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アジアンカフェをよろしく!

旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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やって来た-20℃! 

3日目  2016年1月8日 タリン
 
 タリンでは1泊を予定していた。昼過ぎにタルトゥに向かうつもりでいた。昨日タリン・バスステーションでタルトゥへのバスの時刻を尋ねたのはそのためだ。

 タリンでもう1泊することにした。昨日の夜、少し歩いただけだが、タリンは美しい街だった。今日の半日で去るのはもったいない気がした。タルトゥに行かない。

 レセプションに延泊することを伝えた。このゲストハウスは朝ご飯が付いている。パン、コーンフレーク、コーヒー。パンはうまかった。コーンフレークを家で食べることはないが、ゲストハウスの15軒に1軒ぐらいは出てきそうである。

 日の出は9:14。

 9:00の気温は-19℃。

 そう、ここはエストニア。

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 暗くて寒い外に出るのが怖い気がする。

 でも、外に出る勇気がない、体と心が委縮してしまっている、というほどのことではないので、外に出てみた。

 それなりにはつらつと出たけれど、寒さは厳しかった。マフラーを取りにもどった。手袋をして、フードを被り、口元にマフラーをまいた。デモに行くわけでもないし、銀行強盗をしないけれど、外気に触れる部分を目の周辺だけにした。

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 「旅の家」の南西方向にあるトームベアに行ってみた。石灰岩でできた高さ20mほどの丘である。アレキサンドル・ネフスキー聖堂があった。堂々としたロシア正教会である。ネフスキーとくれば、サンクトペテルブルグにあるネフスキー通りを思い出す。「罪と罰」に何度も登場する、ラスコーリニコフが何往復したかわからない通りである。レニングラードと呼ばれていた時代に私も歩いた。

 エストニアが独立したとき、この教会を移転させる計画があったが、実現しなかった。この教会は議会の前にあり、エストニア人からは疎まれている。礼拝に来ている人は多かった。タリン在住のロシア人なのだろう。

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 トームベア城には入れなかった。毎週金曜日の11:00からツアーがあるらしいが、それ以外では入れないのかもしれない。裏側に「のっぽのヘルマン」と呼ばれる塔があった。

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 その北側にある大聖堂は地味だった。入り口は閉まっていた。

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 トームベアには2ヶ所の展望台があるが、それほど見晴らしがいいわけではなかった。

 「旅の家」の前までもどり、北に歩いた。

 修道女の塔のところに出た。ここから北側に向けて城壁が続いている。修道女の塔の下が入り口になっているようだ。登ってみた。城壁のところどころに塔があり、登れるようになっている。塔の上の内部からは日本の城のように狭い窓から街が見える。街の一角だけが見えるといったほうがいいだろう。おそらく当時のまま残しているのだろう、観光客に配慮されているとはいえない。それほど高い塔ではないので、多くを見渡せるわけではない。

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 キリスト教容協会のスール・クローストゥ通りを歩き、ライ通りに入った。この辺りには工芸とデザインの博物館、自然史博物館がある。健康博物館といったのもある。

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 ライ通りの北の端を東に歩けば、スールランナ門と「ふとっちょマルガリータ海洋博物館」があった。トームベアの「のっぽのヘルマン」といい「ふとっちょマルガリータ」といい、うまい訳し方と言っていいのだろう。「背の高いヘルマン」と「太ったマルガリータ」というよりは興味が湧く。ヘルマンが、ヘルマン・ヘッセのヘルマンだとしたら、ドイツ人だから、背は高そうだ。ふとっちょマルガリータのマルガリータもなんとなくふとっちょの感じがする。

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 exciteの自動翻訳の言語のなかに、エストニア語があった。では、やってみよう。“Paks Margareeta”の”“Paks”を日本語に置き換えてみた。「厚さ」と翻訳された。なるほど、意味はわかる。

 では、日本語の「厚さ」を翻訳すると“Paksus”と出た。ここまでは、まあよしとしよう。似ている。しかし「太った」を翻訳してみると、“rasva”、「太っちょ」は“fayso”で、平仮名の「ふとっちょ」は“ Rasvane”。何かおもしろそうなオチを付けたくて遊んでみたのだが、収集が付かない場所に足を踏み入れてしまった。よく考えれば、“Paks”がエストニア語であるという保証はない。

