FC2ブログ

アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
2018年08月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年10月
TOPスポンサー広告 ≫ 命運はどちらに! 2度目の国境にチャレンジせよ!TOPベラルーシ ≫ 命運はどちらに! 2度目の国境にチャレンジせよ!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

命運はどちらに! 2度目の国境にチャレンジせよ!

13日目  2016年1月18日 チェルハ(ベラルーシ・ウクライナ国境) ホメリ キエフ   

 1月18日はベラルーシ滞在3日目に当たる。まもなくベラルーシ・ウクライナ国境である。

 3:00頃、駅に止まった。少し前から周りの乗客がざわざわしていた。この駅で多くの人が降りた。国境ではないようだ。以前の列車は21:00台にミンスクを発車していた。その列車ならもう国境を越えているはずだ。私の乗ったミンスク駅22:42発は不必要にベラルーシ滞在を長くしてしまう。

 あらためて、5日前(1月13日)の旅日記から引用しておく。

 トランジット・ビザの有効期限は48時間である。日本にあるベラルーシ大使館領事部のHPには、有効期限は48時間であるが、2日目の24:00までに出国しなければならないという記載がある。つまり、初日の9:00に入国した場合、15時間(初日の残り時間)+24時間(翌日分)=39時間が有効期限であるということである。これについては(おそらく問われないと楽観的に考え)無視することにした。

 この国境を通過したことのあるいくつかのブログを読んでいた。驚いたことに、何人かは、有効時間は48時間だと決めてかかっていた。ベラルーシ大使館の追加の文言を「まるでなかったかのように無視して」いた。この人たちはベラルーシ大使館が発表している「最高2日までの有効期間である」ことを知った上で、わざと見ないふりをしているのだろうか。それとも本当に知らないのか。

 私の確認した範囲で、例外は2人いた。

 1人は、ベラルーシ大使館領事部で発給されたビザが48時間という表記ではなく、「2日間」という表記になっていたことに心配していた。2012年には既に「2日間」と表記されていた。その人はビザを取得したときに気がつぃたようであるが、3日目の早朝に国境を難なく通過していた。

 2人目は、入国から48時間以内であっても、3日目の0:00でビザの有効期限が切れることが心配で、入国したその日の夜の列車に乗っていた。「半日しかベラルーシにいなかった」と書いていた。理由は「心配だったから」。その2人目はヴィリニュスの地下にある出国管理のオフィスにも触れていた。信頼できるのはこの2人目の人である。まともな方である。

 しかしベラルーシ大使館の「有効期限が2日間」説を無視し、「48時間でOK」と解釈した人たちは、ことごとく2日目の夜行列車に乗った。そして3日目の早朝の国境通過に成功していた。彼らは一様に書いていた「何事もなく出国できた」。あっぱれ!

 私は彼らの成功体験を当てにしていた。それを成功体験と呼んではいけないこことに、3日目の1月18日3:00の時点でまだ気づいていなかった。

 4:00、列車が止まった。駅ではない。どうやら国境だ。誰かが乗り込んできた。顔を見ていないが、乗り込んできたのが誰かはわかる。私が乗ったのは1号車2等寝台である。さっきの駅でわりと多くの人が降りたので、国境を越える人は1号車で十数人になっていた。

 10分ほど経って、私のところに係官がやってきた。パスポートを渡した、出入国カードとともに。出国カードの裏には、出国日1月17日と書き込まれていた。書き込んだのは入国の係官である。そこにはご丁寧にスタンプが押されていた。

 国境でいちゃもんを付けられたときのために(いちゃもんを付けようとしているのは私かもしれないが)、入国審査にタブレットを使い始め、トランジット・ビザ取得を困難にしたベラルーシ大使館の逆手を取る、2つの反論を思い付いていた。

反論1
 入国の際にタブレットで、パスポートのプロフィール・ページを取り込んだ。つまりタブレットの入国記録を確認すれば、1月16日8:10頃に入国したことがわかるはずだ。出国時点ではまだ有効期限を残している。タブレット導入以前は、具体的な入出国時刻はわからなかったが、今はわかるようになっている(出入国データが連動していれば)。

反論2
 1月18日(3日目)に出国する(とわかっている)鉄道チケットを確認した上で領事部はビザを発行した。つまりベラルーシの出国時刻を領事部はわかっていた。その上で出入国カードを私に渡したということは、領事部が私の日程でのトランジットを認めた証拠である。

