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旅の夢をみよう いつかその場所を訪れるまでは  /  旅はヒーローになれる! 初めての街にはその舞台が用意されている。
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オシュまでの風景

22日目  2014年7月17日 ビシュケク オシュ

 ビシュケクからオシュまで直線距離で300km強だ。直線距離での測定に意味がないのはわかっている。距離は620kmと書いてあったり、700km弱となっているものもある。夏場で13時間、冬場で16時間というのが到達予測時間らしい。さくらゲストハウスのオーナーも13時間と言っていた。

 書き出しが上のようになったのは、昨日のブログの3番目を放棄し、1番目か2番目を選んだからだ。だから早起きした。

 5:30起床。6:00過ぎに、さくらゲストハウスを出る。ジベック・ジョル大通りでバスかマルシュルートカを待つがなかなか来ない。そもそもジベック・ジョル大通りを通るオシュ・バザール行きがあるのかどうかを知らないのだ。

 1kmほど歩き、チュイ大通りに出る。そこをまっすぐ西に行けばオシュ・バザールだ。オシュ・バザールに行くマルシュルートカはすぐにやってきた。

 朝のオシュ・バザールは静まりかえっていたが、肉の持ち込みなどをしている人はいた。10分近くかけ南側まで歩く。

 タクシーが何台も止まっていた。交渉に入る。2,000ソム。高すぎる。1,500ソムぐらいが相場のはずだ。すぐに1,900ソムにはなったが、そこからは全ドライバーに知らん顔をされた。互助会みたいな感じだ。もっとも誰も来ないので、このままでは相乗りにならない。ずっと待つことになるのかもしれない。せっかく早く出てきたのに、8:00や9:00になってしまっては意味がない。

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 12:00に出るタクシーがある。これは話にならない。近くで2人を乗せる予定のタクシーがあり、そのうちの1人として乗せてもらうことになった。助手席を主張し1,850ソムで乗ることにする。1,500ソムは4人乗りの場合なので、まあまあといったところだろう。

 タクシーは6:50に出発した。上出来である。

 40分ほど走って郊外に出る。途中の集落に入り、おじいさんとおばあさんを乗せる。これで3人だ。そのときもう1人乗ってきたが、10分後に降りていった。

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 ビシュケクを出た辺りでは、左手に高い山があった。朝は空気が澄んでいるので、風景の奥の山々はくっきりしている。8:00頃、検問所でドライバーが通行料を払い、山のなかに入っていく。

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 車はアップダウンを繰り返しながら、どんどん高度を上げていく。

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 8:40頃、山頂まで登ったところで、トンネルが見えたと思ったら、タクシーはストップした。多くの車が止まっていた。トンネルを抜けられないらしい。対向車がトンネルのなかで出てこなくなっているようだ。

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 休憩するしかないが、店や休憩施設があるわけではない。待つしかない。ジタバタしても始まらない。動き出すときは、みんな一斉に車にもどるはずだ。

 50分ほど経った頃、みんな一斉に車にもどった。申し訳なさそうに、大型トラックが1台トンネルから出てきた。こいつが元凶だったのだろう。トンネルは3kmらしい。トー・アシュー峠、3,587mを越える。

 このトー・アシュー峠を超えてから、次のアラ・ベル峠3,184mにかかるまでの間が絶景だった。まず山を下る。眺望が開けている。山は低い草木があるだけで、黄色から緑までの間の狭い範囲の色に限定される。美瑛のように人がつくったものではないので、自然のまだら模様のうつくしさだ。空に雲があると黄色や緑がその分だけ黒ずむ。

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 人が住んでいる。ユルタがあちこちにある。近くにコンテナがあるユルタもある。移動するときにはそこにすべてを入れるのだろう。店はまったくないが、どこかのユルタでは何か売っていそうな気がしないでもない。交渉すれば、泊まれるのかもしれない。

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 牛や馬や山羊が放牧されている。牛が道路に出てきている。

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 アラ・ベル峠周辺の山は何の変哲もなかった。岩場が多くごつごつしていた。2つの峠を抜けると緑が少なくなった。遠くの山々は土肌がむき出しのところが多くなってきた。

 検問に引っかかる。ほとんどの車は通っているのに運が悪い。問題はなかったようだ。

 11:50頃、トクトグルを通過する。道路沿いの小さな街だった。そこで1人乗車し、後部座席は3人になる。2人連れのおじいさんのほうは私にかまいたくて仕方がない。自分たちや外の風景の何かを写真に撮れと言う。おばあさんがそれをたしなめる。

 12:30頃、右手に青い湖が見える。私は左側の助手席なのでうまく写真が撮れない。この湖は大きく、20分間ぐらい右手に見え隠れしていた。

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 13:00頃、さっき乗ってきた人がカラクリで降りた。そのあとまた山のなかに入る。右手に青色の細長い湖が見えた。川かもしれないが、流れてはいないようだ。ダム湖のようでもある。

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 トンネルがいくつかあった。ドライバーはトンネルに入っても照明を付けないので、怖い。自分が怖いと思ってから、照明を付ける。トンネル自体に慣れていないようだ。

 このドライバーが優秀なのかどうか判断しにくい。途中で寄ったガソリンスタンドでトイレに行った私は、早く乗れとせかされた。それはいい。休憩なしで走らせるつもりなら大いにけっこうだ。望むところである。実際、休憩は1度しか取らなかったのだ。そのくせ、運転がまばらなのだ。スピードを上げるときがあれば、けっこうのろのろ走ったりする。ある場所でスピードを出したり、緩めたりする理由がわからない。おそらく気まぐれなだけだ。

 13:50、トンネルを出たところで20分の休憩。そこには店が5軒あったが、売っているものはどの店も同じだった。食べるものはパンか菓子しかない。

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 14:40、ジャララバードを横に見ながら、タクシーは快調に走っている。この調子だと、明らかに今までのブログにある10時間や13時間や20時間をぶっちぎって記録を塗り替えるだろう。私のブログの情報もこれからの旅人の参考になるかもしれない。

 それは間違いだった。私はグーグルマップで主な地名だけをメモしていた。それをいちいちドライバーに確認していた。道路の右の川向こうに家々が点在し始めたのが14:40頃だ。ドライバーがジャララバードだと言ったと私は思った。つまりオシュには16:00くらいに着くことを意味する。

