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旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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ひさしぶりの台北の、街歩きと食べ歩き。

9日目  2015年12月24日  台北 

 7:00前に起きて淡水に向かう予定でいた。出発前の日本でそういうふうにしようと思っていたということである。台北駅より北側にあるMRT民権西路駅の近くのイン・キューブ・ミンチュエンを予約したのは、そのためである。MJさんから、淡水を中心としたおいしそうな朝ご飯の食堂を教えてもらっていた。

 1999年に淡水に行ったとき、あちこちで道路工事をしていた。暑さがひどく埃っぽい街だった。それ以降、かなり整備されたようなのでもう一度行ってみようと思っていたが、チェックインが今朝の3:00前になった時点で、早く起きようとする気力を失くしていた。

 台湾には2度来ている。1999年8月に10日間で台湾を一周した。台北、台中、台南、高雄、台東、成功、花蓮、平渓線沿線、基隆などに行った。2004年の年末から1週間で、集集線沿線(水里)、埔里、新竹、野柳、内湾線沿線(内湾 竹東)、五峰、平渓線沿線(青桐 平渓 九份、十分)などを周った。それっきりである。

 初回はただ周っただけだった。たいして台湾映画を観ていたわけではなかったが、2回目に映画の舞台を少し周ってみた。少しあと、都知事時代の石原慎太郎は公式の場で台湾映画を高く評価した。返す刀でブームとなっていた韓流を切った。わからないではない。次は春川に行こうと決めていたとき、「冬のソナタ」がいきなり大ブームになった。大量に押し寄せた日本人女性のため、春川に行く気がしなくなった。結局、春川に行ったのは地下鉄が延長された年になった。ブームとなった韓流は、私が観始めていた韓国映画を押し流してしまった。それは「八月のクリスマス」「グリーン・フィッシュ」「ペパーミント・キャンディ」辺りで終わってしまったという意味である。2002年はそういう年である。

 九份は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「悲情城市」の舞台として知られている。あらゆるガイドブックにそう掲載されている。ガイドブックを作るヤツの意味のない自己模倣は止めてくれと思っていた。九份の坂の途中にある映画「恋恋風塵」の画で立ち止まらせたあとで、金瓜石に連れていくのがガイドブックの役目である。

 下の1枚は2005年1月2日の九份。

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 最初に観た台湾映画は、侯孝賢の少し先輩の王童(ワン・トン)監督の「海をみつめる日」だった。よい映画だった。九份はこの映画でもロケ地になっている。1980年代に台湾映画祭が2度東京で開かれた。私の記憶ではそうなっているが、その情報はインターネットに出てこなかった。「海をみつめる日」を見たのはこの映画祭である。2000年代に入り、台湾映画はアジア映画の範疇に入ってしまったが、それ以前は、もう少し独立して扱われていた気がする。

 最後に見た台湾映画は「海角七号/君想う、国境の南」である。渋谷マークシティの奥のほうにある小さい映画館で観た。チケットを買うとき、「海角七号」を「かいかくななごう」と読めず、「うみかどななごう1枚」と言ってしまい、恥ずかしい思いをした。それにしても「国境の南」という邦訳は何だ! どう考えても米国のポップス「国境の南」(ナット・キング・コールらが歌った)と小説「国境の南 太陽の西」(村上春樹)のパクリである。

 たまにしか観ない台湾映画ではあるけれど、小さな台湾のどこに行っても映画のロケ地がある。台北だけでなく、集集線沿線、内湾線沿線、平渓線沿線は映画の風景の地である。平渓線ばかり特集しないで、内湾線にも本格的な光を当ててほしい(竹東だけでは話にならない)。侯孝賢の傑作「川の流れに草は青々」の風景に触れることができる。

 下の2枚は2004年12月31日の内湾。2枚目の右のポスター「童年往事」を観ていないが、これも侯孝賢監督の作品である。

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 9:30頃、イン・キューブ・ミンチュエンをチェックアウトした。

 民権西路に出てみた。台北駅(台北車站)まで歩いてみることにする。駅周辺から南に向かう通りは、中山北路、承徳路、錦西街の3本があるようだ。

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 民権西路と承徳路の交わる交差点に大きな歩道橋があった。そこから承徳路を南に歩くことにした。

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 承徳路を歩くのがさほどおもしろくないことはすぐにわかった。錦西路に入ってみた。次の三叉路を右に入った双連街を南に歩いた。

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 朝ご飯を食べよう。いくつかの魅力的な小さな食堂をやり過ごしてきた。迷った末にやり過ごしたということだ。必要以上に歩き続けても仕方がない。MRTの雙連駅のある民生西路に出たところの、小さな食堂に入った。永和世紀豆漿大王という店だ。蛋餅を食べた。クレープのような玉子焼きだ。外の皮が少しさくさくしてうまかった。

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 錦西街は細長い公園のようになっており、その真下をMRT淡水線が走っている。少し歩いてみたが、おもしろくない。赤峰街を南に歩くことにした。路地裏には引き込まれる。

 MRTの中山駅の近くに出た。東西に走っているのが南京西路だ。中山北路との交差点は、台湾にしてはおとなしい。つまりごちゃごちゃしていない。

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 名前のわからない道路を南に歩いていくと、台北市立建成国民中学のレンガの建物があった。

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 その南に台北駅(台北車站)があった。博物館っぽい外観は変わっていないが、内側は新しくなったようだ。

 駅の西側を通り忠孝西路を横断し、新光三越百貨店の脇を抜け、館前通りを南に進んだ。真っすぐ歩くと国立台湾博物館の前に出るが、それではおもしろくない。この辺りの道路はところどころに細い路地や鍵型のような路がある。適当に脇道に入った。