 ビザを申請する際に出入国のチケットを要求されていない2013年以前の国境通過では上記の2つの反論は通用しない。その頃、領事部は鉄道チケットを確認せずに、ビザを発給していた。出入国チケットをビザ取得の条件とした今だからこそ、逆手に取ることができる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1月13日 9:10頃  ヴィリニュスのベラルーシ大使館でビザ申請
 1月15日11:10頃  ヴィリニュスのベラルーシ大使館でビザ取得
 1月16日 8:10頃  ベラルーシ入国
 1月17日        ベラルーシを出国していない
 1月18日 4:10頃  3日目の国境駅。ベラルーシ入国後44時間(4時間残っている)。

 私のパスポートチェックの時間が長い。英語はまったく通用しない。ベラルーシ語で(ベラルーシ語かロシア語なのかの区別はつかないけれど)、無線で誰かに何かを言っている。無線で恋人を食事には誘わない。無線で、おばあちゃんから頼まれた買い物の糸の色が黄色だったのか薄黄色だったのかを確認するわけがない。無線は3度つながり3度切れた。ブツブツブツ。確か3度だったような気がする。

 アナタノトランジットビザハキレテイマス

 耳の奥のほうで聞きなれない片仮名が乱反射していた。

 アナタノトランジットビザハキレテイマス

 「オレ、切れてないっすよ」と言ってやりたかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。ベラルーシのトランジット・ビザは細かいことに不可侵ではなかったのか。こうなったらやるしかない。

 護衛艦いずも(空母ではないけれど)から、前述の反論1をスクランブル発進させた。同時にイージス艦こんごうからは反論2トマホークを発射した(搭載されているかどうかを知らないけれど)。迎撃目標は「アナタノトランジットビザハキレテイマス」。

 反論1と反論2は「アナタノトランジットビザハキレテイマス」に命中した、はずだった。

 ベラルーシ大使館のビザの有効期限48時間である。私の入国は1月16日の8:10だ。まだ4時間残している。ほら、この列車に乗ってきた(ヴィリニュス・ミンスク間のチケットを見せた)。私はこのチケットをベラルーシ大使館に提出した。大使館はチケットを確認した上で、ビザを発給した。私は48時間の有効期限を守っている。私にはこのチケットの列車に乗ってキエフに行く権利がある。

 私をキエフへ! ベラルーシ大使館領事部の名誉と威信にかけて!

 相手は繰り返す

 アナタノトランジットビザハキレテイマス

 片仮名を止めろ! 私は繰り返す!

 私をキエフへ! ベラルーシよロシア正教の神よ 慈悲の手を 

 3回ぐらい押し問答になった。

 4:20、すべての荷物を持って外に出てほしいと言っている。

 そうするしかなくなった。お互いの主張は出尽くしていた。

 列車を降ろされたのは初めてではない。プラハ(旧チェコスロバキア)からドレスデン(旧東ドイツ)の夜行列車で降ろされたことがあった。

 1980年9月X日のおそらく3:00頃のチェコスロバキアと東ドイツの国境駅。列車を降ろされた私はリュックを持って、ホームの端から端まで歩かされた。窓という窓からは連行される私を見詰める乗客たちの目があった。当時は連行されるというイメージだった。ベルリンの壁はまだあり、秘密警察と密告が社会主義国の裏側を支配していた。そのとき私は東欧を旅していた。アルバニアは鎖国をしていた。旧ユーゴスラビアだけはビザがいらなかった。残りの国の半分ほどのビザを自力で取ったが、残り半分を取るのは自力では間に合わなかった。残りのビザを日ソツーリストビュローにお願いした。ナホトカ行きの船が横浜から出航する前日、パスポートとビザを受け取りにいったとき、日ソツーリストビュローのオフィスで聞かされた「東ドイツだけはビザが間に合いませんでした。でも大丈夫ですよ、ちゃんと行けますから」。その言葉を今でも覚えている。

 「ちゃんと、とは?」と聞き返してはいなかった。こういうものだと了承させられていた。しかし親切だったのは国際列車のほうだった。降ろされた私1人を国際列車は待っていた。手続きのあと、降ろされた列車に乗り込んで私はドレスデンに向かったのだ。乗客たちを待たせたのを悪いと思っていた。

 ここで待っていて下さい

 国境警察の会議室のような小屋で待たされることになった。国際列車が国境でそれなりの停止時間を計上しているとはいえ、列車の乗客を待たせているわけだから、警察官たちは早々に私を列車にもどすだろう。私はなんとなくそう思っていた。

