですべて取り壊されてしまった。今ここにあるものはまったく別物である。

 聖ミハイルの黄金ドーム修道院の西側は広場になっていて、その先にソフィア大聖堂が見えた。そちらのほうに歩かないで、北のほうに歩いた。

 アンドレイ坂に入り、坂を下っていく。坂には土産物屋が軒を連らねていた。正確に書くと、道路上に軒を連ねて出店していた。土産で多いのはマトリョーシカだ。メジャーリーガーのマトリョーシカもあった。誰かが米国での販売をたくらんだと推測した。共産主義時代を思わせる軍服や襟章、チェルノブイリ原発を思わせるガスマスクなども売られていた。

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 アンドレイ坂にあるアンドレイ教会の色も聖ミハイルの黄金ドーム修道院と似ていた。修復中で入り口は塞がれていた。

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 坂は急だ。下まで長そうである。ペチェールスカ大修道院の地下墓地に行くときも坂をかなり下りた。キエフが丘の上にある街だということがわかった。

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 坂の下まで下りないで、ソフィア大聖堂に向かった。聖ミハイルの黄金ドーム修道院の前の細長い広場の西のほうに見えていた聖堂である。

 ソフィア大聖堂はキエフ最古の教会である。入場料を取るので、聖ミハイルの黄金ドーム修道院のように地元の人が気軽に入れるわけではないようだ。くすんだようなフレスコ画は豪華で荘厳で圧倒的だった。壁から天井までフレスコ画で埋め尽くされていた。写真撮影は禁止されていた。

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 教会の敷地内にある鐘楼は上るだけである。上のほうの階段はコンクリートがむき出しで、観光客にとっては眺望だけが目的の場所になっていた。

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 聖ミハイルの黄金ドーム修道院が見えた。

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 黄金の門に着いたときは日が暮れていた。11世紀前半にキエフを取り囲む城壁が造られたとき、ここが入り口だったらしい。門の周辺は小さい公園のようになっており、周囲を建物が囲っていた。この辺りは少しパリに似ている感じがした。そういえばアンドレイ坂には画を壁に掛けて販売していた。そこも少しモンマルトルのようだった。

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 日は暮れたが、もう少しだけ歩いてみた。

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 適当に歩いていたら、メトロの駅に出た。近くのビュッフェ形式のレストランに入った。キエフには多い形式のレストランである。品数は多いので、目の前の料理を見ながら注文するときはどれもおいしそうに思い迷うのだが、フォークを動かすとそうでもなかったりする。ここはそれに近かった。リーガのヴェールマニーティスはうまかったのに。

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 テアトラーリナ駅からメトロに乗り、2つ目のヴァグザーリナ駅で降りた。駅の表側にマクドナルドがあり、裏側にKFCがある。KFCでコーヒーを飲んで、ホステルVショコラディにもどった。
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Comment

No title
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MAXさん。ウェストコーストは初耳ですね。ソ連にとってウクライナは貴重な小麦の産出地です。海は黒海しかありません。当然、ソ連のほうが海もいろいろあるわけで・・やはり海=開放的、あるいは海=農産物の海のようなニュアンスがあったのかもしれません。
2016年01月25日(Mon) 02:43
編集
お疲れ様です
ウクライナは昔はソ連のウエストコーストと呼ばれていた記憶がありますので、開放的な土地柄かもしれません
ビール瓶を写して頂けると良いのですが、、今日は東海道新幹線です
2016年01月22日(Fri) 21:30












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