e-visaでインド入国 エアアジアFD120/バンコク・ドンムアン 0:05 → コルカタ 1:10
コルカタ空港(ネータージー・スパース・チャンドラ・ボース国際空港)に着いた。
e-visaを取得してきている。申請書には80項目ほど記入する欄があり面倒くさかったが、オンラインで取得できるので領事館に行く必要はない。初回入国日から2か月間で2回の出入国が可能である。30空港で入国ができる。取得費用は25ドル(+2.5%)。アライバルビザより料金は安い。

イミグレーションの、e-visaのラインに並んだ。窓口は7、8くらいあったが、カウンターで1人に要する時間が長く、列はなかなか進まなかった。1人当たり5 ~10分くらいかかっていた。10人の列だと50分から100分くらいということになる。e-visaで入国できるようになっても効率の悪さは変わらない。インドはインドである。

入国カードのホテル欄に、シリグリにあるホテル名を書いた。シリグリのホテルを予約していなかったが、泊まる候補のホテルをチェックしており、機内で手っ取り早くホテル名と住所がわかったからである。
シリグリ?
何をしに?
シリグリの次は?
その次は?
1人で?
インドは何回目?
職業は?
勤務先の住所は?
ここは取調室か? 黙秘権を発揮すると入国できないので愛想よくペラペラしゃべってやった。
10本の指のすべての指紋を採られた。全指の指紋を採取されたのはネヴェリスク(ロシア・サハリン)の港湾で身柄を拘束されて以来、2度目である。
イミグレーションを抜けるのに1時間かかった。
シリグリ回廊について シッキムの入り口にあるのがシリグリである。そこはインド防衛上の重要な地点である。
インド総督カーゾンによって制定されたのがベンガル分割令である。最初は行政の効率化のためだったが、民族運動を押さえるため英国はベンガル地方を分割しようとした。西ベンガルを他の州に編入しベンガル人を少数派にするととも、東ベンガルにムスリム自治州を設立しようとした。東ベンガルは現バングラデシュである。
結果、反英闘争を激化させてしまった。
1947年はインドとパキスタンにとって忘れられない年である。印パ分裂により、シリグリ回廊が誕生した。回廊の最狭部は32kmである。そこはネパール、中国、ブータン、バングラデシュの4ヵ国に接している。インドがこの回廊の支配権を失うようなことがあると、その奥に住む5,000万人が孤立してしまう。
地政学上、インドはこのエリアに神経質にならざるを得ない。
e-visa(他のタイプのビザでも同様だと思われる)を取るとき、南アジアの隣国への入国の有無を書かなければならない。私のパスポートには隣国を含め近隣諸国のスタンプがフルセットで押されている。モルディブも隣国である。
パスポートをぺらぺらとめくったあとでの、スタッフの「シリグリ?」という質問に意味があるのかどうか、あるとしたらどの程度の意味なのか本当のところはわからない。しかしシリグリではなく、コルカタかダージリンのホテル名を書いておけばもう少しすんなりと通過できたかもしれない。
コルカタ空港の難敵はインド官僚主義 2017年、インド政府はe-visaで入国した人を対象にTourist SIMを無料で提供し始めた。このことはまったく知られていないが、デリー空港でこのTourist SIMを取得した人が1人いた(その人のブログで読んだ)。
Tourist SIMの提供窓口がコルカタ空港のどこにあるかわからない。窓口を探しながら、国内線の乗り継ぎのほうに歩いた。

コルカタ空港は大きくモダンな空港に生まれ変わっていた。外の様子を見てこうと空港建物の外に出た。これが失敗だった。建物内にもどろうとしたが、出たドアから入ることができなかった。