 会議室には暖房もあり、それほど寒くはなかった。壁には拳銃の解説書が貼られていた。密輸拳銃の対策マニュアルだった。その他に何やら機密事項に当たるものがあった。写真を撮りたかったが、監視カメラが入っているかもしれないと思われるものが天井に1つあった。その死角はほとんどなかった。この時点でうかつなことはできなかった。

 部屋にいるのは私1人である。持ち物検査を受けていない。対応はゆるかった。ゴルゴ13なら、2、3人を倒し雪の林を抜けウクライナに入っている。

 やることがないのでドアは開けてみた。ドアは開いた。開いてしまったのだ。雪の上に女性の警官が待機していた。一応は見張っていた。

 別にそうしたいわけではなかったが、トイレに行きたいと言ってみた。トイレという言葉は通じた。私を雪の上に放っておいて、上司に訊きに行った。もどってきた女性警察官は、もうちょっと待って、といったようなことを私に言った。

 上司はなかなかやって来なかった。外で待っている状態で、この場所がどこかを知りたいと言ってみた。スマートフォンを立ち上げ、地図を見せた。

 チェルハ、と言ったように聞こえた。

 ホメリではなく?

 ホメリだけは片仮名で読めた、唯一の街である。たまたまキエフのオフライン設定をしてあったのが、ほんの少し役に立ったわけだ。

 上司(この人だけが英語を話せた)が私をトイレに案内した。雪のなかをざくざく100mほど歩いた。雪のなかの掘っ立て小屋がトイレだった。

 元の部屋にもどってほしい
 列車は待っている?
 列車は行った(→ショックだった。私は見捨てられたのだ)
 今日中にキエフに行ける?
 今日中に行ける バスになる
 列車で行きたい
 今日キエフに行く列車はない(そんな。今はまだ5:00なのに。キエフ行きは私の乗った列車だけだった)

 言われるままに元の部屋にもどった。

 少し経って、若手の警察官が何人か部屋に入ってきた。

 いくつか私に質問をした。名前とか職業とか。友好的で楽しい会話だった。会話の半分以上は彼らの好奇心に寄るものだった。パスポートのなかの国々について質問してきた。イランとかインドとか。

 さっき女性警察官が言っていたチェルハのスペルを書いてもらった「THRYUHA」。キエフに行く方法を尋ねた。

 まずホメリに行く。そこでバスに乗る。キエフ行きは出ている。何本かはわからなかった。ホメリからキエフは4時間ぐらい。

 オーケー、鍵はホメリという街だ。国境の手前の駅で列車から大勢の人が降りていた。その駅だろう。

 今、書類を作っている、もうちょっと待って、と言って若手警察官たちは出て行った。

 このあと何が起こるかわからないので、スマートフォンの電源を切った。20分ほどして若手警察官のリーダー格の男が部屋に入ってきた。

 パスポートをもどされた。2種類の書類を、計5枚持ってきた。私のことが何やら書いてある。私は合計10ヶ所にサインをした。1枚は私に渡された。この1枚がベラルーシの国境を通過するときの書類になる。出入国カードは回収され、ビザが失効してしまった今、それに変わる通行手形である。使えなくなった列車のチケットは返却された。

 リーダー格の男は申し訳なさそうになった「キエフまでの料金分は無効になった。バスのチケットを買ってほしい」。

 彼は続けた「5:50にホメリに向かう列車がある。それに乗ってほしい」。どうやらそれが、私が自由になる時刻だった。4:10に拘束され、5:50に解放されるのは、今の状況を考えると悪くないのかもしれない。

 部屋で少し待たされた。

 列車の外に出るように私に言った上司がやってきた。彼は、今日のことをまとめて話した。次の2点である。

 拘束した理由が、トランジット・ビザの期限切れだったこと
 キエフへの行き方について

 その上で次の点を付け加えた。

 5:50の列車は無料で乗れる。
 ホメリに行く女性警察官がいる。ホメリであなたをサポートする。・・・何か質問は?
 さっきの書類の有効期限は?
 明日までにしてある(えっ、96時間ということ。そんなことしていいの?)
 ベラルーシ・ルーブルがない。ホメリで両替できる?
 サポートする

 オーケー、問題なしだ。

 雪は降っていなかった。ホームのないところから、5:50の列車に多くの警察官が乗った。夜勤を終えた警察官たちがホメリに帰る列車でもあった。20人以上の警察官たちとともに私も乗った。