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 そのあと16:00ぐらいになって、峠を越えた平原に比較的大きな街が見えた。そして言ってみた。

 オシュだよね
 ジャララバード
 えっ
 ジャララバード

 カラクリまでは正しかったと思うが、私はどこかで間違えた。17:30ぐらいにオシュに着くだろうということが確定した。

 私とドライバーは呼吸が合っていたと思う。最初、ドライバーはうしろの乗客と馬鹿みたいな大声で間断なく話をするのでうるさいだけだった。4時間ぐらいすると話すのに疲れたのか、静かになった。

 ドライバーが前の車を追い抜くとき、左座席の私が、対向車が来るかどうかの合図を彼に送っていた。ジャララバードから40分ほど走ったところでそのドライバーは唐突に言ったのだ。ここはオズゲンだ。

 知っている。メモに記載されている。

 ここで降りてもらう
 どうして
 ここで降りてもらう
 どうして。私はオシュまで行くために1,850ソムを払った。
 別のタクシーで行ってくれ。お金はもちろん払う。

 別にいいけれど、裏切られた感じは残った。ドライバーはすぐにタクシーを探しに行き、見つけてきた。彼がリュックを担いでいったし、すまなそうな感じだったので、許すことにする。

 多くはないが、ときどきはあることだ。

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 タクシーで40分ほど乗り、オシュに着いた。いっしょに乗っていた人が、ホテル北京に案内してくれた。街の真ん中にあるので、そのホテル名を出してみたのだ。そこまで連れていってくれたときに300mほど歩いたが、今、街のどこの辺りにいるのかを大体つかむことができた。

 ホテル北京に入ってみる。1,500スムでWIFIなし。あとで来るかも、と言って出てきた。本当に来ることになるかもしれない。

 オシュ・ゲストハウスがバックパッカー宿なのだが、そこより安いのが、ホテル・ヌルベクだ。近くまで行ったが、わからない。電話をしてくれた人が言った「そこはよくない」。ホテル・オシュ・ヌルはどうかと言う。ホテル・オシュ・ヌルは安いしWIFIが使える。行ってみたいのだが、街の中心から離れている。車で送ってくれるというので、乗せてもらう。

 昔のインツーリストホテルだ。市内で最も大きい。フロント前の料金表を見て、驚いた。高い。料金改定したのかもしれないと思ったが、そのなかに800スムのシングルがあった。それは空いていた。

 ホテル・オシュ・ヌルはオールドファッションだ。ロンドンがオールドファッションであるように、そしてムンバイがオールドファッションであるように。

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 とりあえずネットにつなげるかどうかを確認する。室内ではあまりにインターネットの接続があまりに遅かった。Kさんからメールが入っていた。つい最近オシュで、Biy Ord guest house という住宅街のゲストハウスに泊まったらしい。アルマティの中央バザールを同じ日に歩いていたこともわかった。

 ビシュケクからオシュまでを1日で抜けるのはもったいないと書いてあった。さまざまなブログではぜんぶ1日で抜けていた。いったいどんなところに泊まったのだろうか。ユルトで交渉したのだろうか。

 ホテル・オシュ・ヌルを出て、川のほうまで行き、街の中心街をめざす。まだ明るいのだが、19:00である。中心街までは30分ほどかかった。バスターミナルに行ってみる。タクシー乗り場はすぐそばだった。オシュは工事をしているところが多く、雑然とした感じだ。たぶん工事をしていなくても雑然とした感じだろう。
 
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 おもしろそうなウェイトレスとクールなウェイトレスのいるレストランで夜ご飯。プロフを注文する。おもしろそうなウェイトレスは何度もパソコンを触りにきた。

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 夕暮れのオシュをぶらぶらしてホテル・オシュ・ヌルにもどる。やはり遠い。

 電波は十分あるのに、部屋ではインターネットにほとんどつながらない。ホテルのプールのそばでビール。今日も疲れた。
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ビシュケクからどこへ行く?

21日目  2014年7月16日 チョルポン・アタ ビシュケク

 早朝は寒かった。8:00頃、ぶらぶらとイシク・クル湖まで歩いてみる。海水浴客はまだ動き出していない。湖を望む場所にカフェがない。

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 ゴーゴリ通り。店は営業を始める準備をしている。

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 私の行動半径は狭い。イシク・クル湖は東西200km、南北50kmの巨大湖だ。湖の周辺には多くの観光ポイントがあるらしい。道端には周辺のリゾートポイントへのツアーを勧誘するための旗があり、そばで勧誘員の女の子が営業をしている。

 「貸し部屋」にもどり荷造りをする。11:00前にチェックアウトをする旨を告げる。昨夜、チェックアウト時間を2、3度確認したが、通じなかった。定められたチェックアウト時間はないのかもしれない。宿泊客のなかに英語を話せる人がいてときどきは通訳してくれたが、彼がいないと何も通じない。

昨日、ラグメンを食べたカフェに入る。朝食メニューがあったので、オムレツとパンとコーヒーを注文する。パンの大きさが想像を超えていた。

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 「貸し部屋」にもどり、10:30にチェックアウトする。幹線道路に出て、近くのバスターミナルに向かう。ビシュケク行きマルシュルートカが出発しようとしていた。最後の1人として乗車する。助手席が空いていたので、運転席の真ん中に座らせてもらった。

 10:50発。途中、20分のトイレ休憩をはさんで、ビシュケクに着いたのは14:40だった。3時間50分かかった。乗車中、車の前方の写真を撮っていた。ダイナミックな風景ではあるものの、すばらしいと感じるほどではなかった。
 
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 ビシュケクの西バスターミナルからマルシュルートカに乗り、旧ソビエツカヤ通りの次の通りで降ろしてもらう。さくらゲストハウスに入る。

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 7月14日のブログで、ドゥシャンベまでのルートを2つ挙げた。7月15日以降、カザフスタン・ビザがなくなったため、3番目のルートが可能になった。