 聖オレフ教会を右手に見ながら、ピック通りを南に歩いた。聖オレフ教会は礼拝の時間にしか開かないようだ。

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 入り口が閉まっていた大聖堂には入れなかったが、オレヴィ・レジデンツホテルの近くのチョコレートカフェに入った。とにかく一息つきたかった。追加でカフェラテとチーズケーキを注文した。外に出るのを引き延ばしたかっただけである。1時間半ほどいることになった。

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 何気にスマートフォンを見た。今日の最低気温は-20℃になっていた。

 ついに来た! 来たときには歌おうと思っていた。

 ♪きっと来る〜♪(feels like heaven)

 音楽は軽快なのだけれど、-20℃は貞子並みの恐怖である。

 貞子を封じるために、聖霊教会に入ろうとしたが、ここも礼拝時だけしか入ることができなかった。タリンの多くの教会は貿易商のためにあったのに対し、ここは貧しい人たち向けの教会だった。悪霊封じではなかった。

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 1月のタリンの街歩きの極意は、ときどき教会と土産物屋に入ることであると、私はもう気がついていた。冷たくなった体を一時でも温めるために、教会と土産物屋は打って付けなのだ。

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 夜は人を引き寄せていたが、昼過ぎのラエコヤ広場はぱっとしなかった。

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 旧市庁舎の東にあるヴェネ通りを北に歩いた。カタリーナ・ギルドというおもしろそうな建物があった。入り口の壁に中世風の画があり、奥に土産物屋があった。キルト、革製品、グラスなどが並んでいた。なかなかお洒落な土産物屋だった。

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 その先がドミニコ修道院だ。9月から4月までのドミニコ修道院は予約者だけしか入れない。カタリーナの通路といわれている場所には中世の石板や墓石があった。裏口にあたるムーリヴァへ通りから修道院への入り口があった。修道院のなかには入れなかったが、地下のほうに行く秘密の扉のようなところがあった。階段を降り、重そうな扉を押してみると開いた。シススギャラリーという怪しげな土産物屋だった。修道院の地下をそのまま利用したのだと思われる。ここがもっともおもしろかった。

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 城壁が旧市街を囲んでいる。今でも旧市街を一周するように残されていた。ムーリヴァへ通りの東は城壁だった。ブレーメン塔があった。その先にはずんぐりとした聖ニコライ教会が夕陽を浴びていた。

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 ヴェネ通りを南に歩いた。旧市庁舎の東を南のほうに歩いた。観光案内所があったので入ってみた。体を温めるためである。

 聖ニコラス教会に入った。教会のくせに入場料を取る。入ってみた。ニコラスという由緒ありそうな名前の教会なのに、コートを預かる、土産物屋としての物販、トイレの併設などの機能は充実していたが、それ以外は普通だった。

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 骸骨のマリア像を見た(マリア像ではないかもしれない)。誰も注目していなかったが、入場料の価値はあったかもしれない。

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 聖ニコラス教会の西にも城壁があった。今朝行ったアレキサンドル・ネフスキー聖堂の南にネイツィトルンとキーク・イン・デ・キョクがあった。午前中に登った修道女の塔と同じような塔である。塔は城壁のところどころに、まるで見張り台のようにある。四角い形のネイツィトルンは、売春婦の牢として使われた。今はカフェになっていた。

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 エストニア料理の店だと思って入ったレストランは、スカンジナビア料理全般の創作料理の店だった。どのレストランでもじゃがいもはでると「旅の家」のオーナーに昨夜教えてもらっていたが、ここは出なかった。それについては少し残念だったが、うまかった。ビールはもちろんSAKUだ。

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3つの国境を越える。ポーランド→リトアニア→ラトヴィア→エストニア。

2日目  2016年1月7日 ヴィリニュス(リトアニア) リーガ(ラトヴィア) タリン(エストニア)

 4:10頃、ポーランドとリトアニアの国境で入国審査があった。顔写真のページを上にしたパスポートを入国審査官に渡した。愛想のよかった仕事師は私のパスポートを1枚1枚めくったが、何も言わなかった。アフガニスタン・ビザの上にゲゲゲの鬼太郎シールを貼るということを思い付いていたが、実行する勇気はない。