 彼らに威圧的なところは一切なく、終始、友好的で紳士的だった。私は彼らの仕事ぶりを好きになった。仕事に熱心だったということは付け加えておかなければならない。

 列車は30kmの道のりを1時間かけて走った。

P1180074.jpg

 ホメリで降りた私と、私のサポートを命じられた女性警察官とたまたま同じ列車に乗り合った(女性警察官の)友達の女性警察官は、両替所に直行した。大体のバス料金だと思える金額を両替し、そのあとバスターミナルでキエフ行きのチケットを買った。147,200ベラルーシ・ルーブル(約1,470円)。トランジット・ビザ期限切れの罰金はなく、この金額が今回のトラブルで支払った費用である。サポートしてくれた警察官はここで去っていった。感謝を伝えた。

 彼女たちはとても気が効いていた。最後に、バスターミナルに常駐している警察官に私のことをサポートするよう頼んでいった。その結果、警察官たちは、不必要に私の行動を制限してきた。バスターミナルから出ないように、と。せっかくホメリという見知らぬ街に来ているのに、駅はすぐ近くなのに、バスターミナルから動けなくなってしまった。だから写真も撮れなかった。バスターミナルの構内写真しかない。両替した残りのベラルーシ・ルーブルでバナナと水のボトルを買った。

P1180078.jpg

P1180080.jpg

 7:50、キエフに向けてバスは発車した。旅はようやく国境警察の手から離れたが、通常軌道にもどったわけではない。2度目のベラルーシ・ウクライナ国境は気が抜けない。

P1180079.jpg

 9:00前にバスルートのベラルーシ国境に着いた。2度目の出国のトライアルである。追試の気分なのだけれど。心配は、さっきもらった通行手形がどの程度有効なのかである。下の2枚はその書類の表裏である。

P1180081.jpg

P1180083.jpg

 バスから降りた乗客たちは順番に並んでパスポートチェックを受けた。私だけはじかれた。そこで待っているように。いわゆる「別室送り」である。しかしハードウェアとしての別室は国境にはなかった。いや、あったのだけれど、利用させなかった。

 確認作業が始まった。5回ほど電話をした。電話の先は、鉄道の国境事務所である。5回ほど電話のやり取りをしていた。バスドライバーがまだなのか?という感じで2回ほど確認にやって来た。だだっ広いスペースにいるのは私と係官とバスドライバーの3人で、鳴り響くのは電話のコールだけである。

 A4の通行手形については8つ折りにして表裏をコピーしていた。係官の元には、パスポートのプロフィール画面をコピーする専用機しかないのだから、8つ折りぐらいにして1ヶ所ずつコピーをしていた。一般に空港などで、入国管理の際にパスポートをコピーしているのは、どうやらコンピュータと連動していないようだ(推測であるが、あれは単なる小さいコピー機である可能性が高い)。
 
 バスドライバーと私が窓口を覗き込むようにしているなか、係官は私のパスポートにスタンプを押した。安心のため息を付いた。バスドライバーは笑った。

 オーケー。1つ突破である。ドライバーは私の肩を叩き、もう1つあるぞと言った。

 バスはゆるゆると5分ほど走った。ウクライナの入国管理事務所である。

 30人ほどの列の最後のほうに並んだ。列車で通る場合はおそらく問題ないはずだが、日本人がほとんど通らないバスルートである。ヴィリニュスからの国際バスがミンスクまで走っていたように記憶していたが、そうであるのならここを通るはずだ。ただ私が乗ってきたのはローカルバスである。

 やはり「別室送り」に近い状況だったが、別室に入れられなかったのは、ハードウェアとしての別室が用意されていなかったからではない。窓口の係官は、コンピュータの電源を切り、私のパスポートを持って(おそらく上司の判断を求めて)別室に入っていった。

 やった!別室送りにしてやった。イランでの別室送りの敵を取ったが、トルクメニスタンの敵はまだ残っている。トルクメニスタン入国の際には、待たせたあげく、相手はあろうことか私が滞在予定先として書いたホテルに電話を入れたのだ。前代未聞である。トルクメニスタンのホテルに予約などするはずがないだろう。

 ベラルーシのトランジット・ビザの入国日と出国日に疑問を持ったとしても、ウクライナの入国管理官には関係がない。しかし危ないヤツだと推測したかもしれない。もどってきた係官は私のパスポートを入念にチェックしたあと、パスポートにスタンプを押した。スタンプはベラルーシの出国スタンプの真横にくっ付けて押された。わざとである。