 1番目。まずオシュまで行く。そこからキルギス・ウズベギスタンの国境を越え、タシケントに向かう。そのあとウズベギスタン国内をサマルカンドに移動し、そこからウズベギスタン・タジキスタン国境を越えドゥシャンベに行く。国境越えは2回になる。

 2番目。オシュまでは同じ。オシュから、キルギス・タジキスタンの国境を抜けムルガーブまで17時間、そのあとタジキスタン国内をムルガーブからホーローグまで7時間、ホーローグからドゥシャンベまで17時間。移動の際の休憩時間もいれて合計41時間。ここに示した所要時間は2008年のブログに書かれていたものだ。2月14日に話してくれた韓国人はもう少し短縮できるようなことを言っていた。このコースを取った場合、国境越えは1回なのにドゥシャンベまでもっとも時間がかかる。パミール高原を通るからで、ヒッチハイクに近いことをしなければならない。

 3番目。ビシュケクからキルギス・カザフスタン国境を越え、シムケントに入る。そこからカザフスタン・ウズベギスタン国境を越え、タシケントに行く。ウズベギスタン国内をタシケントからサマルカンドに移動し、そのあとウズベギスタン・タジキスタン国境を越え、ドゥシャンベに入るのは1番目と同じだ。この場合の国境越えは3回だが、このルートが一番早いらしい。チョルポン・アタからビシュケクの西バスターミナルに着いたとき、窓口で尋ねてみると、毎日21:30のシムケント行きの国際バスがあるという。午前中に着いて、シムケントの街を周らなければ(その選択枝はない)、その日のうちにカザフスタン・ウズベギスタン国境を越えてタシケントに入ることはできる。

 どのコースをとっても、これほど時間がかかるとは思っていなかった。国境越えの回数が多いほうが、到達時間が早いというのはこの辺りの国境事情が関わっている。

 さくらゲストハウスのオーナーに、3番目のルート、つまりシムケント(カザフスタン)経由のルートを相談してみる。行程だけを考えるのなら、このルートが早いようだ。景色がいいのはビシュケクからオシュまでの間らしく、その場合は1番目か2番目の選択枝となる。

 今夜中に結論を出さなければならない。1番目と2番目の場合、早朝出発となる。3番目は21:30出発の国際バスなので、チェックアウトの11:00ぎりぎりまで寝ていることができる。

 7月14日の昼ご飯を食べたレストランに行ってみる。釜に入った羊肉と野菜のスープが先に出てきた。ご飯を食べたかったので、ご飯に牛肉と野菜を炒めたものをかけた料理を注文する。このレストランは創作料理っぽいものを出す。かなりうまい。ご飯を食べたのは稚内以来である。

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不思議な公園と貸し部屋。チョルポン・アタ。

20日目  2014年7月15日 ビシュケク チョルポン・アタ

20年間ほどつきあいのある税理士のSさんが数日前、さくらゲストハウスにメールを送っていたことを昨夜知った。中央アジアにも何度か出没していて、カザフスタン・ビザがなくなったことを喜ぶコメントだった。真冬のレーに2度行くなんて、私には真似ができない。

 さくらゲストハウスでも、「なくなるのは明日からですよね」とカザフスタン・ビザが話題になっていた。しかし現場での周知徹底がなされるまでに3ヶ月ぐらいかかるだろう。その間の旅人のブログには「ビザがなくなったことを現場は理解していない」といったような記事が書かれそうな気がする。現場とはそんなものだ。日本は現場が優秀なので、トップの決定を顧客に伝える前に一応は吸収し終えるが、旧共産主義国の現場は、顧客(この場合、旅人)に迷惑をかけることを積み重ねてそれを咀嚼していく。

 福岡空港からウルムチ、カシュガル経由でパキスタンに入ったKさんは時間があればキルギスに寄ると言っていたけれど。カシュガルに来れば、寄ってみたくはなる。

 昨夜遅くに話した若い彼も、カシュガルはいいと言っていた。カシュガルにはさばけた国境の匂いがある。

 7:30頃、さくらゲストハウスを出る。ジベック・ジョル大通りを少し西に歩いたところにあるバス停で、西バスターミナルに行くバスかマルシュルートカを捕まえたい。

 113番マルシュルートカに乗る。行き先を確認したとき、ドライバーは「(西バスターミナルに)行くよ、まかせな」という雰囲気だった。その雰囲気のなかには、着いたら合図をしてやるよ、という意味が込められていると感じた。

 右手にバスターミナルらしき建物が過ぎていった。周辺にバスは1台もなかったが、20台ぐらいのワゴンやバンはあった。2日前、アルマティからのバスが着いた場所だ。そのときは人に言われるまま、ジベック・ジョル大通りを東に走るバスに乗ったので、西バスターミナルの様子をほとんど確認していなかった。通り過ぎた建物が西バスターミナルであることを周囲の人に確認し、降ろしてもらう。気を緩めてしまった。

 済州島(韓国)を一周したとき、バスに19回乗った。最初の数回はバスのドライバーに、指定のバス停に着いたら教えてくれるように伝えていた。途中から面倒くさくなり、行き先だけを伝えて乗っていた。声をかけてくれと頼んでいないケースを含めたすべての乗車にたいし、ドライバーは合図を送り、降ろすべき停留所で私を降ろした。済州島に限らず韓国のバスドライバーはおじさんが多い。韓国語のわからない私には怒っているように聞こえるが、彼らにとてもいいイメージを持っている。

 西バスターミナルまで歩く。着いたのは8:00過ぎだった。チョルポン・アタ行きのマルシュルートカが出て行くところだった。次のチョルポン・アタ行きには2人乗っていた。満席にならないと出発しないので、待つしかない。9:00には出発するだろうと思ったが、甘かった。

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 9:10、少し客が増えた。運賃250ソムが徴収された。9:40、ようやく満席になり、出発する。

 アジアの約束は発揮された。給油のためガソリンスタンドに寄った。そこで確かに給油をしたと思う。しかしマルシュルートカはまたガソリンスタンドに寄ったのだ。アジアの約束は1バス(1マルシュルートカ)に付き1回の給油までなので、これは約束違反だ。