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 懐寧街から西に入り北方向にもどり、漢口街一段を西に歩いていたとき、城美大飯店を見つけた。2004年に泊まったホテルである。この年の年末年始、台北に雪が降った。雪を楽しむ人たちを映し出すテレビニュースを、寒い城美大飯店の部屋で何度も見た。台湾のホテルに暖房装置がないことを知った。驚くべきは台湾人の服装だった。道行く誰もが真冬の服装になった。彼らのタンスのなかを見てみたいと思った。台湾人は冬服を着たくて着たくてうずうずしていたのだ。

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 中華路一段を横断し西門に入った。

 夜に西門を歩いたことがあったはずだが、昼前の西門はつまらなかった。まるで横浜の伊勢佐木町の昼間のようにつまらなかった。単なる雑な商店街である。日本を真似てのことなのだろう、アニメキャラで活性化しようとしていた。

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 ここからどこをどう歩いたのかしっかり覚えていない。成都路、昆明路、内江路は歩いた。台湾の道路名に中国の地名が片端から登場するのはおもしろい。もっとも通りの名前についてはギリシャのほうがおもしろい。たまにソクラテス通りやプラトン通りを発見するのは、ギリシャの街歩きの楽しみである。そのためにはギリシャ語のスペルの、最初の3文字くらいは覚えていないといけない。

 ジグザグに歩いた。この辺りは不規則で斜めに走っている道路があったり、細い路地があったりする。西門自体はあまりにつまらなかったが、西門の奥の南のほうは歩いていて退屈しない。

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 11:20頃、ようやく艋舺清水巖(もうこうせいすいがん)祖師廟に着いた。ここは艋舺龍山寺、大龍峒保安宮と並ぶ台北の三大廟門の1つである。淡水祖師廟、三峡祖師廟とともに台北三大祖師廟とも呼ばれているらしい。由緒ある廟であるようだ。日本の影響なのかもしれないが、台湾人も「三大**」というのが好きなのかもしれない。

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 艋舺清水巖祖師廟は康定路から40mほど奥に入ったところにあった。この40mがかっての参道だったのだろう。参道の両側には土産物屋や食堂などがずらっとあったのかもしれない。廟に向かって右奥に2軒の食堂があった。祖師廟口牛肉大王と祖師廟口自助饗である。祖師廟口自助饗に入った。ここはMさんに教えてもらった店である。Mさんは「台湾一周!安旨食堂の旅」を読んでここに来たらしい。

 夫婦でやっているようだ。豚肉がうまいよとご主人が皿に取ってくれた。

 豚肉の煮込み、魚の煮付け、玉子焼き、ビールを注文した。豚肉はあっさり味でうまかった。付いていた生姜はよいアクセントだった。

 先に入っていた客が出て行ったあと、ご主人が話しかけてきた「日本人ですよね、この店、本に載ったんだ」。とても嬉しそうだった。

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 さて、ここからは帰国の途になる。

 西門まで歩いた。そこから台北駅の西側にある国光客運のバス発着場まで歩くことはできるが、1区間だけMRT土城線に乗った。西門駅で乗り、台北駅(台北車站)で降りた。

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 出口で迷った。一端、地上に出てみた。秋葉原のようだった五鉄秋葉原は新しくなったようだ。

 国光客運の台北バスターミナル西站はすぐにわかった。1819番の桃園国際空港行きのバスに乗った。

 バスは淡水河を渡り、台北の西に向けて走った。車窓に建設中の、桃園国際空港と台北市内を結ぶ桃園空港MRT(桃園機場捷運)の高架が見えた。それは2015年12月つまり今月に開業する予定だった。開業は2016年3月に開業が延期されたが、試験列車が走っていた。

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 出発の3時間前に桃園国際空港に着いた。第2ターミナルの1階のフードコートで食事をした。写真で見て、擔擔麺麵套餐というのを注文してみた。つまり担担麺だった。うまかった。台湾でうまくない料理を見つけるのは難しい。

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 さて帰る。

 CI106 台北国際空港16:20発  成田国際空港20:20着

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 終了
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Comment

No title
編集
Maxさん。

ワルシャワには旧市街があり、そこが一番の見どころです。この日は、そこには行っていません。帰りにもう一度ワルシャワに入ることになるので、そこで行くことになると思います。とりあえずバルト3国に向かいます。

ポーランドは、1980年代のワレサ議長の「連帯」や映画監督のアンジェイ・ワイダの印象は強いです。

2016年01月07日(Thu) 19:03
編集
ワルシャワ、どんなところでしょうか?
歴史に翻弄されたイメージです
ワルシャワ条約機構、蜂起、ゲットー、ポーランド回廊などマイナスオーラしか出てきません
でも近年の経済発展で「土地が上がるかも知れないので買いたい」と知り合いの旦那のポーランド人が言っていましたが実際どうなのでしょう
ご安全に旅して下さいませ
渋い写真を期待しております
2016年01月07日(Thu) 08:02
No title
編集
Maxさん、台北は変わらないですね。私にとってはほんとに久しぶりだったのですが、雰囲気は同じでした。

バイクはもっと少なくなっていると思いましたが、数はかなりのものです。フルフェイスのヘリメットにタオルを撒いた姿の軍団は、まるで銀行強盗の集団のようです(笑)

パラオから帰ってきて1月6日に旅にでました。今、ワルシャワです。寒いです(笑)
2016年01月07日(Thu) 02:06
編集
いつも楽しく読ませていただいております
久々の台北を見ましたが変わっていない街並みですね
足裏マッサージは行かなかったのですね
旅の最後には良いかもしれません
2016年01月06日(Wed) 19:28












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