 6:20頃、バスが停車した。カウナス・バスステーションだった。

 8:00を過ぎても、外は真っ暗だ。誰も座席の天井にある照明を点けない。みんな寝ている。外が夜だからである。夜が明ける気配はない。

 ヴィリニュスの中心に停車したバスはさらに少し走り、8:45、ヴィリニュス・バスステーションに着いた。街の中心部からはかなり離れている。ここが終点である。荷物預かりの半券を提示しないとリュックはもどされない。誰かが勝手に人の荷物を持っていくということはないだろう。リュクエクスプレス(シンプルエクスプレス)の預かり荷物の管理はしっかりしたものだった。

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 寒い。気温は-16℃である。外に出て何かをしようという気が失せる寒さである。昨夜バスを待っていたとき、-20℃を体験することになるとポーランド人が言っていた。ワルシャワは暖かかった。

 ヴィリニュス・バスステーションのバス発着場は広かったが、ターミナルビルは大きくはなかった。ビルのなかも暖かいわけではなかった。チケット売り場の、タイムテーブルに載っていた行き先にタリンという文字はなかった。タリナスとなっていた。リトアニア語なのだろう。ターミナルのなかの店の半分くらいはまだ閉まっていたが、カフェが2軒開いていた。そのうちの1軒でコーヒーを飲んだ。

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 ATMでユーロを多めに引き出した。バルト3国の通貨はユーロになっている。これだけでぐっと旅行がしやすくなる。2016年の年初から日経平均株価が下落している。それは円高を意味する。思わぬところで旅の援軍(戦力は微力)が現れた。少しはいいこともある。

 9:40頃、タリン行きのバスが入線してきた。リュックを預けて乗り込んだ。

 ヴィリニュス・バスステーションを出たバスはヴィリニュス中央駅に寄った(暗くてよくわからなかったが、ワルシャワから乗ったバスが停車したヴィリニュスの中心はここだったのだろう)。新たに乗ってきた人たちによって乗車率は100%になった。シンプルエクスプレスのバスは大きいが、車内は一気に窮屈になった。通路側の椅子を3cmほど通路のほうに移動させることができる。その分、隣の人との間隔を取ることができるようになっている。通路は狭くなり、トイレに行くときには狭い通路を通らなければならない。

 11:00頃からバスは雪景色のなかを走り続けていた。わずかに光が差したときもあったが、ほとんどは細かい雪の降るなかを走っていた。雪が景色を蔽っている。美しい景色になるはずなのだが、窓が汚れすぎていた、前面の窓を除いては。

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 風景の奥に山らしい山はない。雪をかぶった林がずっと続いた。

 いつの間にかラトヴィアに入っていた。いつ国境を通過したのかわからなかった。

 バスはリーガ国際空港に寄ったが、誰も乗ってこなかった。寒々しい風景のなか、バスは空港のある、街の東のほうから南側に向かい、リーガの街に入っていった。川幅が5、600mほどあると思われるダウガヴァ川が凍結していた。1月の頤和園(北京)の巨大な池に張った氷の上を歩いたことがあるが、この川の上も歩けそうだ。街に入っても雪は残っていた。今日のリーガは最高気温-13℃、最低気温-23℃である。こんな時期に来るんじゃなかった、と思った。

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 リーガ駅の南西にあるリーガ・バスステーション(Riga Coach Station)にバスが着いたのは14:30である。ヴィリニュスからリーガまでの200kmの所要時間は4時間半だった。

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 新しい乗客を乗せてバスは走り出した。

 16:10頃、西のほうが薄っすらと茜色になっていた。陽が沈む時間らしい。わずかに明るいのは西の空だけで、バスのなかも外も真っ暗である。

 ラトヴィアからエストニアに入った。いや、知らないうちに入っていた。入国審査のない国境がどこかわからなかった。ましてバスは暗闇のなかを走っていた。

 17:15、パルヌに入った。パルヌ・バスステーションに着いたのは17:15だった。

 ここからは最終目的地のタリンに向けて走るだけである。タリンはこの旅の最北端の街である。つまり今回の旅でもっとも日が短い街である。

 タリン・バスステーション(Tallinn Coach Station)に着いたのは19:20だった。今まですべての街に10分ほど早く着いていたのに最後だけは遅れた。おそらく雪のせいだろう。

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 早くゲストハウスに行きたいが、明日のバスの発車時刻を確認しておく。タルトゥまでは1時間に1本の頻度でバスがあるようだ。所要時間は2時間30分ほど。

 タリン・バスターミナルを出た。奥のほうにトラムが見えた。電停の近くにいた人にタリンの中心部の方角を尋ねた。その方向に向かう4番のトラムに乗った。2番に乗っても市の中心部に行くことはできる。