別のドア(正式な入り口)から入ろうとしたとき、航空券の提示を求められた。「今コルカタ空港に着いたところで、建物の外にちょっと出ただけ」と言ってみたが、警備員は「入れない」の一点張りである。仕方なく、これから乗る国内線のチケットを見せると、国内線の入り口を案内された。
これでTourist SIMの窓口があるのかないのか、あるとするとどこにあるのかがわからなくなってしまった。
国内線の出入口でまた止められた。提示したチケットに私の名前がないというのである。チケットをよく見ると、確かに私の名前はなかった。
エアアジアのフライト予約をすると旅程表という名目で、A4で3枚の書式が送られてくる。1枚目が「フライトの詳細」、2枚目が「ゲスト情報」、3枚目が「支払いの詳細」である。1枚目の「フライトの詳細」だけを印刷して持ってきていた。そして1枚目「フライトの詳細」に搭乗者である私の名前がないのである。警備員に指摘されて初めて気が付いた。
やるなあ、インドの空港警備。恐るべしインド官僚主義と上意下達。空港ビルに怪しいヤツを入れないという点において水も漏らさぬ体制である、といっている場合ではない。スマートフォンにSIMカードを入れていないので、ネットにアクセスできない。仕方なくパソコンを立ち上げ、ダウンロードしてあった3枚綴りの旅程表の2枚目「ゲスト情報」画面を見せ、ようやく空港ビルに入ることができた。
2013年にチェンナイ空港の警備員を突破するため、予約したチケットのプリントサービスを求めて街中をうろついたことがあった。そういうことを忘てしまっていた。
コルカタ空港で とにかく眠い。1日目は横浜・京都間の夜行バスに乗り、24:00前に泉佐野のゲストハウスに入った。そして2日目の5:30の起床以降寝ていない。
だだっ広いコルカタ空港の国内線ターミナルで、寝転がれる椅子を探した。コルカタ空港はチャンギ空港(シンガポール)と同じで、椅子の両脇に肘置きがあった。長椅子を肘置きで1人1脚に区切り、体を横にさせないようになっていた。乗客フレンドリーではない最低の空港である。
そのなかで1脚だけ肘置きが壊れている椅子があった。横になりたい誰かが金属の肘置きを壊したのだ。ありがとう先客。
それを見つけた私だけがコルカタ空港で横になり寝ることができた。
空港内はかなり寒かった。
2時間後に目覚めた。



フードコートで朝ご飯。サモサを注文してしまった。朝ご飯なのに。

エアアジアのカウンターが見つからない。どこをどう探してもありそうになかった。
自動チェックイン機があった。10社ほどのエアラインがチェックインできるようになっており、そのなかにエアアジアの画面があった。バグドグラ行きのチェックインをした。
バグドグラ行きのゲートはどこだ! ゲートに向かう途中にあった液晶モニターで出発便を確認した。乗る予定の便がモニターから消えていた。とりあえず搭乗券に表示されている25番ゲートに行ってみた。

ここで待つように、とゲート前にいたスタッフは言ったが、信用できない。適当に言った、という感じがありありと伝わってきた。
出発の液晶モニターには相変わらず私の出発便は表示されていなかった。液晶モニターがあるだけましだと思うようにしたが、問題の解決にはならない。すべてのゲートの真ん中辺りにあるはずのインフォメーションは存在しなかった。インフォメーションがないのだから、インフォメーション・スタッフはいない。あるべきところにあるべきものがなくても不満を持ってはいけない。ここは旅人を混沌のなかに引きずり込むことにかけて世界にその名を轟かせている、大国インドである。
打球が右中間を破ったランナーが1塁ベースを蹴って2塁に向かっている途中、目の前に2塁ベースがないことに気づいたらどうするか。2塁ベースを探すしかないのである。
空港スタッフらしい人を捕まえるしかなかった。
捕まえた1人目は役立たずだった。事情聴取もそこそこにすぐに解放してやった。
バグドグラ行きは「23番ゲートに変更になっている」と2人目が教えてくれた。話し方に確信的なものを感じた。インドにも使えるヤツはいた。
階段を下りたところにあった23番ゲートのフライト掲示板には何も表示されていなかった。しかしそこではみんなが食い入るように掲示板を見入っていた。誰かが「バグドグラ行きはどうなっているんだ」と言った。バグドグラ行きのゲートだった。
みんなが23番ゲートに集まっていることが不思議だった。どうしてバグドグラ行きがこのゲートであることを知ったのだ。
ゲート前にバグドグラ行きの表示が出た瞬間にゲートが開いた。乗機が始まった。

コルカタ空港に着いてから8時間ほどしか経っていない。この短い時間にイミグレーションの質問、国内線ターミナルへの入場、寝場所探し、出発ゲートの変更など細かく左右に揺さぶられている。早くもインドに「してやられている」。しかも一方的な防戦である。私の旅の耐性はアップしているのでダメージはないが、ボクシングに例えると第1ラウンドの採点は9-10で負けている。このまま旅を続けると、9-10を重ねることになりそうである。どこかでギャラクテム・マグナムをぶちかまさなくてはなるまい。
インドのハードウェアはあちこちで近代化されているが、ソフトウェアというより根本的なところでの融通の利かなさはかってのままである。
エアアジアI5 582/コルカタ 9:00 → バグドグラ 10:20
バグドグラ空港から 出発時に混乱したエアアジアI5 582便は20分ほど遅れてバグドグラ空港に着いた。