 無罪放免になった。自由とはかくもすばらしいものであることを国境の空は私に語りかけてきた、といったようなことはもちろんなかった。

 ベラルーシ時間で10:00だった。ウクライナ時間は1時間早くなる。48時間有効のトランジット・ビザで、52時間ほどベラルーシに滞在したことは、旅ネタとしてはAランクである。

 はっきり書いておこう。ベラルーシのトランジット・ビザの有効期限はまちがいなく2日間である(最初からHPに書いてある)。出国審査をする係官たちにそれは浸透している。ベラルーシの国境通過が甘いという風説を信じてはいけない。もっともホメリに行きたければ、私のようにしてみるのもいいだろう。夏の朝なら、国境の近くの美しい林と農村の風景を見ることができるかもしれない。

 国境を抜けたバスはチェルノブイリの東50kmほどのところを南に向かっていた。キエフからチェルノブイリ行きのツアーが出ている。5日ほど前に調べていたら、1人の場合の1日コースで1,360ドル、2日コースで2,690ドル、5日コースで5,324ドル、6日コースで6,728ドルとでてきた。何かの間違いではないかと思った。人数がまとまれば料金は下がってくる。10人くらいの1日コースで200ドルくらい、団体になると160ドルくらいにはなる。真冬のこの時期に団体のツアーが存在しないのか、ツアーそのものがなくなってしまっているのかわからなかった。1人の手配は可能なのだが、放射能が残っているからではなく、金額的に行ける場所ではなかった。

 バスは途中、小さなバスターミナルのあるチェル二ヒウに止まった。バスターミナルの近くに大きな教会があった。

P1180085.jpg

P1180084.jpg

 12:00前にキエフ中央バスターミナルに到着した。バスターミナルは古く廃れていた。このバスターミナルから出るバスをいくつか確認した。

P1180090.jpg

P1180086.jpg

P1180089.jpg

P1180088.jpg

P1180091.jpg

P1180092.jpg

 デミーイフスカというメトロの駅は徒歩5分のところにあった。メトロの駅は見つかったが、ウクライナ語の表示の読解には苦労させられた。キエフのメトロは3路線しかない。デミーイフスカ駅から5つ目のブレシチヤー駅で1号線に乗り替え、3つ目のヴァグザーリナ駅で降りた。キエフ駅のある場所である。

P1180093.jpg

P1180094.jpg

 キエフ駅正面からあまり離れていないところに工場があり、煙突から煙が上がっていた。

 キエフ駅正面の構内は欧州の駅らしく荘厳な造りであったが、ウクライナの現状が荘厳さを許さなかったといっていいかもしれない。バスターミナルもキエフ駅も似たような雰囲気だった。

P1190004.jpg

P1180096.jpg

 何かが壊れていた。箍(たが)が外れていた。パンクである。社会主義を正当にほどよいスピードで解体したのがバルト3国であるのなら、ベラルーシはおそらくよい点を残しながら、ゆっくりゆっくり解体を進めようとしているのではないか。ウクライナは方法と順番とスピードを微妙にすべて間違えてやってしまった感じがある。

P1180100.jpg

P1180101.jpg

 苦労してやって来たキエフはおもしろい街だった。バルト3国とは対照的である。2泊の予約をしてあったが、もう1泊追加したいと、ホステルVショコラディのレセプションに伝えた。3泊の宿泊料金は日本円にして約1,700円(1泊566円)である。駅から5分、この旅でもっともきれいなゲストハウスである。私の旅の最安値であったリシュケーシュの500円ぐらいと同水準が欧州で記録された。

P1180098.jpg

P1180099.jpg

 この日は駅の表裏を歩いただけだった。裏のビュッフェスタイルのカフェで夜ご飯を食べた。ここは人気の店らしくいつも満席のようである。

P1200051.jpg

P1180102.jpg
スポンサーサイト

Comment

No title
編集
Maxさん。ほんとにドキドキでした。
過去の成功事例を読んでいたので、うまくいくかもと思ったのです。成功事例といっても2、3件くらいですけれど(失敗すれば書かないかもしれません)。

48時間の追加の猶予期間をもらったのですが、早くベラルーシを抜けることで頭のなかがいっぱいになり、そそくさと退散することになりました。

100%の自己責任です、はい(笑)
2016年01月25日(Mon) 02:37
編集
いつも楽しく読ませていただいております
ドキドキの国境通過でした
無事に抜けられてホッとしております

思い出しました、昔は白ロシアって
書いてありました

ウクライナ編楽しみにしております
ご安全に!
2016年01月22日(Fri) 14:53












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。