 ビシュケク市内は混んでいた。郊外に出てからはスピードを上げて走った。

 マルシュルートカは山と山との間を東に向かう。南側の山の奥には雪をかぶった高峰を見ることができる。南と山々と北の山々の間には距離があり、窓からの見晴らしはいい(窓にはスモークがかかっている)。乾いた乾燥地帯なので高い木はなく潅木があるだけだ。

 11:00を過ぎた頃から道路状態が悪くなった。ところどころで舗装の行き届いたところもあるが、全体として道路はいいとはいえない。途中からマルシュルートカのスピードは上がらなくなった。

 南のほうの山が道路に迫ってきた。次に北のほうの山が迫ってきた。そこから道路は山を登り始めた。

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 小さなドライブインでトイレ休憩。降りたとき、暑くなかった。マルシュルートカは確実に高度を上げていた。

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 道路に鉄道線路が並行していた。それもかなり長い時間である。貨物列車があえぎながら山を登っていくのを見た。その線路が南のほうに離れていったとき、遠くにうっすらとイシク・クル湖が見えてきた。

 大きくない街が現れた。地図で確認するとバルチクである。鉄道線路はここまでらしい。地図を見て驚いた。ビシュケクからチョルポン・アタまでは260kmらしいが、まだ100kmほど残っている。3時間ぐらいで着けると書いてあるブログがあったが、とてもそれでは着かないだろう。

 ここから湖に沿って走るのだが、湖岸を走るのではない。湖までには距離がある。少しずつ人が降りてゆく。その人の降りたいところが幹線道路上ではなく、脇道に入るような場合でもマルシュルートカ
はサポートする。

 14:00ちょうど。チョルポン・アタの、地味でやや粗雑なバスターミナルに着いた。4時間20分かかった。

 タクシーのドライバーに取り囲まれた。ゴーゴリ通りの場所を尋ねるが、全員知らないと言う。知らないはずはない。大体の位置はわかっているので無視して歩く。

 東に少し歩いて、右手に折れたところの通りらしい。歩き始めてここがゴーゴリ通りだとわかったのだが、思った以上にぱっとしない。道の両側にはカフェやレストランがあり、雰囲気としてのリゾート感はあるのだが、安っぽいのだ。

 道の両側にはロシア語で「貸し部屋あり」の掲示を出した家がいくつもある。「貸し部屋」を借りるのならイシク・クル湖の近くがいいと思い、湖の近くまで歩いていく。しかし「貸し部屋あり」の表示は途中でなくなった。きれいそうな家の玄関を開け、「貸し部屋あり」を確認する。英語は1語だけ通じた。マネー。500ソムだった。外観はきれいそうだったが、なかはそうでもなかった。外にあるシャワー室は確認した。トイレは場所を教えてもらっただけだけれど。

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 荷物を置いて、イシク・クル湖のほうに行ってみる。10分ほど歩くと湖に出た。湖に近づけば近づくほど、細く長い道の両側にある店やカフェは途切れ途切れになる。店もあまり立派な感じではない。訪れる人の数と受け入れる側の資本力以上にゴーゴリ通りが無意味に長すぎるのだ。全体として間延びしている感じがする。貧弱感は否めない。この通りに「貸し部屋あり」の民泊はそれなりにあるが、ホテルは1軒もない。リゾートホテルは周囲に散っているのかもしれない。

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水際のビーチも貧弱だ。見渡す限りのビーチはない、狭い砂浜に人が寄り添っている。

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 来た道をもどり、レストランに入る。ラグメンを注文する。中央アジアのメイン料理なのに食べるのは初めてだ。今まで、意外にメニューにないところが多かった。WIFIが使え、コンセントも貸してもらえた。ちなみにロシアからここまでの20日間で、WIFIが使えたのは80%以上で、コンセントを借りることができたのはそれ以上である。もちろんそういうところを選んで入っているということはある。
 
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 4000年前と推測される岩に描かれた絵がある岩絵野外博物館は徒歩40分のところにある。往復80分。行くのを早々にあきらめた。

 幹線道路まで出て、東のほうに歩いてみる。店やカフェやレストランがあり、少しはリゾートを感じた。イシク・クル湖にどうして湖岸道路を造らなかったのだろう。湖なので波が荒いということはなく、津波の影響もない。ソビエト時代の開発のやり方なのかもしれない。湖岸道路が一部でもあれば、そこを中心として開発が進むのに。イシク・クル湖が見え始めたバルチクから100kmほど東にあるチョルポン・アタまでマルシュルートカが湖岸を走ったことは一度もなかった。

 さらに東のほうに歩いていく。遊戯道具の置いてある公園を過ぎたあと、湖のほうに向かう道路を見つけた。進んでみると公園らしきものがあった。左手に入場券売り場らしきものがあったが、無視して進む。入口で入場券を買えと言われた。有料公園、300スム。どんなすごい公園なのだ。

 なかなかおもしろい公園だった。銅像がいくつもある。それらはキルギスの英雄や偉人などの銅像なのだろう。それだけなら旧共産圏の国の名残りと片付けていい。しかし銅像を祀り崇め奉られるという感じではない。銅像は単なるオブジェだ、そう解釈してもいいと思う。

 公園の背景となる山との調和。キルギス語やロシア語に借景という言葉があるかどうかは知らないが、3つのモンゴル風の建物は公園の背後にある高峰を借景としているようだ。それをハーモニーと呼んだほうがいいかもしれない。

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 一方、水際も同様なことがいえるのかもしれない。建造物とオブジェは湖の水を背景にすることによって存在感を出している。

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 キルギス人にとってはモダンといっていいだろう。多くの人が訪れる公園なので、極端にとんがった発想の設計ではない。一部にはキッチュなところもある。

 この公園はガイドを付けてくれる。キルギス人は20人程度が集められ、ガイド付きで回る。ガイドを付けるからこその入場料だろう。そうでないと300スムは高い。おそらく多くの教訓的な知識が教え込まれるのだろう。最初、私1人のために英語ガイドが付いた。モンゴル風の建物を2つ見終えたとき、一方的に解説して次に行こうするのが嫌になったので、1人で回りたい旨を伝えてみた。あっさりと受け入れられた。こういうときは、たとえ歴史的な人の銅像があろうと、歴史的遺産ではないのだから、自分の感覚を当てにしたほうがいい。