 2両編成のトラムの車内に、いるはずの車掌がいない。チケットをどこで手に入れればいいのかを乗客に尋ねた。前のほうに行って、運転士に声を掛けろと言われた。トラムの運転台と乗客の乗るスペースはガラスの扉で仕切られているのだが、下のほうに運転席からも乗客側からも開閉できる小窓がある。チケットを持っていない客はその小窓を開けてお金を入れる。運転している最中の運転士はその対応をできないが、次の電停に止まったときに窓口に入れたお金を取り、チケット(とお釣り)を窓口に置いてくれる。乗客は小窓を開けそれを受け取る。そういう仕組みである。

 乗客は一番前から乗車していた。乗車した電停にトラムがまだ止まっているときに、チケットを買ってしまうのである。それを知らずに車掌を探して最後尾まで行ってしまった私だけが、次の電停に停車したときにチケットをもらうことになったのだ。車掌から買えと書いてあるのはまちがいということになる。

 トラムは繁華街に入った。大きなビルがあった。ヴィルという文字が見えた。ヴィルホテルらしい。そこで降りた。ホテルではなくヴィルの商業施設らしかったが、少し先にヴィルホテルがあった。持ってきた「地球の歩き方」の市街地図のなかに入ったことがわかった。

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 パスワードフリーのWifiの電波はタリンの路上には飛んでいなかった。スマートフォンの地図は使えなかった。エストニアの首都タリンには、EUのIT関連組織の本部が置かれている。議会ではノートパソコンを使い、選挙ではインターネットが利用されている。インターネットは相当普及しているはずだが、スマートフォンのマップを見ながらどこかに行くというのはまだのようだ。

 歩いている先のほうにイルミネーションが施された大きな門が見えてきた。ヴィル門らしい。

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 その先に旧市庁舎の建物があった。ラエコヤ広場に出た。いくつもある屋台を無視して、広場の西側の細い通りを進んだ。私はそれなりに急いでいた。突き当たったところに「旅の家」があった。

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 ブッキングドットコムで予約したこのゲストハウスはたまたま「地球の歩き方」に外観の写真が載っていた。建物に表札はなかったので、その写真がなければ、場所を特定できなかった。入り口の鍵は閉まっていた。すぐあとにやってきた中国人の宿泊客が鍵を開けてくれた。

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 チェックインの受け付けは20:00までと、ブッキングドットコムには記載されていた。20:00~21:00に着くというメッセージを送ってあったが、返事はなかった。チェックインしたのは20:10だった。日本人オーナーが出迎えてくれた。23:00頃まではレセプションにいるらしい。

 小さいゲストハウスにはチェックイン時間が制限されているところがある。日本にもある。これはやっかいなことなのだ。ブリスベン(オーストラリア)のゲストハウスでは、スタッフが他の宿泊客に、時間に遅れてやってくる私のチェックインをサポートするように伝達してあった。ゲストハウスは必ずチェックイン時の支払いとなっているが、そのときは宿泊料を翌朝のスタッフ到着時に支払った。こういう場合、早くチェックアウトしたいので鍵を置いていくということができなくなる。「旅の家」を予約する際にいくつかのゲストハウスをチェックしたが、タリンにはチェックインの時間制限を設けているところは多かった。今がオフシーズンだから、ということもあるのだろう。

 スタッフは外国人らしい。今日の宿泊者に日本人はいないようだった。冬場で宿泊客が少ないだろうというのはこのゲストハウスには当てはまらない。私の泊まった8人部屋のベッドは全て埋まっていた。

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 外に出てみた。ラエコヤ広場の屋台は魅力的だったが、寒すぎた。

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 少し歩いてCAFFE CENTRALEに入った。

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 ピザ・ハワイアンとビール。ハワイアンは今まで食べたなかでもっともうまくなかった。雑な感じのピザだった。ピザ自体に雑な要素はあるのに、さらに雑にしてしまった感じだった。ビールはSAKUビール。エストニアの老舗ビールである。まだタリンを少し歩いただけだが、SAKUビールの看板を2つほど見た。タリンまでのバスのなかでグーグルマップを見ていたときに、タリンの南15kmにあるSAKUという町を見つけていた。「旅の家」のベッドの上で、ストリートビューを動かしてみたが、ビール工場は見つからなかった。道路が多いわりに、家は少なかった。高くないアパートがちらほらとある町だった。

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