バッグドグラの西20㎞のところにパニタンキという町がある。そこはネパール国境の町である。ネパール側の町はカーカルビッタ。グーグルマップでは国境にメチ川が流れており、メチ橋が架かっている。国境はメチ橋を渡ったところにあるようだ。
ネパール国境には行かない。めざすのはブータン国境のあるジャイガオンである。
シリグリからジャイガオン行きのバスが出ているはずだが、詳細は不明である。不明な点を確かめるためにまずはシリグリに向かう。
バグドグラ空港から17㎞ほど離れたシリグリに行く方法はタクシーしかない。ドライバーの言い値である500ルピーは400ルピーに下がったが、それ以上のディスカウントはできなかった。シリグリ行きのバスが出るスタンドまでは150ルピーらしいが、バスの出発頻度がわからない。
空港を出たところに待機していたオートリキシャでシリグリのAIRVIEW BUS STANDに行くことにした。料金は300ルピーである。
シリグリからジャイガオンに向かうバスの情報 オートリキシャに30分ほど乗った。シリグリの街なかに入ってから渋滞に巻き込まれた。


AIRVIEW BUS STANDに着いたが、バスは1台も止まっていなかった。バススタンドの様相ではない。
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シリグリからジャイガオンまでの行き方については事前にかなり調べていた。シリグリにバスターミナルはいくつかあるのだが、情報を集約すると、AIRVIEW BUS STANDからジャイガオン行きのバスが出るということで間違いないようである。発車時刻は7:00前後と書かれていたブログは3つあった。
ルートを想定し、グーグルマップで移動時間を算出してみた。結果は以下のとおりである。
NH17経由 160㎞ 3時間46分
NH17とNH317経由 155㎞ 3時間51分
NH27経由 150㎞ 4時間20分
所要時間については3、4人がネットで情報を出していた。
A. 3時間ほどかかった ← まったく信用できない
B. 悪路を6時間ほどかかった ← 2016年情報。6時間という情報は他にもあった。
C. 昼過ぎからバスを乗り継ぎ、到着したのは翌日 ← 行き当たりばったりだとこうなる。
Cについては「アリパーダー行きのバスを途中のダップグリで下車し、バーパーラ行きのバスに乗り換える。バーパーラでジャイガオンのバスを捕まえる」というものである。シリグリを午後に出たこの人は途中のダップグリで宿泊し、翌日ジャイガオンに着いたらしい。
Special Thanks, ジャイガオンへの旅人たち。あなたたちがいたから私の旅も前に進む。
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AIRVIEW BUS STANDで何人かに尋ねてみても、ジャイガオンあるいはブータン行きのバスを知っている人はいなかった。
仕方がない。時間はあるので、あとでまた来ることにする。とりあえずホテルを探すことにした。
ホテルエンバシーにチェックイン AIRVIEW BUS STANDから路地を抜け東に歩いた。シリグリを南北に走る幹線道路AH2を越え、街の中心に入った。500mほど歩いただけで数軒のホテルがあった。ホテル探しは難しくないようだ。
最初に入ったホテルにオーナーはいなかった。「呼んでくる、待ってて」とおばさんは出ていった。10分後おばさんは1人でもどって来た。しつこく引き留められたが、ホテルを出てきた。
2軒目のホテルエンバシーに決めた。わりとよいホテルである(ホテル料金については「旅のまとめ」として本ブログの最後に掲載する予定である)。

SNTバスステーションとシッキム・ツーリズム 少し休んでホテルを出た。シリグリ駅のほうに行ってみる。
シリグリを南北に走る通りを北に歩いた。


マハナンダ川を渡った。女性、子供を含む大勢の人が川に入っていた。魚を採っているようだ。



幹線道路はオートリキシャと車がひっきりなしに行き来していた。駅に近づくと、通りの両側には小さな店が軒を連ねていた。


旅行代理店がいくつかあった。どの代理店もコルカタ行きのバスを扱っていた。

SNTバスステーション(SIKKIM NATIONALISED TRANSPORT)があった。シッキム方面のバスが発着するバスターミナルである。シッキム州はインド28州のうち人口がもっとも少ない州である。州都ガントクに行くバスの発車時刻が貼りだされていた。ガントクはこの旅の予定に入っているのでバスの発車時刻は貴重な情報であるが、シリグリ(にもどって)からガントクに行きたいわけではない。