 来た道をもどり、幹線道路にもどる。マルシュルートカの降りたところまで行ってみる。夕刻のあとにここを訪れる観光客はいないだろう。けだるい時間が流れていた。

 ゴーゴリ通りに入り、レストランに入る。今日も肉料理。シャシリク。ゴーゴリ通りを歩いていると、あちこちからシャシリクを焼く匂いがして、食べたくなったのだ。WIFIはつながらなかったが、コンセントを7mほど引っ張ってくれて電源の確保をしてくれた。

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名前がわからない。私の泊まっている「貸し部屋」のことだ。だから「貸し部屋」というしかない。外出するとき、玄関の写真を撮っておいた。ついでに目の前の緑の屋根の家も写真に撮っておいた。ちゃんと帰ることができるように。

 案の定、「貸し部屋」の場所がわからなくなった。結果を書くと、目の前を2度往復していた。カメラの画像を見ているのに、である。家の前に椅子を出して座っているおばあさんに写真を見せた。「あ~そこよ、そっちをちょっと行ったところ」そういう感じで大体の場所を教わった。そもそもゴーゴリ通りは1本道で丹念に両サイドを確認していけば、必ず私の「貸し部屋」にたどり着けるはずなのだ。「貸し部屋」は、さっきシャシリクを食べたレストランの目の前だった。

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 「貸し部屋」を取り仕切っているおばさんは気のいい人だった。シャワーのあと、洗濯をさせてほしいと伝えると、大きな洗面器を持ってきてくれただけではない。洗濯用洗剤も用意してくれた。

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2014年7月16日追記
 
 上記の文章のなかの、不思議な公園は「ルフ・オルド」というそうです。

タジキスタン・ビザ in ビシュケク

19日目  2014年7月14日 ビシュケク

 7:40、歩き始めて感じる。昨日より涼しい。なんとかたどり着けそうである。

 タジキスタン大使館に向かう。建物見学ではない。タジキスタン・ビザの取得のためだ。6月に入ってロシア・ビザ取得という突発的なことが発生しなければ、たぶん東京で取っていた。東京での取得には1週間かかる。「歩き方」では、ビシュケクでのタジキスタン・ビザの受領は3日後となっているが、2013年、ある人は当日にビザを発給してもらっている(ブログ記事)。さくらゲストハウスを宿泊地にしたのは、そういう情報を確認しておくためでもあった。オーナーも1日で取れると言っていた。ただ1週間ほどかけていいのなら、25ドルぐらいでできるとも言っていた。

 タジキスタン大使館の住所は、karadarinskaya str.36だ。ブログの主はとても丁寧に写真まで付けて道案内をしてくれていたが、方向の指示が一部あいまいだった。昨夜、グーグルマップで大体の位置を確認した。

 私の旅のウィークポイントはインターネット情報を現場ですぐに引き出せないことだ。もしくはそれを印刷していないことにある。インドやフィリピンでは航空券の予約確認書をUSBに入れて印刷屋に持っていき印刷していた。キルギスでも同じようにできるはずで、店は数軒見つけてあるが、いちいちデータを持っていくことが面倒くさい。メモ書きにしたほうが、時間のロスは少ないのでそうするのだが、結局、細かいところまでをメモしきれない。地図を見る際には大きな戦力ダウンとなる。

 さくらゲストハウスを出てシベック・ジョル大通りを少し西に歩き、旧ソヴィエツカヤ通りに入る。そこからただひたすら南に向けて歩く。2.5kmぐらい歩いて線路をくぐる。さらに南に歩き、ゴーリキ通りを見つけた。

 カラダリスカヤ通りはもうすぐだ。その辺りから、カラダリスカヤ通りの名前を出して尋ねるが、これが間違いだった。カラダリスカヤ通りは南北に長く、おそらく途中で分断されている。そこまで確認していなかった。分断されている1つの側に入ってしまったようだ。歩いているのがカラダリスカヤ通りであることは確認しているが、歩いている場所は大使館がありそうな雰囲気ではない。道路は舗装されていない。先まで行ってみると、ディーゼル機関車の整備工場に突き当たった。

 ゴーリキ通りにもどる。すでに何人もの人に尋ねているが、どちらのほうに行けばいいのかわからない。タクシードライバーにも数人に尋ねていた。そのなかで、知っているという人がいた。タクシーに乗れということではあるまいな、と思ったが、そうではなかった。知っている人の道案内は言葉に力がある。

 近くまで来たようだ。タジキスタン大使館という言葉に反応する人がいた。多くの道案内に助けられ、ようやくたどり着いた。言葉はわからなくても、人の表情や話し方に注意すること。

 着いたのは9:20だった。早ければ8:30、遅くとも9:00には着きたいと思っていた。1時間40分かかった。

 警備員が「鳴らせ」と言ったので、インターホンを鳴らしたが、反応はない。3回ぐらい鳴らすと「止めろ、それ以上鳴らすのはよくない」と言う。「大使は来ていない」と警備員は言ったと思う。知っているなら、鳴らさせないで。試しに鳴らしたと思うけれど。しばらくすると、大使の乗っていると思われる車が別の入口から入っていった。タジキスタン大使館の開館は9:00ということになっているが、もしかしたら9:30開館なのかもしれないことを記しておく。

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 9:30頃、なかから声がする。インターホン越しにビザ申請に来た旨を伝える。玄関が開く。建物のドアを開けて入る。がらんとした部屋のなかに机が2つあり、のりが置いてあった。小さな窓口が1つあり、なかに女の人が2人いた。用紙を2枚もらう。1枚はビザ申請用紙、もう1枚はレコメンデーション・レター。10分ほどで書き上げ、ビザ申請用紙に写真を貼って、窓口に出そうとしたのだが、窓口の向こう側は誰もいなくなっていた。向こうの部屋のドアが開いていて、そこから外に出たようだった。ドアの外はよく見えなかったが、南国のリゾートのような雰囲気だった。何度か、最後のほうは大声で、ビザ申請用紙を書き上げた旨を小さい窓口から伝え続けると、向こう側に人がもどってきた。

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 必要なもの
 1.ビザ申請用紙(表裏記入)
 2.レコメンデーション・レター(自己推薦になるのだから、書く意味がわからない)
 3.パスポート
 4.パスポートのコピー
 5.写真(3×4cm)
 6.費用 85ドル(ダブルエントリー・ビザの場合)+100ソム

 75ドルと100ソムだと言われた。安くなったのだろうか。ビザ申請書にはダブルエントリー・ビザと書いたことを伝える。相手が「ダブルなのか」と確認してきた。「そう書いていますよね、申請書に」とは言わない。「そうなんです、ダブルなんですよ、希望は」。やっぱり85ドルになった。

 この大使館は古いドル紙幣を受け取らない。私の持っているドル紙幣から新しいものを勝手により分け、取っていこうとする。気分が悪い。もしソムを受け取らないようなことにでもなれば、キルギスが認めた紙幣を信用しないのか、と抗議の1つでも入れてやるが(ビザが発給されたあとで)、相手がタジキスタン大使館ではドルもソムも自国の通貨ではない。

 タジキスタンに2度入国するかどうかはわからない。ダブルエントリー・ビザの10ドルの追加は保険でもある。そこには、いったいなぜこんなふうにしてしまったのかというくらい理不尽で複雑な国境問題がある。おそらく別の機会に触れることになるだろう。

 パミール高原にも行く旨も伝える。

 ダブルエントリー・ビザを取得できた。有効期限は2014年7月16日から8月15日まで。パミール高原のパーミットのスタンプも押してもらった。実際に、パミールに行くかどうかはわからない。行った場合、パーミットがない場合とオヴィールに行って手続きをしないといけない。パーミットは無料である。もらえるところでもらっておく。

 パミールの滞在は2週間にされた。1ヶ月間ほしいと言ったが、あなたはドゥシャンベ(首都)に滞在すると反論された。ビザ申請書の、タジキスタンのどこに滞在するのかという質問に、普通はドゥシャンベと書く。ホテル名の記入欄には住所、電話番号、FAX、メールアドレスなどをわざわざ「詳細に」書けとの記述があったので、「歩き方」に掲載されているホテルを選び、丁寧に書いてやった。ドゥシャンベはパミールではない。つまりドゥシャンベに滞在すると書いたということは、そこで何日か滞在するだろうから、パミールで1ヶ月間のパーミッションは出せないという理屈である。こういうのをひっかけ問題という、まったく。

 ビザ申請書を提出し待っているとき、2組の外国人がやってきた。この日、私は大使館に1番乗りしていた。10:10、タジキスタン大使館を出る。入館してから40分で発給してもらえたのは上出来だろう。本日の16:00に取りに来いというケースもある。発給のためだけにまたここに来たくはない。

 タジキスタン大使館はビシュケクの南東、高級住宅街にあった。周辺の道はあまりよくないが、家は大きいし立派である。門構えは厳重である。住民は車を持っていて、どこか洗練されている。慎重に道を尋ねながら、来た道をもどる。途中で道を尋ねたとき、ある人が高級車で駅まで送ってくれた。

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 昨日駅から歩いた道をもどる。途中で昼ご飯。肉炒め料理。そのあとカフェでコーヒーを飲む。

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 午前中、旅の仕事をしたので、今日はもうすることがない。昨日より暇なビシュケクの午後が待っていた。

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 街をぶらぶらして16:00過ぎにさくらゲストハウスにもどる。オーナーに最短でのドゥシャンベ行きのルートを確認する。

 まず13時間ほどかけてオシュまで行く。そこからのルートは(空路を除いて)2つだ。

 1つ目はオシュからタシケントに向かうルートだ。一度、ウズベギスタンのタシケントに入り、サマルカンドまで移動して、そこからタジキスタンをめざす。国境越えは2度になる。

 2つ目はキルギス、タジキスタンの国境を抜けるルートだ。昨夜も調べたが、あまりにハードなコースだった。マナーリからレー(ラダック)を凌駕する難所である。オシュからムルガーブまで17時間、ムルガーブからホーローグまで7時間、ホーローグからドゥシャンベまで17時間。移動の際の休憩時間もいれて合計41時間。さすがはパミール高原である。

 オシュからドゥシャンベまで最短の道はあるのだが、国境は塞がっているということだった。

 オシュに行くのは3日後なので、それまでに結論を出さなければならない。

 夜ご飯を食べに行く。昼も肉だったが、夜も肉。

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 さくらゲストハウスの庭で4人の日本人が話をしていたので、尋ねてみる。そのなかにいた韓国人がドシャンベ、ホーローグ、ムルガープ、オシュのルート、つまり私の考えている2つ目の逆のルートでビシュケクに来たらしい。ホーローグ、ムルガープ間はそれほどでもないと言っていたが、ホーローグ、ドシャンベ間は十数時間かかったらしい。

 4人のなかにチャリダーがいた。彼もタジキスタン大使館で、パミールのパーミットは2週間しかもらえなかったようだ。あのパミールを(といっても、私が行くかどうかはわからないのだが)2週間で、自転車で行くなんて。

 さくらゲストハウスに来た成果はあったと思う。

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ビシュケクの日曜日

18日目  2014年7月13日 ビシュケク

 部屋をシングルに替えてもらう。エアコン付きのいい部屋。

 噴水の水場の脇にある野外カフェでコーヒーを飲んでいる。さっきカフェのなかに水が撒かれた。暑い朝のビシュケクにわずかな空気のゆらぎがある。うしろからやってきた風が首筋と腕を撫でていく。

 陽の照っている眩しい通りを見るのは嫌だ。ここを出たくない。

 多少なりとも義務感が必要だというのは人生の教訓だ。旅においては、ガイドブックの見所を訪れるといったことがそれに当たる。それは旅のサブ・エンジンみたいなもので、そいつの存在が旅を進めていることは否定できない。自由な旅といっても大体の場合、何らかの義務を遂行しながら前に進む。