バスステーションのなかにシッキム・ツーリズムがあった。シッキム・ツーリズムは[SIKKIM TOURIST INFORMATION CENTER]のことである。シッキム観光のオフィシャル・サイト「Tourism and Civil Aviation Department」(Government of Sikkim)のなかに、[SIKKIM TOURIST INFORMATION CENTERS]が11ヶ所載っている。シッキム州に入るためにはこの11ヶ所のどこかでパーミット(入境許可書)を取得する必要がある。

スタッフに相談してみた。私の場合パーミットを取っても意味がないことがわかった。私はこのあとブータンに行く予定である。今ここでパーミットを取っても、インドを出国した時点で無効になってしまうということである。
ガントクに行く途中にある州境の町ランポ―でパーミットを取れる、と言われた。オフィシャル・サイトの地図にあった11ヶ所の1つが州境らしきところあったことを覚えていた。しかしパーミットを取得していない者がガントク行きのジープに乗せてもらえるかどうかわからない。
仕方なくシッキム・ツーリズムを出てきた。
シリグリ駅とTENZING NORGAY CENTRAL BUS TERMINAL SNTバスステーションの近くにあったのはシリグリ駅である。シアルダー(コルカタ)行き、デリー行きの列車があった。




シリグリ駅の近くにTENZING NORGAY CENTRAL BUS TERMINALがあった。近隣の町へのバスと中距離路線のバスが集結していた。


カリンポン行き9本(うち午前発7本)、ダージリン行き7本(全便午前発)、ガントク行き1本(6:00発)がHILL & DOOARS BOUND SERVICEにより運行されていた。

11:50発の、NORTH BENGAL STATE TRANSPORTCORPOLATIONによる「JOYGAON」行きを見つけた。私が行こうとしているジャイガオンのスペルは「JAIGAON」である。

このバスが本当に動いているのかどうかわからない。コルカタ行きバスの窓口は開いていたが、他の窓口に人はいなかった。近くにいる人に尋ねてみたが、要領を得なかった。ほとんどの人はジャイガオンには行かない。明日11:50前にここに来たとしてもバスが動かなければ、明日という日は意味なくつぶれてしまう。11:50発のバスはあくまで保険である。

この日の夜、ホテルで「JOYGAON」を検索してみた。グーグルマップで、ニューデリーの西にあるテーマパークが表示された。シリグリからそんな遠くまでバスが出ているはずがない。そうだとしたら「JOYGAON」=「JAIGAON」である可能性はある。一方、バス会社名である「NORTH BENGAL STATE」(=北ベンガル州)」はインドに存在しない。コルカタは西ベンガル州の州都で、東ベンガルは現バングラデシュである。
来た道をもどり、マハナンダ川を渡った。さっき川に入っていた人たちはもういなかった。
再びAIRVIEW BUS STANDへ AIRVIEW BUS STANDにもう一度行ってみた。
午前中とは異なりAIRVIEW BUS STANDにはバスが2、3台停まっていた。近くにいた人たちに声を掛けてみたが、よい返答は得られなかった。



あきらめてその場を去ろうとしたとき、チケットを売っている人を知っている、と声を掛けてくれた人がいた。
その人は私のすぐそばの木の椅子に座っていた。
明日ジャイガオンに行きたいと伝えた。その人は鞄のなかからチケットの束を出した。手に入れたチケットにはBhutan Transport Serviceの文字が入っていた。AIRVIEW BUS STANDに再度来た甲斐があった。
ジャイガオン行き(ブータン行き)のバスは明朝の7:00発である。
シリグリを歩いた シリグリの中心部にもどった。


店は多いのだが、食堂はほとんどなかった。シリグリ駅の近くで食べておけばよかった。
メニューが多くない食堂で焼きそばを食べた。

適当に街なかを歩いた。



ホンコン・マーケットがあった。細い路地に露店が連なっており、衣服、靴、鞄、雑貨、電化製品などが売られていた。ブランドの偽物はもちろんあり、怪しい商品を見て回るにはおもしろいだろう。マーケットは巨大ではないが、奥の深さを感じるところもあり迷路の雰囲気があった。





シリグリはインドの普通の、標準的な街である。インドの普通の街を一言で表現すると「喧噪の街」ということになるが、喧噪の度合いは大したことはなかった。インドにしてはごった返してはいなかった。街の中心部から離れると、素朴な感じもあった。