 オシュ・バザール。他のものは無視してもいいが、ここには行っておきたい。3.5kmの距離。カフェを出て歩き続けるか、バスに乗るかのどちらかだ。

 ビシュケク駅にも行ってみたい。この国の鉄道は動いているのだろうか。旅人はマルシュルートカを利用するので、鉄道情報はまったくない。

 今、12:30だから、これからますます暑くなる。重い腰は上がらない。2杯目のコーヒーを注文し、延長戦に持ち込む。

 2杯目が世界のときを刻んでいく。噴水の水場を見ている私の時間は止まっている。

 世界のときが私の時間を動かす。行くか。

 バス停で尋ねると、38番バスがオシュ・バザールまで行くという。なかなかバスが来ない。近くの人が教えてくれる「そのバスは違う、慌てるな」。その人は自分がバスに乗る前に、周りの人に伝言してくれた「この人をオシュ・バザールへのバスに乗せて」。

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 伝達リレーの結果、乗りたいバスに乗り、降りたい場所で降ろしてもらえた。旅の手配に旅行会社は必要でも、旅そのものに旅行会社はいらない。

 38番バスはチュイ大通りをまっすぐ西に進む。途中、北側にマナス王像が見えた。1000年も前から語り継いだ英雄叙事詩のヒーローだそうである。15分ほどでオシュ・バザールの手前に着いた。

 オシュ・バザールはざっくばらんな市場だった。アルマティの中央市場ほど果物の豊穣さは感じない。肉市場は牛、羊、鳥などに分かれている。動物の部位がむき出しで生臭い。市場の建物と建物の間は迷路のようだ。そういうところにテントで出店している店がおもしろい。市場と外れたところに散髪屋がかたまっている。日常品、化粧品も揃う。サンダルはとても充実していて、1足買おうかと思ったほどだ。今、履いているのは、昨年インドで買ったものだ。

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 ビシュケクには東にアラメディン・バザール、北にドルトイ・バザールがある。

 帰りは,バスの乗ってきたチュイ大通りを東に向けて歩く。チュイ大通りはまちがいなくビシュケクのメインストリートだ。通りの両側にはところどころにレストランやカフェがある。昨日食べるところが少ないようだと書いた点については訂正しておかなくてはならない。

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 オシュ・バザールからマナス王像まで歩いて1.5km。南にある地学博物館は閉まっているようだ。日曜日のせいか、隣りの中国大使館前に緊張感はまったくない。大統領府の前も閑散としたもので
警備はいない。

ビシュケクのスーパーマーケットに入るときは、荷物をロッカーに預けなければならない。面倒だ。

 エアコンの入っているカフェで休憩。写真付きのメニューがあった。アルマティ、ビシュケクを通じて、初めて写真を見ながら注文したが、出されたものは写真と違った。麺料理が出てきた。そもそも麺を注文したという意識がない。メニューの写真を見直したが、やはり麺には見えない。ご飯である。でも注文したものが出てきたのには間違いないらしい。生卵を入れてあったので、すべての味が隠されている。十分食べることはできる。

 さらに東に歩く。オシュ・バザールから2.5kmほどのところにあるエルキンディック大通りを南に歩く。この通りには大きな並木があり、真ん中が公園になって駅まで続いている。両側の歩道は広いのだが、木の根の影響などで歩道がめくれていたりするが、メンテナンスをやった気配がない。チュイ大通りから1.5kmほど歩いて、ビシュケク駅に着いた。

 ビシュケク駅は美術館みたいな駅だ。少し離れたところにカフェらしきものがあるくらいで、周辺には何もない。モスクワ行きの列車があるようだが、切符を買う人はいないし、ホームにいたのは数人だけだ。離れたホームに列車は止まっていたものの、いつ列車が入線してくるのかわからないくらいのどかな駅だ。駅舎のなかを撮っていいかを尋ねると、駄目だよ。さばけた国キルギスでは、なかなか聞かれない言葉だったと思う。たぶんビシュケク駅まで来て、駅舎内を撮影していいかどうかを尋ねたやつがいなかったのだろうけれど。

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 来た道をもどる。真ん中の公園にはベンチが多く置かれていて、何人もの人が座っている。私もさっきベンチで休んだ。さっき通ったやつが反対から歩いてきている。目があった何人かはそんな感じだった。

 チュイ大通りに出たところのカフェに入る。シックな店内の雰囲気からは思いもよらぬ、まさかのファストフードの店だった。ピザとハンバーガー系統しかメニューにない。ハンバーガーを注文する。

 さくらゲストハウスにもどろうとしたとき、警察官に呼び止められる。パスポートを見せろと言う。
「あなたの名前は?」と尋ねたが、通じない。日本人だということを確認し、相手はすぐに去っていった。こういうときのシミュレーションを考えておいたほうがいいが、結局、こちらがパスポートを出さないとケリはつかない。さばけた国キルギスと書いた点については、早々とここで訂正しておく。

 さくらゲストハウスの近くのモスクに寄ってみる。なかに入れてくれた。エアコンがうまい具合に効いていて休むにはちょうどいい。5人ほどが礼拝をしていた。1人が残りの人に声を掛け、英語のできそうな人を横に付けてくれた。英語で案内しようということなのだろう。小さいモスクで、イランで見たような鏡が無数にあるような内装ではない。写真は撮らせてもらえなかった。

 さくらゲストハウスにもどったのは19:00過ぎ。外はまだまだ明るい。20:00頃、雨が降ったが、すぐに止んだ。昨日も同じ時間にぱらぱらと降った。昼の暑さが空気を押し上げ、少しだけ地表を湿らせた。

 夜や早朝にコーランが響くさくらゲストハウス。

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キルギス入国。陸路国境はいい加減。

17日目  2014年7月12日 アルマティ ビシュケク

 8:00前にホステル・ノマド・GHをチェックアウトする。バス停に止まっていた63番バスのドライバーに尋ねると、サイラン・バスターミナルに行くと言う。バスはマカタエフ通りをまっすぐ西に進むのではなく、アブライ・ハン通りに入った。アマルティⅡ駅の手前で左に曲がり、西のほうに進む。

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 30分以上かかってサイラン・バスターミナルに着いた。バスターミナルのなかに入る前に、ビシュケクと書かれた張り紙が見えた。ターミナルのなかでビシュケクと告げると、チケットを渡された。ビシュケクまで1,300テンゲ。まっすぐ進むとビシュケク行きのマシュルートカ(決まったルート上を行き来する乗り合いワゴン)が待っていた。人は半分ほど集まっていた。

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 一端、バスターミナルを出て、水とサムサ(肉や玉ねぎの入ったパイ)を買う。チケットには9:00発と書いてあったが、満席になった8:50頃に発車した。

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 アルマティの街を出てからは、乾燥地帯のなかをビシュケクに向けて走る。ビシュケクまで70kmぐらいのところで警察の検問があり、バスのなかでパスポートのチェックがあった。国境はそこから近いのだろうと思ったら、バスはまだ走る。

 バスは乾ききった平原を走っていたが、途中から丘陵を登り始めた。ビシュケクまで20kmぐらいのところに街があった。

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その街を抜けたあたりに国境があった。荷物を持ってバスを降りる。こういうときにみんなのあとを着いていくしかない。バスでの国境通過のときはいつも、同乗者2人ぐらいの、顔や服、持ち物などを覚えるようにしておく。

 国境を通過しようとする人の数は多い。ごったがえしているふうではないが、テキパキと通過させていかないとあっという間に混雑するだろう。出国審査のスペースは狭く古い。
 
 出国の際、並ぶ窓口が違ったようだ。カザフスタン人と外国人とではチェックされる項目が異なるようだ。私は、どの列に並べばいいのかを尋ねた上で並んだにもかかわらず、私の番になったところで隣りの列に移れと言われた。列の整理をしていた人は、隣りの列に割り込ませてくれたものの、写真を撮られたりしたので、時間がかかった。マークしていた2人の姿が見えなくなってしまった。

 入国カードのスタンプが1ヶ所しか押されていない点は問題なかった。税関申告書の提出は必要なかった。

 出国審査の建物を出る。その先にも建物があった。そのまま歩いてキルギスの入国審査に入るらしい。キルギス側の建物に入っていく。係の人がいたので、尋ねると、パスポートを持っていかれた。これが別室というやつらしい。日本人は別室に通されることが多いようなのだが、私はパスポートを預けさせられただけで、別室には入れてもらえなかった。だから別室の前で待っていた。別室からは誰も出てこない。パスポートを持って行かれたままなので、別室に入ろうとすると、ちょうど私のパスポートを持って出てくるところだった。ちらっとしか見なかったが、別室では2、3人がテレビを見ていた。

 そのまま外に出てしまった。それ以外の部屋や窓口や通過ポイントがないのだ。税関申告書は書かなくてもいいのか。キルギスの税関申告書は3,000ドル以上の外貨については申告しなければならない。安宿を中心に泊まってはいるが、その程度の現金は持っている。カザフスタン同様、税関申告書を2枚記入し、1枚はもどされる。それを出国時に提出した上で、新しい税関申告書に記入するのだが、その差額が増えていると問題になる。

 カザフスタン ビザ要(7月16日まで) 入国カード 要    税関申告書 要
 キルギス   ビザ不要         入国カード 不要   税関申告書 要

 レジストラーツィア(滞在記録)については、カザフスタンが要で、キルギスは60日以内の滞在では不要となっている。

 入国審査の建物内にもどろうとしたが、入れないと言われた。もういいやと思う。陸路国境なんていい加減なものさ。

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 ただ、これは税関申告書の話であって、レギストラーツィア(滞在記録)の問題ではないので、オヴィールに行ってどうにかなるものではない。

 入国審査を終えたところで、乗ってきたマルシュルートカを探さなければならない。その前に警察官に両替所の場所を尋ねる。やっていない商店のようなところが両替所だった。カザフスタンのテンゲをキルギスのソムに両替する。ルーブルをテンゲに替え、それをソムに替えた。つまり予定のルーブルを余して旅をしている。ドルにはまだ手をつけていない。

 マルシュルートカの同乗者のなかで、入国審査を抜けたのはおそらく私が最後だろう。乗ってきたマルシュルートカはどこにもいない。タクシーのドライバーたちの勧誘がうるさい。いっしょに乗ってきた人も見かけない。あせった。

 10分ぐらいしたとき、見たことのあるような車が目の前を通り、少し離れたところに停まった。私の乗るべき車だった。なんと、みんな乗っていた。どこで乗ったのだろう。やはり私が最後だったのだ。しかし空席が2席あった。

 30分近く走って、西バスターミナルに着いた。道を尋ねた人が、乗れというバスに飛び乗る。ジベック・ジョル通りを西に行くバスのようで、大体の場所をドライバーに伝えるとわかってくれた。降りた場所を少し歩くとモスクが見えてきた。さらに人に尋ね、さくらゲストハウスに着いた。

 シングルは満室らしい。ドミトリーなら開いていると言われる。今日はドミトリーで、明日はシングルに部屋を替えてもらう。ドミトリー400ソム、シングル1,000ソム。

 少し休んで外に出る。南に歩いていくと、左手のほうに勝利広場がある。さらに歩くと、チュイ大通りに出る。その辺りから少し賑やかになる。ツム百貨店辺りは人も多い。

 雰囲気的にはその辺が街の中心だという気がする。チュイ大通りを西に向けて少し歩いてみる。

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暑いので、水のペットボトルはすぐに飲み干してしまう。今日だけで1.5ℓの水のボトルを2本買った。

 レストランやカフェが多くない。ファストフード、アイスクリーム、飲料を売っている店はあるのだが、販売をしているだけで、店のなかでゆっくりできる場所が少ないのだ。

 両替所は多くある。この国で両替には苦労しない。100ドルを両替しておく。

 大きいが、賑わっていないレストランで食事をする。シャシリクを注文する。2本注文するんですねと念を押され、そうだと答えたとき、一抹の不安がよぎらなかったわけではない。出てきたものは予想を越えた大きさだった。なんとか食べることはできたのだけれど。

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 ビシュケクは街の中心がない。歩くのに疲れたのではない。暑さに疲れ、さくらゲストハウスにもどる。

 チェックインをしたときはそれほどでもなかったが、さくらゲストハウスは大盛況である。日本人オーナーの元に多くの日本人が集う。外国人は肩身が狭そうにしていると書いてあるブログもあったが、そんなことはない。日本人は数人見かけただけで、外国人はその何倍かはいるだろう。ゲストハウスとしてはとてもきれいだ。ビシュケクのなかでは最高水準といっていいのだろう。

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